その日もいつもと同じように楽しい1日だった。
お互いの予定を合わせるのが難しくて今日会えたのは1ヶ月ぶりだった。
次に会えるとはまた1ヶ月後になるのでその分今日は1日中一緒にいようと朝から待ち合わせをしてたっぷりと二人の時間を楽しんだ。
そんな楽しい時間が過ぎるのは本当に早かった。
トーマスが予約してくれていたレストランで食事を終え外に出た頃にはとっくに夜になっていた。
夕方よりも随分気温は下がっていて息も真っ白だ。
今まで暖かいレストランの中に居たことも相まってその寒暖差に身震いを起こした。
するとトーマスは鞄からマフラーを取り出して私の首に巻いてくれた。
その肌触りの良さから考えておそらくそれはカシミアだろう。
彼の身に付けるものは下品と見えない程度に高価で良質なものばかりだ。
そしてそれに見劣りしない彼は流石だと言えよう。
「トーマスは巻かなくて大丈夫?寒くない?」
「大丈夫だから、名前は女なんだから身体冷やすな」
身体を冷やすことなんて男だろうが女だろうが関係なく良い事ではないと思うのだが、でもここは彼の優しさに素直に甘えよう。
「ありがとう、トーマス」
「ん···」
トーマスが私の手を握って自身のポケットに突っ込んだ。
付き合うようになるまで彼がこういった事をさらりとやってのける姿なんて想像出来なかった。
ちらりと隣を歩く彼を見るも表情は変わらない。
手を繋ぐ程度彼にとっては同左もないことなのだろうか。
「(そういえばトーマスって私以外にもお付き合いした人っているのかな)」
そこ辺りの話を彼に訊ねたことはなかった。
デリケートな話だしもしかしたらあまり聞かれたくない話かもしれないから。
「(···私が知りたくないだけかもしれない)」
知りたくないと思っているのにその反面気になってしまうのはなんなのだろう。
人間の心理というのは本当にめんどくさい。
仮にトーマスに恋人がいたとしてもそれは過去の話で今は私の恋人だ。
気にする必要はないのだろうけれど。
そんなことを考えているとトーマス足が止まった。
そこは夜は人が殆どいない公園だった。
「どうしたの?」
トーマスはじっと私を見つめて困ったような表情で自身の頭をかいた。
「まだ、帰したくなくて···」
ポケットの中で握られた手に力がこもる。
彼がそう思ってくれるのは嬉しい。
「えっと····私は明日も休みだけれど、トーマスは仕事だよね?」
「明日は午後からだから···」
それを聞いてどうしようかと思案した。
そしてそういえば、と一軒思い当たった。
「あ、だったら軽く飲みに行く?
友達に良いお店教えてもらったんだけど」
私の提案にトーマスは眉間にシワを寄せたと思えばあからさまにため息をついた。
そういう気分じゃなかったのだろうかと思って別の案を考えてみるもお腹も膨れてしまったのでなかなか良い案が浮かばない。
「···そういう事じゃねぇんだよ」
「えっ、うわぁっ!」
トーマスは私を抱き締めた。
人が殆どいない公園とはいえ外でこんな風に抱き締められたことは初めてだったので驚いて心拍数が上がってしまった。
だがそれは彼も同じなようだ。
胸に押し付けられた私には彼の心臓の音がはっきりと聞こえた。
「···お前と一晩過ごしたい、って言ってんだ···これでもわかんねぇか?」
「え、あっ、あー····ううん、だいじょうぶ····」
彼の言葉の意味を理解して私はしどろもどろになってしまった。
言った本人も恥ずかしかったようで耳まで赤くなっている。
「(かわいい)」
そう思うと同時になんとも心がこそばゆい感覚を覚えた。
「····なんだよ」
トーマスは、私に不服そうな視線を向ける。
顔を赤くした彼を可愛いと思ってしまったことに気付かれてしまったのだろうか。
「お前はなんでそんな余裕なんだよ」
トーマスの目に私はそんな風に映っているのだろうか。
それは大きな勘違いだ。
なんならこの速くなりすぎた心臓の音を聞いてほしいくらいだ。
「余裕なんて全然、そんなことないよ。ただ···」
ただ少し以外だったのだ。
彼がそういったことを望んだことが。
そう思う程彼は紳士的だった。
「ただ、なんだよ」
「···いや、トーマスも、ね、···そういう事考えるんだって····」
なんだか言っていて恥ずかしくなってきた。
トーマスは私の言葉に眉間にシワを寄せる。
「俺をなんだと思ってるんだ。
