夜が過ぎていく
彼が私の家を訪れたのは午前0時を過ぎた頃だった。
元々今晩は私の家に泊まる予定だったから問題はない。
22時を迎えようとしていたころ私はまだ到着しない彼に断りを入れてから1人で食事をすませた。
共に食べる相手がいないせいかなんだか今日はあまり食が進まなかった。
彼が今日予定よりも遅れているのは事故による渋滞が大きな原因の一つだった。
テレビでも放送される程大きな事故、被害にあったのが彼でなかったことは救いだった。
食事も終えソファーでぼーっとテレビを観ていた。
彼は私の部屋の合鍵を持っているし先にお風呂を済ませてしまおうか悩んでいた、そこでインターホンが鳴ったのだ。
「おかえりなさい。お疲れだったね」
「ん、悪い。遅くなっちまって」
ごく自然に額に唇を押し付けられた。
彼の顔に少し疲れが見える気がするがふらついたりする気配はない。
一度私に背を向け革靴を脱いだ。
今日はこのままここに来たらしい、遠征時にしか使わないキャリーバッグと紙袋が二つあった。
「家に帰らなかったの?」
「早く会いたかったからな」
予定では彼は一度自宅に荷物を置いてからここに来る手筈になっていた。
だが到着が遅れた事もあってだとは思うが私に会うことを優先してくれたらしい。
なんとも幸せな話だ。
そんな彼はキャリーの車輪を丁寧に拭いている。
「トーマスは何か食べられた?」
「ああ、名前が先に食うって言ってたから俺も適当に食った」
この言い分はきっと彼が食事として食べたものは携帯食の類だろう。
なんだか罪悪感を感じてしまうがいずれにせよ待っていた所で彼はこんな時間に食事はとらないことを知っている。
だから取り敢えずは今夜はもう諦めた。
明日何か温かいものを食べてもらえればそれでよしということにした。
「疲れたでしょ、すぐお風呂入る?」
「いや、ちょっと休んでからでいい」
トーマスはハンガーに自身の着ていたコートを掛け、スーツのジャケットを脱ぎネクタイを緩めた。
何度も見ている筈のこの所作に私はいまだどきりとときめいてしまう。
彼が男の人なのだと改めて実感させられるのだ。
「これみや、じゃない、こっちが土産」
二つあった紙袋のうち一つを私に差し出そうとした彼が慌ててその手を引っ込めもう一方の袋を私に差し出した。
「いつもありがとう」
なんだろうと少し気になりながらも私はそれを受け取った。
そして彼は手を洗ってくる、と一旦私の前から姿を消した。
そんな都合のいいタイミングもあって私は好奇心を抑えきれずこっそり最初に差し出された方の紙袋を覗いてしまった。
中には沢山の封筒が入っていた。
業務的な茶色や白の封筒ではない、色とりどりのそれに大体の見当がついた。
きっとこれらは彼のファンから貰ったものなのだろう、と。
封筒の色味からいって差出人はおそらく女の子ばかりではないだろうかと予想ができた。
一枚手にとって差出人の名前を見ようとした所で手を洗い終えた彼が戻ってきた。
「...ご、ごめんなさい」
「いや、べつに、やましい事とかあるわけじゃないから。いや、こっちこそ悪い」
勝手に彼の荷物を漁ったのは私だというのに律儀に彼は私に謝った。
本来であらばここにこれを持ってくる予定もなかったのだろう。
彼に女の子のファンが沢山いることなんて百も承知だからファンレター、いや、ラブレターだろうか?どちらにしろそれに腹をたてるつもりはないというのに。
「ファンの子達みんな喜んでると思う」
「...昔は正直全部処分させてたんだけどな」
その業務をおこなっていたのはミハエル君なのだろうか。
でもそうだとしたら彼がそれをしなくなったのはどんな心境の変化があったからなのだろうか。
少し気になったけれどはたして聞いていいものなのか、と悩んでいた所で彼が口を開く。
「俺が今でもこうやってスポンサーがついてデュエルで稼げてるのって応援してくれてる奴らのおかげでもあるんだよなって気付いたんだよ」
そう言って苦笑いを浮かべる彼の顔を見て思い出した。
出会ったばかりの頃の彼を。
彼はあの頃より大人になって昔は見えていなかったものが沢山見えるようになったのだと、それに気付いた。
「...そうだね。私もこの子達みたいにトーマスにファンレター書いちゃおうかな」
「名前は俺に直接言えばいいだろ」
トーマスは私の腰に腕を周し抱きしめた。
私も彼の背に手を添えれば今度は唇にキスを一つ。
「ほら、言えよ」
「えっと...い、いつも応援してます!」
いざそう言われてみて考えてみたものの絞り出された言葉はなんとも平凡なものだった。
もう少しなかったのか?と自身の語彙のなさに呆れながらも彼は私にもう一度キスをした。
「他には?」
「...その、いつもすごくかっこよくて...あの、大好きで...」
自分で言いながらファンレターとはどういうものなのかわからなくなってしまった。
そもそも私は誰かにそういう類のものを書いた事がないのだから当然と言えば当然の事かもしれない。
「かっこいいから大好きって?」
「あ、いや、その...優しいところも好き、だし」
おかしい、先程までファンレターの話をしていた筈だったのになんだか妙な空気になってきていた。
与えられる口付けはなんだか艶かしいものを含んでいるように感じられるようになっていて腰を抱く手に力が入っている。
「優しいとこと?あとは?」
「...そういう、とこも、嫌いじゃない」
ぬるりと口内に侵入した彼の舌が私の舌を舐めた。
そして小さく音を立て吸われ、唇が離された。
「そこは嫌いじゃなくて大好きって言えよ」
「...トーマスだって意地悪してるでしょ」
普段から私は彼にそれはもう大切に大切されている自覚があった。
恋愛経験がそれ程多いわけではない私も周りの友達から話を聞いたりしてそれなりに交際について年相応程度の知識はあると思う。
それを知った上で彼の私への優しさは異常だと思うことが多々あるのだ。
本当に大切に、宝物に触れるように優しく、だからこそだと思う。
「名前は俺に意地悪されるの好きだろ?」
本当に意地の悪い顔で笑う彼を愛しく思ってしまうのは。
周りの友達より彼は大人びて見える。
多分環境が彼を普通より早く大人にしたのだと思う。
そんな彼に愛されて幸せだ。
でも、だからこそ私は少し意地悪で子供のように私をからかう、そんな彼のことも大好きなのだろう。
「...トーマス、その...あたってるから」
「んじゃあシャワー行くか」
今日は一緒にご飯を食べて映画を観て、ゆったりと夜を過ごすつもりでいた。
でももうこんな時間になってしまったのだ。
色んな予定をすっ飛ばしてしまってもそれは仕方のないことだろう。
なんて、ここには誰も私を咎める人なんていないというのに誰に向けたものかも分からない言い訳をした。
「...明日寝坊したらごめんね」
「それは今日はいくらでも抱いてくださいっていうおねだりと受け取っていいってことか?」
「...ばか」
正直なとこら彼の解釈は間違っていないのだけれどさすがにそれに素直に顔を縦に振れるほどの豪胆さは待ち合わせていなかった。
でもきっとそんなこと彼にはバレている。
だってその証拠に彼はとても楽しそうな顔をしているのだから。
私は今からただただ彼に愛される時間を過ごすのだ。