それでも貴方を

今日も昨日までと変わらない、それはどれだけ幸せな事だろうか。
昨日が何もない、そんな1日だったとしたなら尚更だ。
だがそんな幸福はけして私に訪れなかった。

私にとって昨日はずっと前、あの日階段から落ちたその前だ。

きっと今私が見ている、生きている人生は夢なのだ。
早く目覚めなければ、そしてその時一番に見るのはあの頃の貴方。

そしてもう一度恋をする。
狂おしい程貴方を想って、私は貴方を愛し続ける事だけを考えて生きていく。







電話が着信を告げる。
それは登録されていない番号だった。
無視してしまうことが正解だ。
だが私は簡単にその判断を下すことが出来なかった。

着信の相手が幼なじみだと気付いてしまったのだ。
大切だからこそ電話帳から消した彼だった。
ずっと変わっていない番号、昔は頻繁に通話していた、登録などしていなくともとっくに記憶してしまっている。

悩んでいる間も呼び出し音は鳴り続ける。
私は一つ深呼吸をして心を落ち着かせ、鳴り続けていたそれを手に取った。
そして何かに怯えて震える指で通話ボタンを押した。

耳にあてれば聞こえてきたのは慣れ親しんだ声だった。

「····名前」

「···な、に」

動揺は隠しきれずに声が詰まった。
それでも私は自分の焦燥感をひたすら誤魔化した。
この電話はただの友人からの電話だ、ただそれだけだ、と。
けれどもそれは途端に覆えされる。

「久しぶり····でもないよな、その、俺お前に言いたい事があって、········単刀直入に言う、俺達、別れた···その直後にこんな話おかしいって分かってる。
でも、俺、もうお前が···」

私は彼が全て言い終える前に通話終了ボタンを押してしまった。
そしてそのまま電源ボタンを長押しして電源をオフにした。

震えが止まらない、吐き気が我慢出来ない。
私は慌ててゴミ箱を抱えその中に不快感を吐き出した。
何がそんなに恐ろしかったのかそれを理解している、だからこそそれは私を追い詰めた。
考えてはいけないその可能性が頭に過って、その脳裏に浮かんだ事があまりにも不誠実で、気持ち悪くて堪らない。


胃の中に入っていたであろうものを全て吐き出してしまった頃少し楽になった。
だがこれで終わりではないだろうという予感、それが外れる事はなかった。

口の中をゆすいで顔を洗ったその時来客を知らせるインターホンが鳴った。
私はタオルを顔にあてたままその場で固まった。

動けずにいる私を追い詰めるように再びインターホンが押された。
今は夜で部屋の電気が付いているのは外からでも分かるだろう。
居留守はきっと通じない。

私は玄関のモニターに映った客人を確認する。
私の予想はやはり外れなかった。




「···いらっしゃい」

ドアの鍵を開け扉を開いた。
来客者は私の想像した通りの友人だった。
先程幼なじみから別れたと知らされた、その相手の私の親友とさえ呼べる人。
今は出来れば顔を見たくなかった人。

「···ここでいいから、少しだけ話をしたくて」

友人は部屋に上がる気はないらしい。
全てバレているのかもしれない。
それも当然かもしれない、私達は唯一無二の存在とさえ呼べる程、本当に仲が良かった。

「···聞いたよね?···私達、別れたの」

「···」

私は黙ったまま頷いた。
先程自身が発した言葉があまりにも枯れていたからだ。

「······お願い、信じて···私は絶対貴方を裏切らない」

「···な、···が、言いたい、の?」

友人の言いたいことが何となく想像出来た。
だからこそ私の心にもやが生まれる。

「···私の気持ち、本当は気付いていた、よね?」

これ以上喋らないで、と友人を突き飛ばしたくなった。
それでもそんなこと絶対にしたくなくて私は自分の腕を掴んだ。
爪が食い込んで自身の肉が切れた。
私はこんなに攻撃的な感情を友人にぶつけようとしていたのかと気付いてゾッとした。

「···私は別れたからって貴方の恋人に近付こうだなんて思ってない」

「······や、めて」

友人を拒絶する言葉を口にしたのは初めてかもしれない。
それでも私はもう狂ってしまっていたのだ。

「お願い、私は自分の気持ちに、彼にけじめのつもりで···それのあの人が名前の事をどれほど大事に想っているか、きっと私が一番知ってるの。
それは私だって同じでっ···ねぇ···トーマスさんと一緒にいて、幸せ?」

私は友人の言葉に頭が真っ白になって、それは途端に黒く染まっていった。

「···ああ···私の為に自分は身を引いた···そう言いたいの?」

そして私は信じられない程おぞましい言葉を口にした。
友人は驚いた表情で私を見て固まった。
いや、これは傷付いた顔だろう。
それでも私の言葉は止まらない。

「そうね、彼はきっと一途よね。
だって貴方と付き合っている時でさえ私を想い続けていたのだから。
ねぇ、男の人って、ううん、人って愛なんてものが無くても身体を許せるのよね?」

友人が傷ついた顔をしている。
そうさせたのは私だ。
私は実に身勝手で最低な行為をしている。
理解していれどそれは止まらない。

「トーマスは貴方の事を愛してくれないけれど貴方が望めば抱いてくれるよ。
なんなら私から頼んであげようか?」

「名前!!!」

私は何を言っているのだろうか。
私をこれまで大切に思ってくれていた友人に私は一体何を。
彼を愛して、あの瞬間から私は醜くなった。

「···もう、来ないで」

「待って、名前!!!」

あんなに大好きだった、特別な友人を突き放した。
私にはもう敵にしか見えなくなっていた。
それでも恋人がいたから、だからこそ彼女らだけは、例えトーマスを意識していても恋人がいる友人ならば、友人だからこそ信じる事が出来た。

