隣で眠る名前を見た。
その安心しきった顔に自然とこちらの頬も緩んだ。
「名前」
名前を呼んだ軽く肩を揺すった。
すると眉間にシワを寄せながらもまだ寝ていたいと甘えるように俺にすり寄った。
「名前」
もう一度名前を呼べば今度こそ名前は目を開けた。
頭の方はまだ起きていないようでぼんやりとしていて焦点が合わない。
「おはよう、名前」
「···おはよう」
名前はまだぼーっとはしていたがそれでも俺を認識すると挨拶を返した。
そして腰に抱き付いた。
「トーマスはいつも早起きだね。
ここに来てから一度もトーマスより早く起きられた事がない」
「ああ、朝は得意な方かもしれねぇな」
未だ眠そうにしている名前の額に唇を押し付ければ名前もまたお返し、と俺の頬に唇を押し付けた。
そしてのそのそとベッドから起き上がる。
「朝ごはんどうしようかな」
「忘れたのか?昨日の夜残ったパンを卵液に浸けてただろ。
今日はフレンチトーストって楽しみにしてたじゃねぇか」
名前は、ああそうだったと言って冷蔵庫を開けて一晩浸しておいたフランスパンを取り出した。
卵液は殆どパンに吸われていた。
それを見た名前はご機嫌だ。
「グラニュー糖をかけて表面をカリカリにしよっかな」
フライパンを熱してバターを落とした。
「俺は蜂蜜が良い」
名前は笑ってそれに頷いた。
「そうだね、きっとその方が美味しい」
バターの香りが漂ってきた頃フライパンに染み染みになったパンが乗せられた。
じゅうじゅうと音を立て始めたそれはさらに食欲をそそる薫りへと変化していく。
俺はケトルに水を入れスイッチを押した。
「コーンスープが良い」
「分かってる」
粉末のそれをカップに入れる。
甘いものを食べる時はしょっぱいものが欲しくなる。
手抜きかもしれないが朝はこんなものでも十分ご馳走だ。
以前名前はコーン缶を、下手をすればとうもろこしを茹でるところから調理を初めていた。
だがこの生活を始めた頃にそれはやめようと決めた。
たまにであればそれも楽しいだろう。
だがそれを当たり前にしてしまってはいつか必ず負担になると分かっているからだ。
何よりも二人に負担がかからない生活を少しでも長く送りたい。
そんな願いから作られたルールだ。
「シナモンもかけちゃおうかな」
「アイスがあったろ?それはお茶の時の楽しみにとっておいたらどうだ?」
俺の提案に名前の表情は明るくなる。
そうする、と大きく頷いて焼けたフレンチトーストを皿に乗せた。
その頃ケトルのお湯が沸いたので俺もお湯を粉末の入ったカップにお湯を注いだ。
スプーンで混ぜれば朝食はそれで完成だ。
「焼く前に蜂蜜をかけたから表面はカリカリに焼けたよ!」
「ああ、美味そうだな」
名前がグラニュー糖を使いたかったのはカリカリとした食感を楽しみたかったからのようだ。
ナイフを通せば確かに表面はカリッとしていた。
「ん、美味いな」
表面とは売ってかわってパンの中心は卵液をたっぷりと吸っていてとろとろの食感だった。
そして表面はほんのりと焦げた蜂蜜が少し苦味も含みパリッとした触感と共に良いアクセントになっていた。
それは上質なデザートのようだった。
「アイスと林檎のシロップ煮とか乗せてみたいな」
「凄いカロリーになりそうだな」
想像しただけで甘過ぎるレシピにそう苦言を溢せば名前は拗ねた表情で自身の腹に触れた。
女というものはやはり気になってしまうらしい。
「トーマスも結構甘いもの食べてるのに、全然太らないよね」
「まぁ俺は元々太りにくい体質みたいだからな」
名前はずるい、と膨れ顔でフレンチトーストを口に運んだ。
きっとダイエットはそう簡単に成功出来ないタイプの人間だろう。
「太ったらちゃんと教えてやるし痩せたければ協力してやるから、だから気にしすぎるなよ」
「嘘、だって私ここに来てから3kg太ったのにトーマス何も言わないじゃない」
名前の体型の変化には勿論気付いていた。
だがそれは俺が気にするようなレベルでは無かったし何より以前より今の方がずっと健康的に見える。
だから俺はそれは良かったのだと思い指摘はしなかった。
「取り敢えずそうだな、名前を抱き抱えられなくなったら一緒に頑張ろうな」
「···そうならないように気をつけるね。
今度の宅配では野菜多めに注文しておくね」
名前はそう言って皿に残った最後の一口分のパンを口に運んだ。
