「(今日は随分とまぁ上物がいる····)」
朝目が覚めて目に映ったのは見慣れた天井だった。
昨夜私がどのようにして家にたどり着いたのかはわからない。
そんな日は決まって隣に誰かがいる。
「(この傷と髪型····まさかIV?)」
隣でおそらく裸で寝ているであろう男を観察すると顔には大きな傷痕が。
目立つ2色の髪色や体格から隣で寝ている男がプロデュエリストのIVではないかという憶測がついた。
ベッドから起き上がり布団を捲ってみた。
やはり私も隣で眠る彼も服は着ていなかった。
床には互いの服が脱ぎ捨てられている。
「は?え、あれって····」
眠る男の手には何かがしっかりと握られていた。
その独特のサラリとした質感と見慣れた刺繍からそれが私の下着であることがわかった。
しかも昨日身に付けていたものだ。
「えぇ····なんでこの人が持ってるの?気持ちわる·····」
途端に不快感を覚え男の手からそれを奪おうとするも男はそれを手離さそうとしなかった。
「ねぇ、もしかして起きてる?」
私が男にそう声を掛ければ男はゆっくりと目を開けた。
やはりこの男はIVに間違いないと確信した。
「····貴方IVだよね?貴方みたいな人がどうしてここに?」
「···何も覚えてないのか?」
IVは心底ショックを受けた顔をした。
それに同情する気も気遣いの言葉をかける理由もなかった私は頷いた。
「多分セックスしたと思うんだけど何回したかもなんで貴方とこうなったのかも覚えてないの」
正直に今の現状を話せばIVは不満げに私を睨み付けた。
その顔を見て少し可愛いと思ってしまった。
「んー、ねぇ、取り敢えずそれ返してくれる?」
「え、嫌だけど」
経緯は分からないがなぜか私の下着を握りしてたままいたIVにそう促すも彼はそれを後ろ手に回してそれを拒否した。
「····なんで嫌なのかしらないけどもうそれ3年もはいてるしくたくただけど?」
「尚更嫌だ、それに昨日名前がくれるって言った」
昨日の私は何を考えていたのだろうか?
そして彼はなぜそんなものを欲しがっているのか。
「貴方ってテレビで見る姿とは随分違うのね」
「····名前は変わらない」
IVは顔を赤くして私から目を逸らした。
私が変わらないとはどういうことなのだろう。
私は彼のように有名人ではない、彼が私の何を知っているというのだろうか。
「俺、ずっと名前の事見てたんだ」
「はぁ?」
何を言っているのだろうか?
彼はもじもじとしながらこちらを見ている。
下着はしっかりと握られたままなのでなんとも気持ちが悪い。
ずっと見ていた、それはどんな意味が含まれているのか、あまり想像したくはない。
「·····まぁいいや、お腹すいた。貴方は?」
「名前が作ってくれるのか?」
面倒な事を考えるのを放棄した私は彼の言葉をスルーした。
今後関わるつもりがない相手の事を知りたいとは思わない。
くわえて危険思想を持っているのであれば下手に刺激してこちらが被害を被ってはたまらない。
「ええ、とりあえず服を着てね」
彼はとても嬉しそうな顔をした。
テレビで見るよりその表情は幼く見えた。
私も服を着て冷蔵庫を開ける。
残念ながら中身はさほど潤っていなかったので今日の朝食はフレンチトーストに決まった。
「甘いもの平気?」
「名前の作ったものならなんでも好きだ」
当たり前に言う彼の顔はとても綺麗だ。
なぜ彼はこれ程私に盲目なのだろうか。
卵液を浸したパンを軽くレンジで温めて中まで液を染み込ませた。
フライパンを熱してバターが溶ける匂いが漂ってきただけで私の胃袋が悲鳴を上げている。
染み染みになったパンをフライパンに乗せるとさらに良い匂いぎ漂ってくる。
表面に蜂蜜をかけてひっくり返す。
これで表面がカリっとしたトーストが仕上がるだろう。
温めるだけのコーンスープがあったのでそれをカップに入れ温めた。
焼き上がったトーストを4等分に切り皿に乗せた。
なんの付け合わせもないがそれなりに朝食に見えるところがフレンチトーストの良いところだと思う。
温たまったスープのフレンチトーストを机に置き自身をそこに座れば言い付け通り身なりを整えた彼は私のすぐ隣に座った。
私の部屋にはダイニングテーブルなど置くスペースはない。
