我ながら身の丈に合わない恋をしたものだとため息をついた。
それが分かっているのになぜそうなったか、簡単な話だ。
だが人間の心というものは実に複雑に出来ている。
誰もが間違っている、不毛だからという理由できっぱりと切り替えられるわけでは無い、そう出来たならどんなに幸福だっただろうか。
眠る彼に目を向ける、随分信用されたものだ。
もしも性別が逆だったなら、彼は今と同じように無防備に私の目の前で眠りこけていただろうか?
否、性別など関係ない。
女であろうが男であろうが下心を持った相手が無防備な姿で目の前にいたのならばそれを食らってしまう可能性は無いと断言することなど出来ないだろう。
「····IV」
小さく彼の名を呼んだ。
けれど返事は無い、聞こえてくるのは以前規則正しい呼吸音、ただそれだけだ。
触れてしまえば目を覚ますだろうか、覚めてくれなければ困る。
私はそっと彼の背中に触れた。
その触れ方が優しすぎたのか彼はまだ目を覚まさない。
「IV」
先程より少し大きな声で彼の名を呼んだ。
けれどもまだまだ彼が目を覚ます気配がない。
目の下には隈が出来ている。
どうやらあまり睡眠を取れていないらしい。
頭を使う職に付いている彼がそんなことで大丈夫なのだろうか?
だがそんな心配は杞憂に終わるだろう。
彼はつい最近プロリーグで名誉ある成績を上げているのだから。
「大会中は緊張感であまり眠れていなかったのかな」
頬に触れればぴくりと彼の眉が動いた。
それでも彼が目を覚ます気配はない。
「···あんまり起きないなら襲っちゃうよ」
そんな言葉をかけた。
すると一瞬彼の規則正しく行われていた呼吸が少し乱れたことに気がついた。
それでも彼は目を開けようとしない。
彼が狸寝入りを決め込んでいることに気が付いた。
「IV....私トーマスの子供生みたいの」
耳元でそう囁けば途端に彼の頬や耳が赤く染まった。
それでも目を開けようとしない。
彼は自分が今どうなっているのか気付いていないのだろうか?
「今すぐ起きないならえっちな事しちゃおうかなぁ」
まだ起きない、ふと目線を変えてみれば彼のものが元気になっていることに気が付いた。
どうやら興奮しているらしい。
彼にとっては私もただの女の一人なのだろうか?
取り敢えず私の事もそういう対象として見てくれていたことに安心した。
男友達か何かのように思われていたのだとしたらあまりにも救いが無かったから。
「····今からキスするから、私のことただの友達としか思ってないなら、嫌だったらちゃんと起きて拒絶してね」
私は賭けに出た。
彼も若く男である以上性欲に駆られて過ちを犯してしまう事だってあるかもしれない。
だから今彼が狸寝入りを決め込んでいるのは一時の気の迷いかもしれない。
それでも私達はそれなりに時間をかけて信頼関係を築いてきたのだ。
きっとそれなりに大切に思ってくれている、そんな友人の本心を知ってまで欲に駆られてずるずると身体を許してしまう、そんな事を彼がするとは思えない。
これは願いだ。
彼の身体に覆い被さった。
横向けで寝転んでいるからこそその睫毛の長さがよく分かる。
美しい見た目をしていると改めて実感した。
私は彼にとって一夜の思い出になんてなりたくない。
「···トーマス、···好きよ」
顔を近づけ唇が近付けたその直後、私の腕を彼が掴んだ。
閉じられていた瞼は完全に開かれており大きな瞳の中には悲しげな女が一人。
「····おはよう、IV」
私を拒絶した、そんな彼を見つめる。
彼への愛しさは変わらない。
けれどもそれは一方通行で。
これが少女漫画だったならきっと熱くなった鼻、必死で涙を流すことを耐える女がいたのだろう。
「なんでだよ」
早く退かなければ、そう考えた瞬間私の身体はぐるりと逆転して今度は私が彼に見下ろされていた。
「さっきまで名前で呼んでいたのに、なんでまたそっちで呼ぶんだよ」
「····呼ぶ資格なんて、私にはないんでしょう?」
そして次の瞬間私の世界が止まる。
「お前になくて誰にあるって言うんだ」
強く強く抱き締められた身体。
ああ、彼の細い腕はこんなにも力強いのか。
彼の心臓の音はこんなに大きくて、こんなに暖かい。
「どうして寝たふりなんてしてたの?」
「下心ってやつだ、····好きな女が自分を襲おうとしてるだなんて、健全な男なら興奮するだろ」
硬くなった彼のモノが今布越しに私に触れている。
年頃の男の子とは皆そういうものなのだろうか?