そして丁度良い温度になったスープを飲み干して手を合わせてご馳走さまでした、と言った。
俺も同じように朝食を平らげた後ご馳走さまの挨拶をして席を立つ。
名前が食器を洗っている間に紅茶を淹れる、それは俺の役目だ。
「今年は野菜が高いね。何か簡単な野菜でも育ててみようかな」
「良いんじゃねぇか?ついでに観察日記でも付けてみたらどうだ?」
同意しつつ冗談混じりの提案をすれば名前は小学生じゃ無いんだから、と不満を口にした。
だがそのすぐ後、大人になってからやるのも楽しいかもしれない、と先程とは真逆の意見を口にした。
ころころと感情が変化する所は見ていて飽きない。
「じゃあ種と、肥料とプランターと····始めは土も買っておいた方がいいかな。
ここの土が合うか分からないし」
食器を洗い終えた名前は再び席に着きタブレットでそれらをカートに入れていく。
そしてメモしておいた買い物リストから順番に食材や日用品もカートに入れていった。
俺達は本土からかなり離れた島に住んでいる。
必要なものはもっぱら通販で買っているが送料だけでも馬鹿にならない値段になってしまう。
だから俺達は2週間に一度定期船が来るタイミングで買い物をしている。
その時であれば比較的良心的な送料で購入する事が可能だ。
これで確実に欲しいものを購入する為には予め注文しておく必要がある。
2週間分ともなると二人分の買い物でも中々の量になる。
だからこそ野菜を自給自足出来ればそれはかなり効率的だ。
最も俺も名前も野菜作りなどしたことがないのできちんと実が実るかは定かではないのだが。
だが仮に失敗してもそれはそれだ。
いつかそれがきっと良い思い出になるだろう。
「お仕事順調?」
「ああ、今夜には終わる。
3日程休めそうだから今夜は沢山可愛がってやる」
名前はその言葉の意味を理解したようで頬を赤くして顔を伏せてしまった。
怒って否定しない辺り名前もそれを素直に喜んでいるのだと分かり今すぐ抱きたくなってしまう。
「じゃあ俺はそろそろ取り掛かるから、夕飯迄には絶対終わらせてやるよ」
先程淹れたお茶を飲み干して席を立つ。
「いつもありがとう、お昼には声をかけても大丈夫?」
名前の問いに頷いて仕事部屋に使っている部屋へと移動した。
デスクについてパソコンを起動する。
俺は偶然出来た伝を使ってプロデュエリストを引退した後子供にデュエルを学ばせる教材作りの手伝いをする仕事をしていた。
貯蓄は普通の職についている同年代からすれば考えられない程蓄えていた。
それでも一生それで食っていけるかは分からない、その時はどんな手を使ってでも名前を養っていこうと考えていた俺にはクリーンすぎる仕事だ。
あの日デュエリストとしての魂とも呼べるデッキを無惨な姿にした俺にそんな資格があるわけが無かった。
それでも俺は俺達の平穏の為にその仕事を受けた。
あの日あった事は永遠に俺と名前だけの秘密だ。
「本当に終わっちゃったね」
「最初に言っただろ?ちゃんと終わらせるって」
夕食を終え二人で軽くシャワーを浴びた後宣言通り俺は名前を抱いた。
以前よりも名前は素直に俺を求めるようになっていた。
その変化はあまりにも幸せで以前よりずっと俺達は盛り上がった。
「肩凝ってるね、お疲れ様」
二人でゆっくりと湯船につかる。
基本的に風呂もベッドも二人で入るというルールがあるので家はそれなりに古いが風呂は改築してゆったりと過ごせるようにした。
俺としては狭ければ狭いでその分引っ付けるからいいのだが、きっと年齢を重ね、どちらかの体が先に弱ってしまった時には不便だろうという考えからだ。
「マッサージもいいけど俺はこっちのが嬉しい」
俺の肩を軽く揉んでくれていた名前を抱きしめた。
名前眉尻を下げながらも俺の背に腕を回し大人しく抱きしめられていた。
「こういう日ってなんだか寝ちゃうのが寂しい気がする」
「分からなくはねぇけど明日いつも通り起きて朝から二人でいちゃつくってのも悪くないと思うぜ?」
子供のような事を言って甘える名前に軽いキスを送れば名前は首を縦に振る。
俺に対して従順すぎるくらいだ。
名前は自覚こそしていないがきっと負い目を感じているのだ。
俺からデュエルを奪ったことに。
「父さんが名前の顔が見たいってうるさいから明日は久しぶりに少し外に出て写真を撮るか」