彼は儲けているだろうしきっと良い生活をしているだろうから床に座ってものを食べるだなんてことはしないだろうと考えながら水出し紅茶をグラスに注いで差し出した。
「適当なものしか出せなくてごめんね。
とりあえず食べて」
「名前が作ってくれたものに適当なものだなんて思わない。
いただきます」
彼はそう言ってフレンチトーストを口に運んだ。
もぐもぐと数回咀嚼して飲み込んだ彼の顔はとつも嬉しそうに見える。
私も同じようにそれを口に運んだ。
食べなれたそれを昨日初めて会ったであろう男と食べていることになんだか笑えた。
「美味しい、名前。俺毎朝これでもいい」
「そう、私はご飯も好きだから毎朝は食べてないけどね」
名前が作ってくれるならご飯でも嬉しいと彼は続けた。
極力触れたくないとは考えていたものの完全にスルーするわけにはいきそうもない。
でもとりあえずほ全て食べ終えてからにしようと黙々とそれを口に運んだ。
彼もその間私と同じように静かに食べていた。
「ごちそうさまでした」
彼は律儀にそう言って食事を終えた。
私も同じように挨拶をすると彼は立ち上がり何も言わずにさも当たり前のように食器をシンクへと運んだ。
そして水を出しそのまま食器を洗い始めたのだ。
「そんなことしてもらわなくてもいいよ?」
「名前の料理嬉しかったんだよ」
果たして料理と呼べるほどのものだったのだろうかと考えつつも彼の動作があまりにも自然なものだった為普段からやっているのかもしれないと思い無理にやめさせようとはしなかった。
洗い終えた食器が全て水切りラックに伏せられると彼は再び私の隣に座った。
私を見る目が褒めてと訴えているように見えたので私は素直に彼に感謝の言葉をかけた。
「ありがとう、偉かったね」
頭を撫でてやれば目を細めてそれはもう嬉しそうに笑う。
その姿は子供と言うよりはまるで犬のようだ。
そんな姿に絆されそうになった。
だが彼は犬でも子供でもない、たしかもう成人していた筈だ。
このままにして良い筈がない。
「ねぇ、貴方帰らなくていいの?」
そう口にすれば彼の表情が途端に暗いものへと変わっていく。
私の言葉に傷付いたらしくどんどん目に涙が溜まっていく。
めんどくさいことは避けられそうにないとため息をついた。
「貴方もう大人でしょう、泣かないでよ」
ティッシュを数枚箱から取り出し彼のそれを拭おうとすれば手首を掴まれ抱き寄せられた。
いや、抱き付かれたと表現する方が適切だろう。
胸に顔を埋めているもんだからそこがどんどん冷たくなっていく。
これは涙なのか涎なのか、それとも鼻水だろうか。
ろくに知りもしない男が私も胸で泣いている。
笑い話にもならない。
「ほら、落ち着いて····」
私の背中に回された腕の力はとても強い。
私では振りほどけないであろう男の力だ。
下手に刺激して逆行した彼に暴力でも振るわれてはたまらないと思った私は出来るだけ優しく声をかける。
わたしがそれを危惧しながらも対して怯えていないのは彼が私に好意を寄せているであろうことを知っているからであろうか。
ならばその好意を利用させてもらおう。
「·····ねぇ、良い子にできたらキスしてあげる」
彼の好意が男と女のそれでなければなんとも痛々しい自惚れた言葉だ。
なんの効果も発揮しなければただ私が恥をかくだけだ。
しかしその不安もすぐに頭の中から消失した。
彼は即効で涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげたのだ。
大きく目を見開いたまま瞬きを必死で我慢している。
そんなに私とキスがしたいのだろうか。
「····貴方、変な人ね」
瞼にキスをすれば彼は驚いて瞬きをしたので涙が頬を伝った。
その頬にも同じように唇を這わせれば塩分を含んだそれを感じられた。
「····昨日のこと覚えてないの少し残念」
額を合わせてそう呟けばIVは少し躊躇いながらも私の唇に自身の唇を押し当てた。
「(危ない思想を持っている筈なのに随分と優しいキスをする)」
目を閉じ彼に好きなようにさせようと身を任せればそれは激しさなど微塵も感じられない優しい優しいものだった。
昨日の行為もこんな風に行われたのだろうか。
「ねぇ、もしかして貴方帰る場所がないの?
