何度でも恋をする

こんなに胸が熱くなったことが今まであっただろうか。
こんなに心臓の音が大きく鳴ったことはあっただろうか。
そこには人が沢山いて歓声が上がっているというのに私の耳にはその音が入ってこなかった。
それでもその熱気に振動する空気は感じられた。
そしてそれと同じように震える手、私はその震えをなんとか止めようと強く腕を掴んだ。
けれど震えはまだ止まりそうにない。
爪が食い込む程強く握っているというのに痛みすら感じない。

試合が終わり疎になっていく客席。
私も早く出なければと立ち上がる。
足の震えはなかった事に安堵した。

彼は試合が終わってもまだミーティングがあるから声などかけることはせず、そのまま電車に乗った。
車内は試合を観にきていた人達で混雑していて揺れる度に他人と接触してしまう。
普段であれば疲れることしかない車内。
それでも今日はそんな事を感じない。
ただただ無心で電車に揺られていた。
電車はあっという間に自宅の最寄駅に到着して私は電車を降りた。
外はもう完全に日が落ちていた。
駅から自宅へ歩いている頃には手の震えは止まっていた。

自宅に入り母の作ったご飯を食べようとはしたものの少し口をつけたところで苦しくなってほとんど残してしまった。
体調が悪いわけでもないのにどうしたのだろうと自分でも不思議だった。
残りは明日食べると断りを入れ先にお風呂に入った。
その間もぼんやりとしてしまい随分長湯をしてしまったらしい。
ろくに食べていないのに危ないと声をかけてくれた母もう一度謝ってお風呂から上がった。
立ち上がったところでふらつきそうになって少しのぼせてしまった事に気がついた。
それでもなんとか気合いを入れて外に出た。
身体を拭いて服を着た所で母は水の入ったコップを持ってきてくれた。
ありがとう、とお礼を言うと風邪をひかないようにしっかり頭を乾かしなさい、と一言。
はい、と短く返事をしてコップの水を飲み干した後ドライヤーで髪を乾かした。





自室に戻り携帯を見ればメールの通知が一件。
開くとそれはテツヤ君からだった。
送信時刻は15分前、慌ててそのメールを開いた。

『今日は来てくれてありがとうございました。
少しだけ電話してもいいですか?』

その文面も読んで私はすぐに電話帳を開いて彼の番号を探した。
呼吸を一つ、整えて私は発信ボタンを押し携帯を耳にあてた。
3回目のコールで彼は電話に出た。

『もしもし、すみません、夜分に』

「う、ううん、こっちこそ!ごめんなさい、お風呂入ってて返事が遅くなって。...テツヤ君は今電話大丈夫だった?」

『大丈夫ですよ。今1人ですから』

そう話す彼の後ろで横断歩道を渡る際に流れる音楽が聞こえた。
きっと彼は帰宅中なのだろうという事が分かった。

「今日はお疲れ様。...身体は大丈夫?相当疲れたんじゃない?」

『正直かなり疲れました。でも大丈夫です。沢山頑張ってそれが結果になりましたから、嬉しいの方が勝ちます』

いつもと同じ柔らかい口調、それでもどこか楽しげで。
きっと彼の本心だろう。
あれほどの試合だったのだ。
今は燃え尽きて逆に気が抜けているのかもしれない。

「私バスケの試合って初めてだったの。
上手く言えないけど想像よりずっと凄くて、あんなに激しいスポーツだったんだって、その...」

『はい』

彼は私の話を静かに聞いてくれた。
子供のような感想しか言えない私の言葉を。
普段から私は彼に比べれば落ち着きがなく子供っぽいと自覚している。
それでもいつも彼はこうして私の話を聞いてくれる。
だから私は拙くとも彼に気持ちを素直に伝えることが出来るのだ。

「...テツヤ君がかっこよくて、試合の後から今もずっとドキドキしてる」

『...はい』

彼の返事は先程同様たった二文字、でもそれで十分だった。
電話越しにだって今彼が笑っているのが分かったから。

『あの、すみません。一つ謝らないといけない事があって』

「え、どうしたの?」

『今実は名前さんの家の前にいるんです』

彼のその言葉に私は慌ててカーテンを開け窓を開けた。
外には確かに彼がいて、私を見て小さく手を振った。

『すみません、勝手に。どうしても少しだけ顔が見たくなって。自分でも殆ど自覚がないまま気付いたらここに来ちゃいました』

「す、すぐ降りるから!ちょっとだけ待ってて!」

『慌てなくて大丈夫です。昼より冷えますから暖かくして出てきてください』

そう言って部屋を出ようとして気がついた。
自身が既にパジャマだということを。
慌ててそれらを脱ぎ捨ててロング丈のニットワンピースをきて上に厚めのカーディガンを着て階段を降りた。
そこで母に見つかり声をかけられた。
少し悩んだが私は正直にテツヤ君が来ていることを話し少しだけと母の顔色を窺えば母は程々にね、と彼に会う事を許してくれた。

