初めての恋

『これ、おばさん今日急に出かけてなきゃいけなくなって夜になりそうだからって預かった』

それはお昼休みのことだった。
彼と一緒にお弁当を食べ終えお茶を飲んでいたとき。

「あ、うん。お母さんからメール来てた。ありがとう」

そう言って差し出された鍵を受け取りお礼を言うと彼はじゃあ、と一言。
余計な事は言わずにその場を後にした。
彼氏であるテツヤ君と一緒だったから気を使ってくれたのだと思う。
彼とは殆ど生まれた時からの友人、所謂幼馴染というもので。
テツヤ君にはそんな人がいるとふわっと話したことがある。
その時はとくに何か言う様子はなかったのだけれど。

「...あの、テツヤ君?」

私の手に絡みつけられた手、それは当然彼のもので。
学校でこういうことはあまりしない彼だからこそ少し驚いた。

「...自宅の鍵を預けられる程信頼されているんですね、彼」

そう言って私から視線を逸らした彼は少しむくれているように見えた。
いつも真っ直ぐ私を見る目が私を拒んでいるように思う。
それでも彼の手が私の手をしっかりと絡めて離そうとしない。
それがなんだかとても小恥ずかしい。

「...その、兄弟みたいなもんっていうか、私とってより親同士が古い友達みたいな感じで。だから...」

心配するような関係じゃないよ、そう伝えれば私の手を握る彼の手に力がこもった。

「そんなの分かってます。でもやっぱり少し嫉妬しちゃいますよ。だって僕名前さんの恋人ですから」

ストレートな言葉、彼はいつもそう。
見た目は本当におとなしく私と同い年と思えない程落ち着いているのに。

「好きな人のすぐ近くに気を許した男がいるなんて、何も思わない男なんていないと思います」

再び合わせられた視線にどきりとした。
ここが学校でなければきっと彼に思い切り抱きついていただろう。
いや、そのくらいしてもいいのだけれど。
なんとなく、なんとなくな思いで自制した。

「ごめん、でも本当になんでもないし...私が好きなのってテツヤ君だから...」

そこまで言って想像した。
もしも逆だったなら、と。
生まれた頃から彼とずっと一緒に過ごした女の子を。
きっと彼はずっとこう。
優しい優しい男の子、きっとそんな彼なら。

「名前さん?」

「...ごめん、私が言えたことじゃないんだけどテツヤ君に幼馴染の女の子がいなくて良かったなって、ちょっと考えちゃった」

私の言葉に彼はなんとも言えない表情になった。
そして小さくため息を一つ。

「本当に名前さんが言えた言葉じゃないです。名前さんにはいるんですからね、男性の幼馴染が。」

本当は少しなんかじゃなく凄く嫉妬してます、と。
私はそんな彼に我慢出来ず抱きついた。
お昼休みできれば2人っきりになりたくて人が殆ど来ない場所を選んではいた。
今周りに人はいない、それでもここは学校で。
常に少し遠くで人の声は聞こえてくる。

「テツヤ君みたいな人が幼馴染だったら多分女の子はみんなテツヤ君のこと好きになっちゃうよ」

寧ろそうなったら絶対に幸せだ。
私は幼馴染の事を嫌いだと感じたことはない、物凄く仲が良いというわけでもない。
良くも悪くも家族のような人、だから好きも嫌いもない。
でももしもそれがテツヤ君だったなら?
きっとそんなこと言ってられなかったと思う。

「僕にとっても同じことなんですけどね。僕が名前さんと幼馴染だったら多分もっと早く好きになってます」

それは私にとって勿体無い程の幸福だろう。
比較的華奢な身体付きをしている彼。
それでも触れれば分かる、私とは違う男の身体なのだと。
見た目より広く感じる背中、ぎゅとシャツを握れば彼はほんの少しぴくりと反応した。

「...今日練習少し早く終わる予定なんです。家まで送りますから放課後待っていてくれませんか?」

今日はもう少し顔が見たいです、そう続けた。
私にそれを断る理由はない。
時間など図書室ででも潰せばいいだけの話だ。
寧ろ彼と一緒に帰れる日なんてそうそうない。
だからこれは嬉しいお願いだった。

「うん、待ってる。あのね、今日お母さん12時越えるみたいだしもしよかったらうちに寄ってってもらっても大丈夫だよ」

お父さんも10時くらいまで帰ってこないから、そう続ければテツヤ君は再びため息を一つ。
そして私の二の腕を掴んで自身から身をはがした。

「そんなの、顔を見るだけじゃすまなくなるじゃないですか。どうして今そんな事を言うんですか」

分かりにくいが彼の頬はほんの少し朱く染まっているように見えた。
そんなつもりは無かった、少しでも彼と一緒にいたくて、そんな想いで口にした言葉。
それは考えるまでもなくとても大胆な誘い台詞にしか聞こえないと、それにすぐ気が付いた。

「あの、その、ちが...わない、かもしれないけど」

そういうつもりで言ったわけではない、それは事実ではあるけれどそれを完全に否定してしまうのもどうかと思って言葉に詰まってしまう。
だって別にそれが嫌とか、そんなことはけしてないのだから。

「...本当はご両親のいないところに、よくない事は分かっていますけど。でも今日寄らせてもらいます。名前さんのご両親にはまた日を改めて挨拶させていただきます」

お母さんには彼氏がいるということは伝えている。
せがまれて写真を見せたことも。
真面目そうな子で安心した、と笑っていた。
お父さんにはまだ内緒にしてあげて、とも。

「なら私もテツヤ君のご両親に会ってみたいな。ちょっと緊張するけど」

彼は私の事をお父さんやお母さんに話しているのだろうか。
もしそうならどんな風に話しているのか、少し気になった。

「また今度遊びにきてください。面白いものはありませんが僕も家族に名前さんを紹介出来たら嬉しいです」

そう言って笑う彼はとても可愛くて再び胸がときめいた。
そこで予鈴の鐘がなった。
すぐに午後の授業が始まることを知らせる合図。
私達はすぐに立ち上がり教室へ向かって歩き始めた。

「すみません」

横を歩いていた彼がぴたりと立ち止まり私はそれに一歩遅れて気が付いて立ち止まり振り返ったその時。

「すみません、でも誰にも見られていないと思いますから」

振り向いた瞬間合わせられた唇。
予想外の彼の行動に慌てて周りをキョロキョロと見回せば彼は余裕な表情でそう言った。

「放課後、待っていてくださいね?」

そして念押しするように伝えれた言葉に私の心臓は早鐘を打っていた。
本当に彼はずるい。
きっとこんな人が幼馴染で側にいたのなら大変な事になっていたに違いない、それを彼に伝えればそんな風に言うのきっと名前さんだけですよ、そう言って笑うのだ。
中学時代彼の周りにはとても女の子にモテる友人が沢山いたらしい。
だからこそ彼は適切な自己評価が出来ていないのだろう。
でもそれを嬉しく思う気持ちがある。
だって彼がそれを自覚して行動していたら?
きっと彼の事を好きになる女の子は沢山いた筈だから。

「...部活、頑張ってね」

落ち着かない心臓、冷めない頬。
全部彼のせい。
でもそれは嫌なんかじゃなくとても心地が良く。

「はい」

人を好きになるってこんなに幸せなことなのだと、それを彼は私に教えてくれた。


end