恋焦がれる

「黒子君もこっちの方なの?」

部活で遅くなった日の帰り道、運悪くて長い信号の交差点で引っかかってしまったところで振り返る。
そこにはすぐ後ろを歩く見知った顔。
教室では話しかけたことがない、当然友人と呼べる間柄ではないし彼も私に話しかけたことはない。
だから今までこうして帰宅途中何度か見かけた事はあっても声をかけたこともなかった。
けれどその日は普段よりずっと遅くて外は真っ暗。
少し不安なことがあった私は気を紛らわせる為に彼に声をかけたのだ。

「名字さん...はい、そうなんです」

黒子君は少し驚いた顔をしつつもそう返事をした。
そしてその後にこりと笑う彼を見て少し驚いた。
教室でも殆ど無表情で本を読んでいるところしか見たことがなかったから。

「結構遅い時間ですけど名字さんも部活ですか?」

「うん。黒子君ってたしかバスケ部だったよね?バスケ部凄く気合い入ってるって聞いたよ」

人と話すのが嫌いな人なのかもしれないと思っていたけれど意外にも彼は私に会話を持ちかけてくれたので私もそれに返事をした。
すると彼は再び驚きの顔を見せる。

「私もしかして何か失礼なこと言ってたりする?」

ただの世間話程度の事しか口に出していないとは思いながらもおかしな反応を見せる彼に一応訊ねてみた。
彼はすぐにそれを否定する。

「いえ、ただ少し驚いてしまったんです。
僕の事認識しているクラスメイトがいると思っていなかったので」

「ええ...なにそれ。毎日顔を見るんだからそんなことある筈ないでしょ」

年齢のわりに落ち着いている人だと思う。
それにしたってこの言い様はあまりにも自虐的すぎないかと疑問に思う。
だが考えてみれば彼は不思議な人だと思う。
今こうして彼と向き合ってみれば顔立ちも整っていて話し方も穏やかで声色は優しい。
背はそれ程高いわけではないけれどやはり運動部に入っているからだろう、身体付きも筋肉がつきすぎていないところが寧ろ良い。
これだけ女の子受けが良さそうな彼が話題に上がらないのは何故なのだろうか。

「いえ、基本的に誰にも認識されないんですよ。
僕から声をかけないかぎり」

「...なんだか不思議な話だね」

黒子君は淡々と話す。
別にそれに傷付いているような雰囲気はない。
寧ろそのおかげで助かっていることもあるとまで言った。

「もしかして黒子君ってこうやって話しかけられたりするの苦手?」

「いえ、そんなことないです。寧ろ嬉しいですよ」

にこりと愛想のよい笑顔を見せる、そこに嘘はないように見える。
そうこうしているうちに信号が青に変わったので私達は横断歩道を渡った。

そして渡りきったところで私は足を止める。
黒子君もすぐに気が付いて足を止めこちらを振り返った。

「ならいいんだけど...あの、ね、黒子君...」

「はい、なんでしょう」

言いかけたところで少し悩んで言葉を詰まらせた私に黒子君は優しく続きを促した。
私が今彼に言おうとしていることははっきり言って図々しい。
今日初めてまともに話したクラスメイト。
しかも異性の。
断られてしまう可能性も高い。
けれど言うだけなら、と開き直りにも近い気持ちで彼に訊ねた。

「...もし、ね。またこうやって帰る時間が同じ時間になったら、こうして一緒に帰ってもらえない、かな...」

「え、あ、はい。僕でいいなら全然」

私のお願いを彼は驚く程あっさりと受け入れてくだ。
正直OKがもらえると思っていなかった私は驚いた。

「え、いいの?」

「はい、大丈夫ですよ。僕も今こうして名字さんとお話し出来て嬉しいですし」

柔らかな笑顔にどきりとした。
彼はイメージよりずっと表情豊かで優しい人だったのだと気が付いた。
だが同時に罪悪感も芽生えた。
それは私が彼に、初めて話したクラスメイトにこんなことをお願いした理由のせいだ。
話してしまっては断られるかもしれない。
けれどこのまま黙っていてもいいのだろうか。
そんな風に考え始めた私の足は地面に根が張ったかのように動けなくなってしまった。

「名字さん、大丈夫ですか?」

黒子君は私の顔を覗き込んでそう声をかけた。
心配そうな表情をした彼の目に映る私は恐怖を感じている顔をしていた。

「あの、ちょうど公園がありますしちょっとだけお話ししてから帰りませんか?」

そう言って黒子君が視界に見える公園を指差した。
私は彼の提案に首を縦に振った。
もう遅いというのに、それさえも考えられないほど余裕がなくなってしまっていたのだろう。

「どうぞ」

「え、あ、あの...」

「僕の奢りです。よかったら」

私をベンチに座らせた後黒子君はすぐ側の自販機で珈琲を買って差し出した。
動揺する私の手にそれを半ば強引に握らせると彼も隣に腰をかけた。
それは私が学校でもよく飲買ってんでいる商品だった。
申し訳ないと思いながらも彼の善意を無意にするのもどうかと思い有り難く受け取ることにした。

「ありがとう...いただきます」

「はい、どうぞ」

プルタブを開け一口、喉が潤ったところで乱れた心が少し落ち着きを取り戻した。
私の事をじっと見つめる黒子君と目が合った。
そしてそんな私を見て私が落ち着いたことに気が付いたのかほっとした顔を見せた。