悪いけど私は貴方を養える程は稼いでないんだよね」
ヒモにでもなりたいと思って私を怒らせないように優しくしているのかもしれない、そう思って口にした言葉に再び彼は傷付いた顔をした。
再び見たその表情に今度は私の胸が少しだけ痛んだ。
「····俺はそんな事考えてない!寧ろ俺が名前を養いたいって思ってる!」
「····貴方ってやっぱり変な人ね」
自分のことを知らないと言っている女相手にそんな事を言うだなんて一体彼にとって私はなんだというのだろうか。
どう考えても妖しいのに彼のそれが本心から言っているように聞こえるから不思議だ。
彼は半分芸能人のようなものだし人の心を掴むのが上手なのかもしれない。
「じゃあ私のお婿さんにでもなりたいの?」
「えっ、あっ、····」
私の質問に彼は途端に顔を赤くしてキョロキョロと視線を泳がせた後頷いた。
なんというかこれが演技だとしたらもう何も彼の事が信じられないだろうと思うくらいの反応だった。
「もしかして昨日が初めてだった?
ごめんね、でも今どき一度寝たからといって責任とって結婚、だなんて考えなくていいのよ。
貴方なら選び放題だろうし」
私はそれほどデュエルに興味がある人間ではないので目の前にいる彼の事はざっくりとしか知らない。
だがテレビで見ている限りそれなりに育ちが良いことが伺える。
大きな傷が気にならない程に顔も整っている。
こんなことを頻繁に経験しているとは思えない。
きっと私とは真逆の人種だろう。
「····俺の事、そんなに嫌いなのか?」
IVは私をじっと見つめて不安げにそう訊ねた。
私はどうにと彼のこういった視線に弱いらしい。
他人の筈の彼になぜか罪悪感を抱いて胸がチクリと傷んでしまった。
「そういうんじゃないけど、ほら、貴方と私じゃ釣り合わないでしょう?」
それは間違いなく事実だ。
なのに言葉を紡ぐ度に彼が悲しい顔をするもんだから私はますます申し訳ない気持ちになっていく。
私はそんなに善人ではない。
それにも関わらず彼に対してそう思ってしまうのは彼が小動物のようだからなのだろうか。
「俺、ちゃんと名前に一生苦労させないから、何があっても食べさせていくから」
彼は私には自分じゃ釣り合わないと受け取ったらしい。
スターである筈の彼が何故そんな勘違いをしているのか分からない。
もしかして彼は自尊心がとても低いのかもしれない。
「違うよ、貴方みたいな素敵な人に私じゃ勿体ないって言ってるの」
だから泣かないで、と彼の頬を撫でればそれは逆効果だっつらしく彼は再びぽろぽろと泣き出してしまった。
どうすればいいのだろうと正直少し面倒に思ってしまう私はやはり性格が悪いのだろう。
「···ねぇ、そんなに私と結婚したいの?」
IVはこくんこくんと何度も顔を縦に振る。
私はどうするべきかと再び頭を捻らせいると彼は口を開いた。
「5年前、俺、名前に一目惚れしたんだ」
「え、····5年前?」
5年前といえば自分はまだ学生だった。
当時はまだ夢をみていた、将来への希望があってそれに向かって全力だった。
あの日の私が今の私を見たらきっとがっかりするだろう、そんな思いが頭に過る。
今は私のそんな下らない感情は関係ない。
頭を振ってそれを打ち消してIVの話の続きを促した。
彼は素直に話しを続けた。
「俺、仕事で名前の学校の学園祭にゲストとして行ったんだ」
それを聞いてそう言えば友達がIVが来るとはしゃいでいたことを思い出した。
私はあの日当日ギリギリまで学園祭で発表する私の作品の仕上げに追われていた。
悔いが残らない、少しでも良いものを作りたくて必死だった。
それは学生としては最後の作品になるのだから、と。
「ショーで名前を見た。
ドレスで着飾って満足感たっぷりで笑う名前を見て、俺はあの時から名前を好きになってしまったんだ」
IVが口にした言葉に私は数秒間息をすることさえも忘れてしまった。
私の通っていた学校は被服の専攻学科だった。
私は服をデザインする仕事に就くことを夢見ていたのだ。
あの日私は自分で作った衣装を着てそのファッションショーに出た。
ギリギリまで粘ったおかげでとても満足がいくものが出来た。
それを誇りに思えていたあの頃の自分は今の私には記憶としてすら思い出すと苦しい程眩しかった。
「あの後、俺、抑えきれなくて名前に声をかけたんだ」
忘れたいと思っていたあの頃の記憶が徐々に甦る。
今の自分が嫌いで蓋をしていた夢を見て全力だった頃のあの日を。
『ショーで貴方を拝見させていただきました····僕には貴方が一番輝いて見えました』
『ありがとうございます!貴方のような方にそうおっしゃっていただけるなんて、とても光栄です!』
IVはあの日私にそう言ってくれた。
あの日のショーで発表したものは同時にコンペとして発表したものでもあった。
私はあの日そのコンペで優勝することは出来なかった。
それでもその自分の作品を作れたことにとても満足する事が出来た。
だからこそ自分の作品を評価してもらえた事が嬉しかった。
『僕が将来妻をとる時は、貴方の着ていたような素敵なドレスを着てもらいたいです』
『ありがとうございます!
