私の理想の最期

その日は幸せな休日な筈だった。
いや、間違いなく幸せだった。
彼と会えたその日を幸福以外なんと呼べようか。

「(····ちゃんといる)」

なんてことはない、ただ悪夢を見て飛び起きただけだ。
まるで子供のようだと笑われるだろうか。
私自身そう思う。

「(それでも絶対なんてことはない、なんだってそう)」

夢の中でトーマスが私の目の前で息を引き取った。
眠るように横たわった彼の肌に触れると体温を感じなかった。
そこで彼が本当に死んだのだと理解した。

今思えばそれは夢の中の出来事なのだから体温なんて感じる筈がないのだ。

「···あったかい」

震える手で隣で眠る彼の頬に触れれば確かな温もりがあった。
彼が生きている事を実感して安堵のため息をついた。

「···どうした?」

ほんの一瞬目を閉じたその時私の手に温もりが触れる。

「···ごめん、起こしちゃった、ね」

トーマスの宝石のように美しい目が此方を見つめている。
その瞳に映された自分が羨ましいなんて、それを口にすればきっと意味が分からないと首を傾げられてしまうだろう。

「いや···眠れないのか?」

「ううん、ちょっと夢見が悪くて起きちゃっただけだから、大丈夫」

トーマスは私の手を引っ張った。
私はトーマスの胸に倒れ込んでしまう。
それほど力強く引かれたわけではないので踏ん張ることも出来た。
それでもそれをしなかった。

「名前が大丈夫って言うのもう口癖だな」

よしよしと子供を可愛がるように撫でられた。
これを私は期待していたのだ。
彼の手に触れられる権利も触れる権利も私は持っている。
こんな幸福が他にあるだろうか。

「トーマスが死んじゃった夢を見たの、私の目の前で」

「へぇ···そりゃあ、···夢の中の俺は幸せだったんだな」

トーマスが何を言っているのか理解出来なくて彼の顔が見たくて胸に伏せていた顔を上げた。
そしてますます分からなくなった。

「···どういう、意味?」

何故そんなに穏やかな表情で笑っているのだろう。
私は今にも泣きそうになっているというのに。

「そんな顔するなよ。
だってよ、お前に···好きな女に看取られて死んでいくなんて、俺には身に余るくらいの幸福なんだよ」

トーマスはずっとこうなのだろうか。
自分が人を傷付けた事を一生忘れない、十字架を背負い続けて生きていくのだろうか。

「そんなことが幸せだなんて、トーマスは狡い。
そうな風に言われたら、なら私はどうしたらいいの?」

トーマスは悪い悪いと謝りながら私の背中を撫でた。
これではまるで私が駄々を捏ねて宥められているようではないか。

「どうしたら、じゃなくて名前は何を望んでるんだ?」

「私の、望み···」

なんとも酷な事を聞いてくれる。
それをすんなりと言えるのなら私ははじめからこんなにめんどくさい女でななかっただろう。

「俺も面倒な奴だとそれなりに自覚してるが名前、お前も大概だよな」

「何を言っ、」

トーマスは私の顔を引き寄せ唇を塞いだ。
トーマスの唇が柔らかくてあたたかい、それをはっきりと感じるのは私の唇が緊張で冷たくなっているのかもしれない。

「知ってる、でも俺はお前の口から聞きたい、お前の大好きな男のお願いだ。
それでも嫌か」

「うわっ、」

トーマスは身体を反転させ私の上にのし掛かった。
まるで逃げることは許されないと言われているようだ。

「···強引だね」

「お前が頑固だからな。普通に聞いたって答えやしないだろ」

再び合わせられた唇。
もっともっとと彼の腕を掴む。

「言わないなら止める」

「···してくれないなら言わない」

やはり私は子供だ、トーマスは私を呆れ顔で笑う。
その笑顔が優しくて堪らなくて泣きそうだ。

「···トーマスが私を嫌いになったりもっと好きな人が出来て私から離れていくのは構わないの」

このままでは涙を我慢出来そうにない。
だから私は勇気を振り絞った。

「俺の事そんなに信じられねぇのか」

責めるような言葉だ、でもその声色はとても穏やかだった。

「違う、そうじゃない、だけど、···そうなっても仕方ないって思うの、嫌だけど。
でも私はそうなった時何も出来ないから、だからいいの」

「へぇ···それで?」

トーマスが私の首筋に噛み付いた。
いつもより歯がしっかりと食い込んでいて痛い。
これは少しだけ苛ついている証拠だろう。

「でもね、ずっと一緒にいるなら絶対に私を置いていかないでほしい」

「それは···俺に先に死ぬなって言ってるのか?」

トーマスはなんとも言えない顔で私を見た。
私は彼の問いに頷いた。

「トーマスのいない世界でもう生きていけないから」

トーマスはキョトンとした顔をした後声を出して笑った。

「ははっ···俺も随分愛されているらしいな」

そして今度は嬉しそうな顔で角度を変え味わうようにキスをした。
少し鉄っぽい味がした。
噛まれた首は血が出る程強く噛まれてはいない筈だ。
だとしたらこれはトーマスの血だろうか。
元々口内を怪我をしていたのか、今怪我をしたのか、おそらく後者だろう。

「俺は名前に看取ってもらうの、夢だったんだけどな···そうか、名前は俺に看取ってほしい、か···」

トーマスは話しながらまだ笑っている。
そんなにおかしな事を言っただろうか?

「そうだな、怖い夢を見ただけで泣いちまうような奴を置いて先に死ぬわけにはいかねぇよな」

わしゃわしゃと先ほどより荒々しく頭を撫でられた。
きっと髪はくしゃくしゃになってしまっているだろう。

「よし、分かった。
ならお前の事は俺が看取ってやる、だから安心しろよ」

トーマスは軽い口調でそう言った。
本当に私の気持ちを理解してくれているのだろうか。
私がトーマスのいない世界で生きていけない、それは本気で言っていることなのに、どうにも本気にされていない気がする。

「信じてねぇな。
そうだな···じゃあこれならどうだ?
俺が万が一何が病気にでもかかってもう長くないって分かったとしたら、その時は俺がお前を殺してやるよ」

先程とは違いトーマスは真面目な顔でそう言った。
こんな話をトーマスが冗談で言う筈がない。
だからそれが本気だということは理解した。

「···本当、に?」

「ああ、俺はお前には絶対嘘を付かない。
お前が自殺するところなんて見たくない、だからせめてお前の事は俺が殺してやるよ」

優しい、なんて優しいのだろうか。
これは私にとって都合の良い夢の続きを見ているのだろうかと疑ってしまうほどに。

「トーマ、ス」

トーマスが好きだ、きっとこんなに誰かを愛しいと思うことなんてもうないだろう。

「ん、どうした?」

力いっぱいトーマスに抱きついた。
私はどれだけそうしていたって咎められることはない。
私はその権利を得ている。

「···ちゃんと話したから、だから続き、して?」

だから私は彼を求める、この命が消えてしまうその日まで、ずっと。

「そうだな、約束、だからな」

夜はまだ明けない。

心地良い闇夜は私の恥じらいを隠してくれる。

彼の目に映る私を見て笑った。

私の方がずっと幸せだ、私は貴方が愛して止まない彼に見つめられている。

どうだ、羨ましいだろう、と