「あっつい······」
夏真っ盛りの日中、私は下着に丈の短い薄手のワンピース一枚着ただけという姿でだらしなくソファーに横たわっていた。
今年の暑さは異常だ。
連日30℃を上回る気温で日中は外を歩けば陽炎が唸ってして視界は歪んでしまう、それはもはや殺人レベルの暑さだった。
外がそれほど暑いのだ。
室内にいたところで熱は籠ってしまう。
そして不幸にも今それを和らげるものは開放された窓から入ってくる弱々しい風と強に設定された扇風機のみであった。
室内にはクーラーが設置されているがいかんせん、築ん十年の安アパートにあるに相応しいそれも非常に古い型のもので以前から効きが悪かった上、ついに3日前、それは完全に仕事を放棄してしまった。
寿命が尽きてしまったのだ。
そんな私の事情など知ったことかと言わんばかりに太陽は輝き照り付けて例年以上の猛暑日を叩き出し、それに同調するようにセミが大音量で鳴いてその暑さを増長させた。
力なく手にした団扇で扇いでみるもそれは気休め程度にしかならなくて馬鹿馬鹿しくなってしまい扇ぐことをやめだらりと腕を投げだせば力なく握られていたそれはするりと私の指先からすり抜けてことん、と軽い音をたてては床に落ちた。
その直後ピンポンと音が鳴った。
誰かがここを訪れたのだ。
しかし私はその夏の暑さから動く気力も起こらなかった。
荷物が届く予定もなかったので私は無視を決め込むことにした。
その後何度かチャイムが鳴らされた後、鍵が開く音がしてガチャリとドアノブを回す音が聞こえた。
この部屋の鍵を持っているのは家主の私を除けば一人しかいない。
その人物は部屋に上がり私の様子を見てため息をついた。
「いらっしゃい、トーマス」
「お前なぁ···」
トーマスは再びため息をついてソファーの肘置きにだらしなく投げ出された足によって捲れ上がったワンピースの裾を直してくれた。
「朝から何度も連絡入れてたんだぞ」
トーマスにそう言われてスマホを確認してみると確かに何度も不在着信があった。
スマホは電源こそ入っているもののサイレントに設定されていたせいで気付かなかったようだ。
「ごめん、マナーなってた」
「そんなことだろうと思ってたぜ」
そこでまた本日三度目のため息。
このままでは彼の二酸化炭素でこの部屋が充ちてしまいそうだ、なんてくだらないことを考えた。
「この暑いのにクーラーもつけねぇで何してんだよ、死にてぇのかよ」
トーマスは床に落ちていた団扇を拾い上げ私を扇ぎはじめた。
人に扇いでもらえるなら団扇の風も気持ちいいものだと思った。
「クーラー壊れちゃったんだ。
大家さんお盆休みで田舎に帰ってるらしくて、明後日まではこのまま」
賃貸である以上勝手に工事とか無理だから、そう説明して目を閉じる。
「···下着透けてんぞ」
そう言われて下を向けば汗を吸った白のワンピースは確かに軽く透けていた。
だがトーマスとは付き合いの長いこともあるのでそれを指摘されてもとくに慌てることもなく、室内だから大丈夫だ、暑いから汗もかくから仕方ないと返事をすれば呆れた顔をされた。
「···襲うぞ」
トーマスは私の顔の横に手をつき覆い被さるようにしてそう言った。
この暑さのなかでそんな気になれるのだろうか。
「この暑い中トーマスは汗まみれになってそれを共有したい?