その際はどうか声をおかけください。
····今日のお礼としてIVさんの未来の奥様の為にとっておきのドレスを作ります!
勿論無償で』
そう返事をすれば彼は苦笑いを浮かべた。
彼が私にそう声をかけてくれたのはリップサービスだったのかもしれないと気が付いて顔が赤くなった。
『楽しみにしていますね』
それでも彼はそう言って私に手を差し出してくれたので私は手を握り返そうとするもそのまま手をとられ彼に手の項にキスをされてしまったのだ。
『勿論貴方自身もとても素敵でした』
そんな経験をした事がなかった私は混乱してあたふたとしてその後何を言っていたかは覚えていない。
それでも私は自分を認めてくれたその言葉が嬉しかった。
私は在学中に希望していた会社に内定を貰いやる気に満ちた心で学校を卒業して社会へと踏み出した。
「そっか····あの時、····うん、私あの時凄く嬉しかったんだ···ちゃんと、ちゃんと覚えてる」
IVは私を見つめている。
あの頃とは全く違う視線を向けている。
私にはその視線が責められているように思えてきた。
それは私が私自身を卑下しているからだろう。
逃げ出してしまった私に。
「私ね、もうあの時貴方に褒めてもらえた頃の私とは違う人間になっちゃったんだ」
彼は私をずっと見ていたと言っていた。
それは彼が今の私を知っていると言っているのと同じだろう。
「あの後ね、働き始めて変わっちゃったんだよ、潰れちゃったの、とても汚い形で、ね」
私が夢にまで見て入った会社は理想として夢描いていた所とはかけ離れていた。
学生時代とは違いプロの作る作品は凄まじかった。
だがそこには汚い事情が蠢いていた。
「どんなに良いものを作ってもね、それは自分の作品として認められることはなかったんだ」
私の作品は何度か製品化されそこから外へと発表された事がある。
しかしそこに私の名前はなかった。
それは私だけではない。
「会社の偉い人のお気に入り、って人がいてね。
私のそれはその人のものとしてしか商品になることが許されなかったの」
それでも最初は自分の作ったものが形となって世に出される事が嬉しくてそれに満足していた。
それでも何日も何ヵ月も睡眠もまともに取らずに必死に作り上げているうちに欲が生まれてしまったのだ。
「私が作ったものを私の作品として発表したいって思うようになった。
そんな時、声をかけられたの。
どうすればそれが出来るかって、····私は悪魔の囁きに耳を傾けてしまったの」
要は私は女を利用したのだ。
学生時代作品作りに没頭していた私は恋人なんて作る暇がなかった。
そういった経験がない私を"偉い人"は非常に気に入ってくれた。
私の作品はその後すぐに私の作品として世に出る事が叶った。
ショーウィンドウに堂々と飾られたそれを見てとても嬉しかった。
"偉い人"と何度も"話"をする度に私はその人が気に入る服がどんなものか分かっていった。
偉い人は私を気に入りどんどん私の作品を製品化していく。
私のクローゼットはそれで満ちていく。
それと反比例して私の心は空っぽになっていく。
「生意気に思われるかもしれないけどね、私自分が作りたいものがあったの、凄く拘りがあって、それを譲らないってずっと思ってた。
でもね、それじゃ駄目だったんだって気が付いた」
ある日町を歩いているとふと自分が作った服を着た女の子が視界に入った。
思わず足を止めるとその女の子に恋人であろう男の子が近付いてきて、二人は幸せそうに笑っていた。
何を話しているかまでは分からなかったが女の子は服を自慢するような仕草をを見せていて彼もそれを褒めているように見えた。
幸せそうなカップルだった。
自分の作った服を着て笑っている、それはその服が世間に求められるものだったのだということを決定付けていた。
なのに私は
「折れちゃったの、心が。
