(ああ、まただ)
名前は部屋では常に音楽を聴いていた。
スピーカーから流れる穏やかなその音色は決して不快ではなかった。
俺がいるからなのかは分からないがそのボリュームはいつも控えめだった。
それでも名前が俺の前でそれを操作する所を見たことがないからきっというもこのボリュームなのだろう。
そんな名前が何度も繰り返している事がある。
ある曲が流れた時名前は必ずその曲をスキップしてしまうのだ。
それがいつも同じ曲だと気が付いた時俺はその行動の意味を訊ねたことがある。
すると名前はあっさりとその答えを教えてくれた。
「この曲を聴いていた頃すごく幸せだったから、あの瞬間に戻りたいって思いそうになるの、それが嫌なの」
幸せだった思い出と語るにしては名前の目は憂いを帯びていた。
それが何故いけないことなのかと問えば名前は何を分かりきった事を、とでも言うかのような顔をして即答する。
「だってそこには十代はいないから」
それが許せない、そう呟いた名前の目に俺は確かに映っている筈なのに何故か名前は今俺を見ていない事を知っている。
では名前は一体何を、誰を見ていたのだろうか。
俺は歌なんて詳しくないから何度も繰り返し流されるその曲の歌詞を知らない。
イントロが流れた瞬間名前はそれを止めてしまうからきっとこれからも永遠にその曲の詞を知ることはないだろう。
名前が何度も繰り返すその行動。
聴きたくないという意思とは裏腹に決して消されることのないその音楽。
それはその幸福だった時間を捨てられない名前の足掻きなのだろう。
「俺はお前のそういうところが好きだ」
そこにあった幸せも今俺といる時間も選べない弱くて人間らしいお前が愛しい。
「私は十代のそういうところすごく嫌いよ」
きっと俺の言葉に隠された意味を理解しているのだろう。
察しがよくて気付かなくていい所にまで気付いてしまい幸せになれないお前が愛しい。
それをスキップした後数曲後再び一番始めの曲が流れた。
「この曲は私が一番好きな曲なのよ」
それを名前の口から聞くのは2度目だ。
もう俺はその歌の詞を覚えてしまった。
「私にとって特別な、大切な曲」
穏やかな表情でその詞を口ずさむ名前は今何を思っているのだろうか。
何を望んでいるのだろうか。
俺達が出会った頃、名前は本当にその歌が好きだった。
きっと名前は俺を通してずっと昔の俺を見続けていくのだろう。
もう昔には決して戻れないけれど俺は名前が好きだから決してそんな名前を責めない。
二度と戻れない場所にひたすら手を伸ばして傷付き続ける名前はどうしようもなく愚かなのだろう、けれどもそんなお前をどうしようもなく愛している。
二度と戻ることが出来ない俺をどうか許さないでくれ。