随分良い趣向を持ってるね」
私のその言葉にとびきり大きな本日四度目のため息をついてトーマスは床に座り込んでしまう。
「テメェは本当に可愛くねぇな。
昔から何も変わってねぇ」
「ありがとう」
お礼の言葉を口にすればトーマスは別に褒めてない、と私に返した。
そしてしばらく無言の時間が続いた。
長い付き合いの私達にとって沈黙の時間は居心地の悪いものではなかった。
寧ろ心地よいとすら思える時がある。
「どっちにしろお前ちゃんと直してもらう気、ないんだろ?」
あれ、とクーラーを指差しトーマスはそう訊ねた。
やはり付き合いが長いこともあってトーマスは私の事をよく理解している。
「まぁね、お盆も終われば暑さも和らぐ···しめんどいし···」
寧ろ大きな理由は後者だ。
部屋に大家や業者を上げなければいけないのも少し億劫で。
トーマスには私の思考回路がバレバレなのだ。
「そんなんで来年はどうするんだよ」
「なるようになるよ」
これも想定内の言葉だった。
トーマスは少し考えて観念したかのような表情を見せたあと私の手を掴んでソファーに座らせた。
「なに?」
気だるい感情を隠そうともせずにトーマスの顔を見てその行動の意味を問えばトーマスは一つ小さく深呼吸をして私に目線を合わせ口を開いた。
「俺のマンションは新築同然で部屋も広くて勿論クーラーも最新型だ」
「なに、自慢?」
「黙って最後まで聞けよ」
そう言って私の額を軽く小突いてトーマスは私をじろりと睨んだ。
そした一度目を閉じて再び呼吸を整え、トーマスはポケットから手のひらに乗るサイズの箱を取り出しそれを開けて中身を取り出した。
「もう随分長いし俺はこれから先も一緒にいる相手なんてお前しか、名前以外考えられねぇ。
だから俺の家に来い」
「え、なにそれ、プロポーズ?」
トーマスの言葉にでそう確認を取ればこれが別れ話に聞こえるるのか、と睨まれてしまった。
「···ううん、じゃあ······お願いします…?」
ほんの数秒考えてそう言って頭を下げればトーマスは苦虫を噛んだ表情を見せる。
「お前本当ににわかってるのか?
結婚しようって言ってんだぞ。
名前·アークライトになれって言ってんだぞ」
そう訊ねられて勿論分かっていると首を縦に振る。
トーマスはなんとも複雑だと言わんばかりの表情のままだ。
「···お前は本当に···全然変わらねぇ······」
トーマスはがっくりと項垂れてもっと他にリアクションないのか、と不満げに呟いた。
とは言え私達は付き合いが長いからトーマスが心底私を責めているわけではないということを私は理解している。
本気で呆れているわけでも怒っているわけでもない。
変わらなくともを変わらず私を好きでいたからこそこれからも一緒にいたいと思いプロポーズしてくれたことを私は分かっている。
「本当はこんな形じゃなくてちゃんと店も予約して、そこで言うつもりだったんだぞ」
トーマスはそう愚痴を溢す。
「ああ、だからこの暑いのに今日はフォーマルなんだね」
トーマスがだらしない服を着ているところなんて記憶にはない。
それでも夏にここまで小綺麗な服装をしているのは珍しいなと考えていた。
さすがにこの部屋の暑さにうっすらと額に汗が滲んでいることは申し訳なく思ったが
「ああっ!!」
トーマスの言葉にあることに気が付いた私は慌ててソファーから立ち上がった。
「な、なんだよ?」
そんな私にトーマスは驚いた。
私はトーマスを見てそれに返事をする。
「ってことは今晩外食なんだよね?
急いで準備するから待ってて!」
そしていそいそと脱衣場に移動して着ていた服を脱ぎ捨てて洗濯機に放り込んだ。
ぬるめに設定したシャワーを浴びながらきっとトーマスはまた呆れた顔をしているだろうなと予想した。
シャワーを浴びてしっかりと身体を拭き終え、私が社会人になった時就職祝いだとトーマスがプレゼントしてくれた普段着ではないフォーマルな場面で着られる私好み、かつトーマス好みのワンピースに袖を通した。
大変なのはここからだ。
これから私はこの部屋で化粧を施さなければならない。
果たしてこの空間で汗を流さずにそのミッションを終えられるだろうか?
その難しいと思われたミッションもトーマスが人力で団扇を扇いでくれるという協力を経てなんとかクリア出来たのだ。
私の旦那様になる人は恐ろしく優しい人だった