ああ、私にはなんの才能もなくて、私は女としてのみこの世界で生きていけるんだなって」
私は翌日辞表を出した。
私を気に入っていた偉い人は去る意思を見せた私を止めることもなく2つ返事で退職を認めた。
「私の代わりなんていくらでもいたんだよね」
それからの私は一般企業で事務をしていた。
表向きには普通に生活していた。
それでも一度壊れてしまった心はおかしくなったままで酒を飲んで見知らぬ男とホテルでいたなんてことは日常茶飯事だった。
トラブルらしいトラブルに合っていないのは幸運だったのだろう。
「ごめんね、あの日の私はもういないんだ。
今の私は会ったことすら覚えていない貴方と寝てしまうような私。
貴方の思い出を汚してしまって、ごめんなさい」
IVは黙って私を見つけ続けている。
やはりその目を見つめ返すのは辛かった。
それでも私を認めてくれた人を裏切ってしまった事を知った今これ以上彼から逃げることは許されないだろうと思い、責められることも覚悟して彼を見た。
「····汚れてなんかない」
IVはそう言って私を抱き締めた。
先程のように甘えるようにではなく全てを包み込むように優しく、力強く。
「俺は全部知ってた、名前があの後どうしてたか、全部調べてたんだ」
一体そんなことどうやって調べたのだろうかと疑問に思うも今はSNSやなんやかんやで個人情報なんてガバガバな時代だ。
女を使ってのしあがった私の事を嫌うデザイナーなんて山程いただろう。
何かしろ噂を流されていても文句は言えない。
「最初は腸が煮えくり反った。
そいつを殺してやりたいってくらいに。
今すぐ名前を拐って閉じ込めて自分のモノにしてやろうかって何度も考えた」
彼の過激な言葉に驚きつつも先程の彼を思い出せば彼がその時本気でそれを考えたのであろうことはなんとなく想像出来た。
きっと私が真っ当に生きていれば彼はそこまで過激な事は考えなかったのだろう。
「俺は····俺があの時名前を好きになった時に言った言葉は好意だけで口から出た言葉じゃない。
俺は本当に名前の作ったドレスを見て凄いと思ったんだ」
泣くつもりなんてなかった。
泣く資格なんて私にある筈がないと思っていた。
それなのに私は彼のその言葉を聞いて涙を流してしまった。
「····何かをやり遂げる為に、目的の為に手段は選べない。
···俺はそうしなくちゃいけない瞬間があるのを誰よりも分かっているつもりだ」
私を抱き締める彼の手に力がこもる。
掴まれた肩の骨が軋む。
「だから俺は必死で耐えた。
俺は名前の笑顔が見たかった。
どんな事をしてでも自分の夢を叶える為に形振り構わず進もうとする名前を応援したくて自分の想いを閉じ込めた」
彼の顔は見えない。
それでも身体は震えていた。
今彼を傷付けているのは私だ。
「けど会社を辞めたって知って、どこかで安心したんだ。
応援すると言っておきながら、見ないフリをすると言っておきながらもそれでも名前が他の男に触れられていることが俺には我慢出来なかったんだ」
何がそこまで彼を掻き立てるのだろう。
私は彼にこんなことを言ってもらえるような人間ではない事を自分自身が一番よく理解している。
「昨日は本当に偶然だった。
たまたま名前がバーに入る所を見かけて、俺は悩んで同じ店に入った。
一つ席を開けて座った俺に名前が声をかけたんだ。
名前はそこにくる前に既に酒を飲んでいたようで明らかに酔っていた」
昨日は確かにそう、会社の飲み会の帰りだった。
家にそのまま帰ることが寂しくてフラりとその店に立ち寄ったのだろう。
つまり私が彼を誘ったのだ。
「俺は自分の欲望に勝てなかった。
何年も想い続けていた名前に触れて感情が爆発したんだ。
····けど昨日の名前は俺じゃない奴に抱かれてた。
そいつは俺が一番嫌いな奴だった。
名前の心はまだあの世界に囚われたままだった」
