『本当にごめんなさい、今日どうしても外せない用が出来て無理になりました』
そのLINEが届いたのは名前の家に向かう為に家を出てすぐだった。
今までこんなに間際になってキャンセルの連絡を受けた事はない。
俺がしたことはあるのだが。
名前は俺と違ってくそ真面目な人間だ。
それ故に損することも多い程に。
だからこそ気になった。
もしかして体調でも崩しているのかもしれない。
名前は少しくらい悪くても無理をしてでも約束していれば俺に会うことを優先してしまう。
だからもしそうだとしたら下手をすれば家で倒れている可能性すらあるのだ。
不安を感じた俺は名前に電話をかけた。
しかしいつまでたってもそのコール音が止まる事がない。
「··チッ···あいつ、一体なんなんだよ」
もしかしたら本当に何か用事が出来たのかもしれない。
だとしたらまぁ仕方無いとも思う。
あいつが俺より優先したのだ、きっと本当に緊急性を要したのだろう。
だがそうでなかったとしたら?
俺は大通りに出てタクシーを拾った。
目的地を伝えると車はすぐに走りだす。
後はもう到着を待つしかない。
スマホを開くも名前から折り返し電話はかかってこない。
それに内心舌打ちしてスマホを上着のポケットにしまった。
見ていると連絡がこないことにイラついてしまうからだ。
15分もすると名前のマンションに到着した。
タクシーを降り急ぎ足で名前の部屋の前まで行きインターホンを鳴らすも反応はない。
扉のすぐ隣に設置されている電気のメーターを見るとそれは動いていたからおそらく名前は中にいるのだ。
俺は貰っていた合鍵を使って名前の部屋に入る。
ドアを開けそこで声をかけるも返事はない。
玄関には靴がある。
俺は靴を脱ぎ部屋に上がった。
急いで廊下の扉を開けると布団が膨らんでいた。
ベッドサイドには脱ぎ捨てられた服が散らかっている。
普段であればあり得ない事だ。
それは今名前が普通でないことを物語っていた。
「名前」
ベッドに近付くとそこに名前はいた。
見るからに寝苦しそうに、かなり汗をかいているようで前髪が額に張り付いていた。
枕元には市販の風邪薬が置いてあり顔に触れるとかなりの高熱が出ていることがすぐに分かった。
「っ、この馬鹿···」
風邪薬のすぐ側に耳温計があったのでそれで熱を測ると39℃近くあったことに驚いた。
とりあえず俺は脱衣場に行きタオルを水で濡らし固く絞った。
熱冷ましのシートがあるかはわからないので取り敢えず汗くらいは拭いてやりたいと思ったからだ。
すぐに名前の元に戻って顔にタオルをあててやれば名前はゆっくりと目を開けた。
汗を拭っている間なかなか合わずにいた焦点は徐々にあっていき首元まで拭き終えた頃やっと俺と目が合った。
「と、···ま、す···?」
名前が俺の名を呼んだ。
その声はかなり掠れている。
どうやら喉もやられているらしい。
「話さなくていい。取り敢えず汗だくだから拭いてやるから大人しくしてろ」
そう伝えパジャマのボタンを外していく。
名前は黙って言うとおりにしている。
普段であれば有り得ないことだ。
はだけさせた肌は顔同様にかなり汗をかいていて明らかに熱い。
まぁあれだけ熱があるのだから当然だろう。
丁寧に身体を拭って背中を拭く為にも身体を抱き起こせば名前は俺の胸にもたれ掛かった。
先程同様に背も拭いて別の服を着せる為に名前を壁にもたれ掛からせた。
「クローゼット開けるからな」
引き出しを開き適当に目についた楽そうなTシャツを取り出した。
そこで汗をかいていたのだから熱いタオルで拭いてやった方がいいかと思いいたって俺はもうタオルをお湯で洗った。
すぐに戻ってそのタオルを首元にあててやれば気持ち良かったのか名前の顔色が少しだけ良くなった気がする。
「大丈夫か?···なんかしてほしいこととかあるか?」
視線がこちらに向いていたのでそう尋ねれば名前は俺の後ろを指差し言葉を発した。
「···空気清浄機、つけて····あと、トーマスに出そうと思ってたカヌレが冷蔵庫に···」
「馬鹿、違う、お前がしてほしいこと聞いてんだよ!」
こんだけ弱ってる癖にこいつは何を言っているのかと呆れてしまうがこいつはこういう奴だ。
だがこれだけ気を使う奴が俺にすぐに帰れと言わずにされるがままになっているということに俺への信頼度が窺えた。
それは少し嬉しく思う。
名前は俺をじっと見つめた。
「···なんでも言えよ」
「····キス····したい···」
そして再び開かれた口から出た言葉に俺は驚いて固まってしまった。
こんなことを言われたことが始めての事なのだ。
名前は俺を見てはいるもののどこか虚ろで。
湿って少しうねった髪と熱で赤みを帯びた表情に情事の時の名前が重なった。
汗を拭く為に脱がせた肌を改めて意識して緊張から自分自身に手のひらに汗が滲んできた。
「···か、勘弁してくれ···俺はそんなに出来た人間じゃない、から···こんなお前に対してだって····」
欲情してしまう、そう言い終える前に名前は目を閉じて眠ってしまった。
それを見て俺はため息をついた。
そして予定通り換えの服を着せて再び名前をベッドに寝かせ、布団をかけた。
俺は無駄に疲れてしまい床に座り込んでベッドにもたれ掛かった。
「···ったく、普段なら絶対んなこと言わねぇくせに···」
名前の一言で俺の方も汗をかいてしまった。
熱を持ってしまった下半身を見て再びため息をついてしまう。
堪え性のない俺が我慢出来たのは奇跡だ、なんて思うあたり俺は自分に甘い。
「····そんな事普段から言ってくれよ」
振り返り名前の顔を見ると熱のせいで赤いままではあるがやはり少し顔色はよくなったように思う。
脱ぎ捨てられた服が通勤着っぽかったことから昨日帰ってきた頃にはかなり悪化して力尽きてしまったのだろう。
散らばった衣類と先程使用したタオルを洗濯機に入れスイッチを押した。
これくらいなら俺でも出来る。
他に俺に出来る事はなんだろうかと考える。
「···取り敢えずなんか、名前が食えそうなもんでも買いに行くか」
食料は何かあるのだろうかと考え冷蔵庫を開ける。
するとそこには皿に乗ったカヌレがあった。
先程名前が言っていたものだろう。
袋や箱に入っていないところを見るとこれは名前が昨日の朝にでも俺の為に作ったものなのだろう。
皿を取り出し手掴みでそれを食べた。
立ったままでけして褒められた行動ではないが食べたカヌレは美味かった。
きっと名前と話をしながら隣で食べられていたらもっと美味く感じられただろう。
食べ終えた俺は再び靴を履いて外に出る。
おかゆの1つでも作ってやろうかとも考えたが俺は料理が上手いわけではないのでそれは却下した。
元気になった名前と一緒に何か作れたら、そんなことを考えながらコンビニへと歩いた。