「じゃあ明日はお弁当を用意して、あ、お化粧もしなくちゃね」
ここには娯楽と呼べるものは殆ど無かった。
それでも俺達を邪魔するしがらみは何も無かった。
島に住んでいるのは俺達を除けば老人が両手で数えられる程しかおらず俺の事も知らない人間ばかりだった。
そして俺達を物好きな夫婦だと笑いながらも必要以上の接触を控えてくれている。
俺達は運が良かった。
お互いの家族には俺達がこうして暮らす事を告げてきた。
行方不明や失踪などと騒ぎ立てられてしまえば俺達の生活が台無しになってしまうからだ。
全てを正直に伝えてなどいない。
父さんはあんな人だからきっと何かある事を察していたと思う。
それでも俺達の事を反対しなかった。
名前の両親はきっと本当は反対だったと思う。
挨拶をした時の態度に違和感を感じたのだ。
きっと父さんが協力してくれたのだと思う。
俺は一生父さんには叶わないだろう。
「今日はロシアンティーがいい、今日ね、お昼にジャムを作ったから。
お砂糖少なめにしてるから早めに食べないと傷んじゃう」
「初めからそのつもりで作ったんだろ?」
寝る前には俺がもう一度紅茶を淹れることになっている。
甘いものが好きな名前はどうしても紅茶に砂糖や蜂蜜を入れてほしいとねだる。
まるで子供だ。
「しっかり歯磨いて寝るんだぞ。
ここは虫歯にでもなったら面倒だぞ」
「分かってる」
ここには勿論病院が無い。
だから船で近くの島に航るしかないのだ。
勿論その船だって定期便を除けば出ていないのでこの島に昔から暮らす住人に頼る他手は無い。
「不思議、私寝つきが良い方じゃなかったのにここに来てトーマスの紅茶を飲んだらすぐに眠れるようになったの」
「ああ、たっぷりおまじないをかけてやってるからな」
名前のリクエスト通りジャムの入った紅茶を冷ましながらもゆっくり味わった名前はあくびを一つしてそう言った。
「ほら、歯磨けよ」
名前は頷いて素直に歯磨きを始めた。
俺はその間に二人分のカップを洗う。
「トーマス···もう眠い···」
歯を磨き終えた名前を目を擦りながら俺の服を掴んだ。
「すぐに行くから先にベッドに入ってろ」
頭を撫でてそう促せば名前は早く来てね、と言って寝室へと移動した。
俺も歯を磨き寝室に移動する。
ベッドの上には今にも寝落ちしそうな名前が必死で寝まいと睡魔と戦っていた。
「待たせたな、さぁ、寝るぞ」
電気を消して名前の隣に寝転がり抱きしめた。
「···ん···おやすみ···トーマ···ス···」
我慢の限界だった名前はすぐに眠ってしまった。
俺は眠った名前にキスをして力強く抱きしめる。
それでも名前は既に深い眠りについている。
けして起きる事は無い。
「···名前が薬の効きやすいタイプで良かった」
俺は俺の腕の中で眠る愛しい愛しい女を見て微笑んだ。
名前はけして俺より後に眠る事も俺より早く目覚めることも無いのだ。
「明日は俺が名前の為にサンドイッチでも作ってやるから」
今名前がこんなにも幸せに眠っているのは全て俺の愛のおかげだ。
紅茶に注がれたそれは砂糖なんかよりずっと甘い俺の愛の証だ。
「俺がいない時間を過ごすのなんて望んでないだろう?
だから俺が寝ている間は幸せな夢を見ていてほしいんだ」
名前は俺がいない世界で生きてなどいけないんだ。
それはあの日、俺がデュエリストである事をやめたあの時理解した。
「いつだって俺はお前を愛しているよ」
だからけして名前が寂しい思いをしないように、俺は紅茶に愛を注ぐ。
俺の起きていない夜に名前がけして一人で孤独に震えないように。
眠りに付くときはいつだって俺と共に。
これからもずっと一緒だ
end
いつかの夢を見た
それはとても大切で幸福な時間
大切な人がいた
私はそれが誰だかよく思い出せない
誰かが私を呼んでいた
振り返ろうとしたその時私は腕を掴まれる
私を掴んだその人はとても大切な人だった
私はその人の胸に飛び込んだ
私を呼んでいた声はもう聞こえなくなっていた
空耳だったのかもしれない
大切なその人は私を力いっぱい抱きしめた
どこかで懐かしい曲が鳴っている
それでもやっぱり私にはそれが何か思い出せない
大切なその人が私の耳を塞いだ
つまりそれは私が聴く必要のないものだということだ
ああ
私はこんなにも愛されている