彼の言葉に先程まで流れていた私の涙は止まった。
少し弛んだ彼の胸から離れ顔を見れば苦しそうに笑っていた。
「····本当はまだ服、作りたくて仕方ないんだろ?」
彼が口にした言葉にどうしようもない程心がざわついた。
完全に挫けてしまった筈だ。
なのになぜ今こんなにも動揺しているのか、そんなことは考えるまでもない。
「····そんな、こと、···私には、もう言える資格、なんて····」
どくんどくんと動揺して大きく鳴る心臓。
どうして彼は私の心を騒がせるのだろう、どうして、どうして彼にはバレてしまっているのだろう。
怖い、彼が怖い、どうして、どうして。
「····そりゃあ分かるだろ。
俺が何年名前を見てきたって思ってるんだよ」
なぜ彼はこんなに汚れた私を見続けてきたなに私に幻滅しないのだろうか。
都合の良い女として利用出来るからだろうか。
いや、明らかに彼が私に抱く感情はそれではない。
だからこそ分からない。
「何が何だか分からないって顔してるな。
俺自身もよく分からない、けどきっと俺はあの日あのドレスを着て笑う名前に囚われてしまったんだ」
頭の中で鮮明に映し出されたあの思い出。
苦しくて思い出したくもなかった眩しい時間。
ああ、なんて、なんて。
「俺は目的の為に手段を選ばないつもりなんだよ。
なぁ、名前。
俺の奥さんになってくれないか?
そんであの時のお礼、くれないか?」
「····あの時の····お礼····?」
彼は私から少し離れて改めて私を見つめる。
「卑怯な手を使って悪かった。
俺は名前以外の女と結婚する未来なんて想像出来ない。
····だから、だから俺の奥さんになって、俺の奥さんの為にウェディングドレスを作ってほしい」
彼はバカ真面目な顔でそんなことをいう。
それがどれだけ酔狂な事を言っているのか分からない程私は動揺しているわけではない。
こんな時ですら狂いきれない私自身が嫌いだ。
「···貴方ってやっぱり変な人ね。
私の事全部知ってる癖に、それでも私と結婚したいだなんて」
「俺が知ってるのは結果だけだ。
だから名前の事、もっと知りたい。
教えてほしい、だから結婚したいんだ」
私にとって彼は都合が良すぎるのだ。
私の大好きなものを認めてくれて、私の大嫌いな部分を見た上でそれを許してくれて。
あまりにも都合が良い。
これでは自分がのしあがる為に女を売ったあの頃の自分と同じなのではないかという感情が頭を過った。
そんな事が頭を過るほどに彼と一緒になるのも良いと考えている自分がいる。
「名前が何を考えているか何となく分かる。
でも俺は一度手に入れたら絶対に手離さねぇ。
だから何があろうと一生“退職”なんて出来ないって事は覚えておいてくれ」
やはり彼は狂っているようだ。
こんな訳あり物件と生涯を共にしようだなんて。
「····貴方のこと好きかどうかって聞かれたら正直分からない。
面白そう····そんな理由でもいい?貴方と一緒にいる理由」
私があまりにも正直にそう訊ねると彼は少し拗ねた表情を見せながらも首を縦に振った。
「ドレスが作り終える頃には俺の事好きにさせてみせるからそれでいい」
あまりにも自信たっぷりの顔でそんな事を言うもんだから私は声を出して笑ってしまった。
あんなに泣いて甘えていた彼は一体なんだったのだろうか。
今目の前にいる彼はとてもカッコイイ。
もしかしたら二重人格なのでは?なんて考えた。
「あ、そうだ、じゃあ下着は返してね?」
「あれはもう俺のもんだから返さねぇ」
彼は慌てて私の下着を再び握りしめた。
先程まではあんなにかっこよかったのに、全くもって彼は面白い。
私はこれからの人生、一生退屈せずに生きていけそうだな、なんて考えながら彼の頭を撫でた。
彼は再び私に可愛らしい笑顔を見せた。
この笑顔を可愛いと思えるようになった私はすでに彼に魅せられているのだろう