····お前が思うよりずっと、そういうこと考えてる」
「そう、なんだ···」
こんな事を言われてしまった私は私はなんと返事を返せばいいのだろうか。
トーマスにとって私はそういった欲望を抱く対象らしい。
嫌なんてことはない。
ただむず痒い、そんな感覚だ。
「えっと····じゃ、じゃあ、どうする?」
「それはどっちの意味だよ」
「····場所?」
私がそう答えるとトーマスはやっぱり余裕じゃねぇか、となんとなく不貞腐れた顔をする。
何度も言うが私に余裕等ない。
ただ拒む理由がないだけなのだ。
「全然余裕なんてないよ。
···ただ、私トーマスの想像の中の私よりきっと、たいしたことないと思うから···がっかりさせるかもしれない」
「意味のわかんねぇ心配してんじゃねぇよ。
俺が何考えてんのか分かってんのか?」
トーマスが考えていることなんてまるで分からない。
彼が私にそういった事を求めているのとすら想像できていなかったのだから。
ただ男の人が考えることと言えばその手の映像作品やなんかが主流だろうからそれらを思い浮かべた。
それに出演している彼女達は本当に魅力的だ。
「···分からないけど、私は特別スタイルも良くないし、経験もないから。
トーマスを楽しませてあげられるのかな、って」
「···へぇ」
先程迄とはうってかわってトーマスの表情が明るいものになった。
それは何故だろうか。
「それにしても、····うん、意外」
「何がだよ?」
付き合い始めた以上こういう事をいつかするんだということを考えない程子供ではない。
けれど私はその未確定のいつかをどこか他人事のように捉えていたのだ。
「トーマスもそういうこと、考えるんだなぁって」
「まだ言ってんのか」
トーマスは呆れたようにため息をついた。
トーマスの事は勿論異性として見ている。
けれど今までそれを強く意識させなかったのはトーマスが常に私に気を使ってくれていたからなのだろう。
「···確実お前が引くくらい考えてると思うぜ、俺は男だからな」
「···へ、へぇー···」
だからこそそんな風に言われてしまってはなんと返事をしていいかわからない。
トーマスの想像する私とはどんなものなのだろうか。
あまり美化されすぎていないことをただ祈るしないのだけれど。
「期待外れだったらごめんね」
「どういう意味だよ」
大体の体つきは服を着ていようがある程度分かるだろう。
抱き合うこと自体は何度もしている。
けれどやはり乙女心とやらが働いてそういう時はついおなかを引っ込めている。
自信を持って肌を露出出来る程良い体つきをしているわけではない。
「いや、だから、しつこいようだけれど体型とか、ほんと自信ないから」
「ほんとくだらねぇ心配だな····そもそも俺だってそんな自慢出来るような身体してねぇよ」
私からすればトーマスはとても綺麗な体型をしているように思える。
基本的に肌をあまり露出しない彼と二人きりの時シャツのボタンを2つ程開けたときにちらりと見えた鎖骨はそれは綺麗で。
きちんと身体に合わせて仕立てられた服を着ている姿を見ればすらりと長い手足は明確で。
余計な肉など付いていないことは誰が見ても分かるだろう。
その辺りの事を考え始めるとどうにも卑屈になってしまい駄目だ。
「取り敢えず行くぞ」
トーマスは私の手を引いて再び歩き始める。
私は黙って彼の少し後ろを着いていく。
見慣れたその背中が別人のように見えた。
「···ねぇ、トーマスって経験とか、ある、のかな、やっぱり」
彼の背中のそう問いかけるとトーマスはぴたりと足を止めた。
やはり配慮に欠けた質問だっただろうかと不安に思い彼の顔をそーっと覗きこんだ。
そこは先程の公園より街灯が少ない道ということもあって、分かりにくくはあったのだが彼が再び顔を赤くしていることは目視出来た。
「····女と付き合うとか、そういうの諸々お前が初めてなんだからあるわけねぇだろ」
赤くなった顔を私に見られたのが恥ずかしいらしく私から隠すように俯いて再び歩き始めた。
先程より早歩きで。
私は黙って着いていく。
今度はトーマスの腕に両腕を絡めて抱きつくように。
きっと歩きにくい筈だがトーマスはそれを振り払うようなことはしなかった。
「一緒に歩いていこうね」
どちらでもいいなんて言ってはいたが結局のところ私はトーマスが自分と同じであることがとても嬉しかったのだ。