だがもう私にはそんなことすら出来ない程おかしくなってしまったのだ。

私は友人の言葉を無視して部屋の扉を閉め鍵を閉めた。
友人はドアをドンドン叩いて私の名前を呼んでいる。
私は部屋に逃げ込んでヘッドホンを付け大音量で適当に音楽を流した。
頭が痛い程の音量に眩暈がした。

扉を叩く音はもう聞こえなくなった。
ヘッドホンから流れた音楽は学生時代友人と初めて一緒に行ったライブで一曲目に聞いた曲だった。
私は涙を流して床に丸まった。
眩暈を覚える程の音量で流れる明るいメロディ。
それは青春を唄った歌だった。
恋なんてまだ分からない、大切な仲間と過ごす幸せな時間。
それはけして戻らない。

ああ、どうして私は人を好きになってしまったのだろうか。
恋を知らずにいたら私はこんな感情を抱かずにすんだのに。

もう全て終わらせてしまおう、そう決意する。

この日私は夢を終わらせる決心をした。

もう引き返す場所はない。
私はそれを自ら捨ててしまったのだから。







「この前は悪かったな、名前」

あの日から一週間程して私は無理を言ってトーマスに時間を作ってもらった。
猶予は一時間程だ、だがそれだけあれば十分だ。

彼は心底申し訳なさそうな顔をしている。
私はそんな彼に笑顔を取り繕う事をやめた。

すぐに彼は私の異変に気付いて表情を硬くする。

「名前、どうし」

「触らないで」

手を差し出そうとした彼に私はナイフを向けた。
彼は伸ばしかけた手をピタリと止め固まった。

「ねぇ、もうやめよう。
こんなのは恋じゃなかった。
トーマス、私に殺されたくなければもう二度と私の前に現れないで。
もう、貴方のせいで何も失いたくないの」

彼が目を見開いて私を見ている。
ああ、彼は私が彼のしている事を気付いていないとでも思っていたのだろうか。
だとしたら私も彼に負けず劣らず役者だったのかもしれない。

「もうね、沢山。
貴方のファンに嫌がらせを受けるのも貴方が別の女の人を抱くのも。
我慢するのも嫌、気付かないフリをするのも疲れた。
ねぇ、ならどうしたら良いと思う?」

彼と別れた後私に何が残るだろうか。
つい先日大切な友人を二人自らの意思で切り捨てた。
そんな私に訪れるのは孤独だ。
だがそれも仕方のない事だと分かっている。

「選んで、トーマス。
私の為に築いてきた地位も名声も、デュエルすら捨てるか···それとも私を捨てるか」

答えなど分かりきった選択肢だ。
天秤に架ける価値も無い。

「···名前」

さぁ、これで終わりだ。
私の命はここで尽きる。
この後彼は私を訴えるかもしれない。
私のやっていることは脅迫、殺人未遂だ。
捕まってもなんの不思議もない。
それは彼にとって正当な権利だ。
私の人生はなんて惨めなものだったのだろうか。
後悔した所でもうどうしようもない。
口から発してしまった言葉が消えること、それは永遠に叶わない。




「俺の答えなんて決まりきっている」



「···あ、ぇ」

トーマスの表情は至って平静を保っていた。
そしてゆっくりとした動作でトーマスは鞄からデッキを取り出した。
それは彼の武器、魂と言っても過言ではない。
そんなデュエリストにとって命とも言えるそれを手に持ち彼は言った。

「これが俺の名前に捧げる想いの答えだ」

トーマスはカードを数枚手に取り次の瞬間なんの躊躇もなくそれを無惨にも破ってしまった。

彼は淡々と、作業的に数枚手にとっては破ってひらひらとそれが舞う。
やがてそれはただの紙くずとなって床に散らばった。

私はあまりの状況に床に膝をついた。

「な、なんでっ!?、どう、してっ、こんなっ····!?」

私が求めたことをしただけの彼に私はそう訊ねた。
彼はやはり表情一つ変えずに淡々と私の問いに答えた。


「···俺は選んだだけだ」


トーマスは私の前に膝を着き私の手からナイフを取り上げた。
そしてそれを自身の首もとにあてる。

「信用出来ないと言うなら俺の命全部を名前にくれてやる」

「っ、、や、やめっ···!!」

私は慌てて彼からナイフを奪い返した。
その時彼の頬をナイフが掠めてうっすらと傷を付けた。
赤い線が頬に描かれ、そしてそこから血が滲んでぽたぽたと床に落ちた。


「俺に名前を捨てるという選択肢は端から存在していない。
けど名前、お前が俺を捨てるというなら俺はお前を殺してでも俺の元に縛りつける」

トーマスが私の肩を抱く。

「お前が愛したデュエリストIVはもう死んだ。
それでもお前はただの一人の人間となった俺と生きる事を望選んだ」

トーマスの目は狂ってなどいない、至極まともだった。
それが逆に恐ろしい。

「なぁ、二人で人なんて殆ど住んでないような島にでも引っ越そうか。
金なら心配しなくていい。
贅沢はさせてやれないが二人で生きていくくらいならなんとかなる程度には蓄えてある」

ゾッとするほど優しい声だった。

「毎日一緒に寝て一緒に飯を食って、毎日愛し合おう」

耳元で囁かれる甘い誘惑、それは悪魔の囁きなのだろうか。


「お前は俺の為に全てを捨てられるか?」



それはそれは、とても甘くてとても苦い

そして私達は二人になった
大切だった筈のものを全て捨てて

私はこれからも夢を見る
永遠に覚めない夢がせめて私が生きている間は続くように願って

おやすみなさい、またいつか

かつて大切だったものに別れを告げて私達はそこを旅立った