玄関を開けすぐに彼と目が合った。
再び自身の心臓が大きく鳴ったように思う。

「待たせてごめんね」

「いえ、全然待っていません」

彼はそう言って私の手を取った。

「あの、もうお風呂すませた後ですよね、きっと」

「え、ああ、うん。入ったよ」

彼の質問に首を縦に振れば少し困ったような表情を見せた。
そんな彼にどうしたのかと訊ねた。
返ってきた言葉は少し意外なものだった。

「今名前さんを凄く抱きしめたくて、でも僕まだお風呂に入っていないので」

寂しそうにそう呟いたら彼を見て先程とは少し違う意味でドキドキした。
試合中あんなに激しくかっこよかった彼のその姿は今はとても可愛く見えた。
出会った頃は彼がこんなに表情豊かな人だと思っていなかった。
激情し、ぶつかって、仲間と笑って。

そして今こうして私に甘えてくれている。

「そんなの気にしなくていいよ。私も今凄くテツ君に抱かれたいって思ってるから」

それが嬉しくて私は自分から彼に抱き付いた。
彼はすぐに私の背に腕を回しぎゅっと私を抱きしめてくれた。

「...その言い方だと誤解しちゃいますよ」

「あ、ご、ごめん」

彼の言葉に自身の失言にすぐに気がついた私は彼に謝った。
確かに言葉選びが拙かった、と。

「...まぁ正直、そっちの気持ちもないと言ったら嘘になっちゃいますけど。今日は無理ですしね」

耳元で小さく囁かれた彼の言葉に私の身体をびくりと小さく跳ねてしまった。
そんな私の反応に彼が笑った。

「今日は突然すみませんでした。次も絶対勝ちますから、だからまた応援に来てくれたら嬉しいです」

彼は身体を離し私の目を見てそう言った。
勿論、と返事をした私の顔はきっと先ほどの彼の言葉で赤く染まっているだろう。
でも彼はその事を揶揄うような事はしなかった。

「絶対行くから。...こちらこそ今日は来てくれてありがとう」

彼の顔が再び近づいたので私は目を閉じた。
すぐに私の唇に彼の唇が触れ、すぐにその感触はなくなった。
もっとしたいと思ってしまったけれど今ここでそんな事を言っても私もテツ君も困るリスクが高い事を理解しているので言えなかった。
それでも私の気持ちは彼に伝わってしまったらしい。

「そんな顔をしないでください。このまま連れ帰りたくなっちゃいます」

彼がそんなこと絶対にしないと分かっている。
でもいっそそうしてくれたらいいのに、なんて考えた。

「それじゃあ帰ります。おやすみなさい、名前さん」

「うん、テツヤ君も気を付けて。おやすみなさい」

帰路に着く彼の背中を見送りたかったけれど危ないから、と彼に背を押され私はそれも出来ずに早々に玄関に入れられてしまった。

彼の思いやりを無碍には出来ないとしぶしぶ家に上がった所で再び母に声をかけられた。
もしかしたら不良娘になっちゃうのかと思った、なんて笑いながら冗談を言って。
母は彼に会ったことがある。
だから彼が私にそんな事をさせる人ではないと言う事を母は知っているのだ。
つまりこれは母に揶揄われているという事だ。

「もういいから!寝るの!おやすみなさい!」

それがなんだか気恥ずかしくて私はそう言って母を押し退け自室に戻った。
はいはい、と適当な返事をして母は私におやすみなさいと返事をした。

自室に戻り再び服を脱いで先程着ていたパジャマに着替えた。
カーディガンからはほんの少し彼の匂いがした。
それはとても心地よいものだった。

彼を知って、彼を好きになって。
私はこれからどれだけ彼を好きになるのだろう。
それを考えると嬉しい反面少し怖くなった。

彼無しで生きられなくなってしまうのではないか、なんて。

そんな事を考えてしまう程私は熱に侵されてしまった。


end