好きな女だなんて、どうせならちゃんとした場面で聞きたかった。
「えっちしたいだけなんじゃないの?」
「少なくとも俺は今名前以外の女とそういう事したいって思わねぇよ」
その言葉を信じたい。
仮に信じられなかったとしても、これがその場かぎりの嘘だったとしても一度でいいから彼に抱かれてみたいという気持ちもある。
それでも私にはその勇気がない。
一度でいいから、なんて嘘だ。
彼が私以外の女性を抱く所なんて想像したら気がおかしくなりそうな程嫉妬してしまう。
「トーマス私以外の女の子ともうシてるじゃない」
「···それは···変えられない事実で、でも今はほんとにお前にたいしてだけだよ、そういうの」
信じてくれと言わんばかりにぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
凄く苦しい。
でもこれは肉体的な苦しさではない。
「そんなんじゃなくて、ねぇ、はっきり言って。
私まだ聞いてない」
欲しい言葉をくれるまで絶対抱かせてなんかあげない、これは半分意地だ。
それくらい虚勢を張っていないとただただ都合の良い女になりそうで、それが怖かった。
私は実に曖昧だ。
勢いでも、一度きりでも、でもやっぱり一度じゃ嫌。
本気で愛してくれないならいらない。
結局はそこだ。
私が彼に釣り合っていないことなど重々承知している。
それでも私は諦めきれない。
彼に愛されたいというその願いを。
「ああ、俺もどうかしてた。
きっと関係が崩れて二度と会えなくなる事が怖かったんだ。
情けねぇ」
私を抱きしめる彼の腕が緩んだ。
そしてその手は私の頬を包み込む。
「本当はずっと前から好きだった」
そして私に断りも入れずに合わせられた唇。
自然と眼を閉じた私に彼を拒絶する意思など微塵も無かったのだ。
「いつかトーマスの赤ちゃん、生ませてくれる?」
「ああ、名前そっくりの女の子が欲しい」
なんて重い女だろうか。
想いが通じあった瞬間未来を語るだなんて。
トーマスだって内心呆れているだろう。
「トーマスそっくりの男の子がいい」
「そしたらずっとソイツばっか夢中になるのが目に見えてる。
名前が夢中になる男は俺だけでいいんだよ」
トーマスはそんな風に言ったけれどきっと彼はどんな子供でも素敵な父親になるのだろう。
それを一番近くで見ていられる存在になりたいと心から思う。
「ごめんね、今日実は出来ない日なんだ····だからまた、日を改めて、ね····」
「···こんだけ煽っといてここでおあずけかよ···
まぁいい、今はこれで我慢する」
トーマスが再び私にキスをした。
夢にまで見た彼とのキスは私をおかしくさせそうだと思った。
ネガティブな私はここでまたトーマスは一体どんな人と今までキスしたのだろうか、なんて考える。
「余計な事考えてねぇで今目の前にいる俺を見ろ、名前」
トーマスは狡い。
こんなにも私の心をざわつかせるのだから、きっと彼はとても悪い人なんだ。
「いくらでも染まってやるから。名前、お前も俺に染まっちまえ」
悪い遊びをしているようだ。
そしてやはりその誘惑はとても甘美的なものだ。
だからこそ依存性がある。
「好き、大好き」
不相応だっていい、私はもう彼を手離してあげるつもりなんて微塵もない。