「ごめんなさい、いきなり。こんなことになって」

「いえ、いいんですよ。お役に立てたのなら何よりです」

本当に優しい人だと思った。
逆の立場であったなら私は今日初めて話したクラスメイトにここまで優しく出来るのだろうかと考えてしまう。
そして同時にそんな優しい人だからこそやはりきちんと事情を話さなければとそう考えた。

「あのね、...最近部活が遅くなって今日みたいに帰るのが遅くなった時なんだけど。...もしかしたら気のせいかもしれないんだけどね。なんだか誰かにずっと見られている気がして...」

黒子君は静かに私の話を聞いている。

「それが怖くて。でも部活の大会も近いしでこれから遅くなる日が続きそうで...本当は嫌だけど部活で辞めた方がいいのかなって。
そう考えてたの」

なんの証拠もない、だから誰に相談したところで問題の解決方法が思いつかなかった。
だからもうそうしてしまおうかと考えていたのだ。
けれどそんなことで部活を辞めるだなんて悔しいという気持ちもあった。
せめて同じ方向に帰る友達がいれば、そんな事を考えていた時彼を見つけたのだ。

「辞める必要なんてないです。
これからは僕が一緒に帰りますから、そんなことで辞める必要ないですよ。
だから安心してこれからも部活頑張ってください」

彼は私の目をまっすぐ見つめてそう言った。
私は彼のそんな優しい言葉に思わず泣いてしまう。
彼はすぐに私にハンカチを差し出した。

「大丈夫ですよ、これでも一応男ですから。
きっと少しは役に立てます」

「あ...ありがとう」

そんな優しい彼に心がざわついた。
なんて、なんて優しいのだろう。
彼は私の背中を優しくさする。
まるで子供をあやすように。
今の私に安心感を与えるには十分だった。










「あの、今日はごめん。みっともないところをお見せして...」

「いいんですよ。不謹慎かもしれませんがこうしてお話し出来て嬉しかったです。
僕部活以外の友達少ないですし」

涙が引いて彼に貰った珈琲を飲み終えた後私達は帰路につく。
心が軽くなった気がするのは間違いなく彼のおかげだろう。

「...教室でも話しかけてもいい?」

「はい、勿論。僕も話しかけます」

そう言って互いの顔を見て笑った。
本当は懸念もある。
私と一緒にいることで彼が危険な目に遭うのではないか、という。
でも彼にそれを伝えれば彼は大丈夫だから、と引かないのだ。

「もしもその人が好意をもってやっているとしたなら僕を名字さんの彼氏と勘違いして諦めるかもしれないですし」

「諦めるってそんな...片思いされてストーカー紛いのことされてるってこと?まさかそんな...」

「正直この時間は人通りが少ないですしもしもなにか直情的なことを考えているなら多分とっくに危ない目に合っていると思うんです。
だからきっとそうなんじゃないかって思うんですよ」

黒子君の推測を聞いて少し納得してしまった。
でもだとしたらますます分からない。
私は平凡そのものな人間で、男友達すら殆どいない。彼氏すら出来たことがない。
なんなら友達と比べれば身体の成長も遅いからだ。

「...でも、なんかごめん。私なんかと付き合ってるって誤解されちゃうかもしれないってことだよね」

「別に僕は気にしませんよ。寧ろ僕なんかですみません」

黒子君は申し訳なさそうな顔でこちらを見る。
本当に彼がどうしてこんなに自信がなさそうに見えるのかが分からない。
私はこんなに紳士的で優しい異性に初めて出会ったのだから。

「本当にありがとう。私の家ここを曲がってすぐなの」

「そうですか。僕はあちらです。名字さんが家に入るのを確認してから帰りますので安心してください。」

お礼を伝え彼にそう伝えれば彼も同じように自宅の方向を指差してそう言った。
そこまでしてもらっては申し訳ないと思いながらも厚意に甘えることにした。

「あ、すみません、一つだけ。明日そのハンカチを使いますので返していただいてもいいですか?」

「え、あ。洗って明日返そうと思っていたんだけど」

「すみません、それ実は特別なもので。
大丈夫です、自分で洗いますから」

彼の言葉を聞いて貸してくれたハンカチが特別なものだと言う事を知った。
そんなものを汚してしまったことを申し訳なく思いながらも私は彼にハンカチを手渡した。
不衛生な状態であるからこそ躊躇したけれどもしかしたら黒子君は凄く几帳面な人で洗い方にもなにかこだわりがあるのかもしれないと思ったからだ。

「明日からは僕がいますから、安心して眠ってくださいね」

「あ、うん...本当にありがとう。今度何か奢らせてね」

それじゃあまた明日、と言って私は自宅の玄関の鍵を開ける。
来た道を振り返れば先ほど言った通り黒子君がまだこちらを見ている。
彼に小さく手を振れば同じように振り返してくれた。
心がざわついている気がする。
それは先ほどまで抱いていた恐怖心とはまた違う。
ずっと心地が良いものだった。
扉の中に入り鍵をかけたところでため息を一つ。

もしかしたら私は彼に恋に落ちてしまうのかもしれない、そんな予感が頭によぎった。

もっともそんな事を考えた時点でもしかしたらもう...



















【良かったですね。もう貴方を怖がらせる人間は現れませんよ】


end