それは2人で屋上でお昼休みの短い時間を過ごしていた頃だった。
その日は今にも雨が降りそうな雲で覆われて薄暗い空模様。
そんな中外に出る物好きは他にはいなかった。
2人きりになりたい、と彼に誘われていなければ私もこんな天気の日にここに来たりしなかった。
なんてことはない世間話をして過ごす時間、ほんの少しの沈黙、ちらりと扉の方を確認してから彼は私にキスをした。
当たり前のことだけれど軽いものであったし人もいないこともあって私もそれを拒む事はせず目を瞑った。
唇が離れて再び目を開けて彼と目が合った、そんな時だった。
『ほんとうに可愛いです』
「...え、何か言った?」
「?...いえ、何も言ってないですけど」
それは確かに彼の声だった筈なのに目の前の彼は違うと言った。
それもその筈、その声が聞こえた瞬間正面にいる彼の口は少しも動いていなかったのだから。
幻聴だったのだらうかと頭を悩ませていたところでまた同じ声が響いた。
今度ははっきりと。
『なにか考えこんでいる姿すら可愛いなんて一体どこまで僕を夢中にさせれば気がすむのでしょうか』
「...テツヤ君?」
「はい?どうしました?」
にこにこ笑顔の彼は依然こちらを見つめてご機嫌な様子。
けれどやはり先ほど同様幻聴のようなものが聞こえた瞬間彼の口が動く気配はない。
なんでもない、と返事をすると彼は小さく首を傾げた。
一体何が起こっているのだろうかと考えたところで答えは出ない。
彼は手品なんかも出来て器用なところもあるしもしかして腹話術のようなものをしてからかっているのだろうかと思ってじっと彼を見た。
「どうしました?」
『そんなに見つめられたら今すぐキスしてそのまま押し倒してめちゃくちゃにしたくなります』
いやおかしい。
明らかに今彼の声が重なって聞こえた。
わけが分からなくて頭が痛くなってきた。
しかも内容も酷い。
これがもし私の幻聴なのだとしたら欲求不満としか思えない。
別にそんな自覚はないのだけれど、もしかしたら深層心理では違うのだろうか?
「もしかして体調悪いんですか?」
「あ、いや、そうじゃないの、全然...ただなんかちょっと変なことがあって...」
もういっそ話してしまおうかと悩んでいるとまたその声は私を惑わす。
『今日は放課後ミーティングだけなので久しぶりに思う存分いちゃいちゃしようと思っていたんですけどなんだか様子がおかしいので無理をさせるわけにはいかないでしょうか。
でも最近シていなかったし正直かなり限界なんですよね』
「......」
次に聞こえてきたそんな声にカッと顔が熱くなった。
彼がそんな事を考えているのなんてあり得るのだろうか?
分からない、本当になんだというのだろう。
「失礼しますね」
彼は私の額に手をあてた。
もしかして今私の顔は彼が見ても分かるくらい赤くなっているのだろうか。
そうだとしたらあまりにも恥ずかしい。
「熱はないですね。大丈夫ですか?保健室とか...」
「いや、本当に大丈夫!元気いっぱいだから!」
私を気遣う彼に本当に罪悪感が湧いてきた。
もうそれでもこのままでは埒が明かない、悩んだところで解決策は出なさそうだし正直に打ち明けて相談してしまおうと決意した。
きっと彼なら馬鹿にしたりなんかせずに落ち着いて聞いてくれるだろうと信じて。
「...あの、変になったとか、いや変になってるかもしれないんだけど、聞いてくれる?」
「?はい、勿論。なんでも聞きますよ」
「...さっきからなんか耳がおかしくて」
「え、耳ですか?」
相談するとは言ったもののなんと伝えればいいのだろうかと言葉に詰まらせてしまう。
「...聞こえないはずの幻聴が聞こえたり」
「え......一体どんな声が聞こえるんですか?」
正直に言ってしまえばかなる自惚れて聞こえるのではないかと考えて胃が痛んだ。
けれどもう話すとしたらそうするしかないのだ。
私は一つ深呼吸をして今度こそ腹をくくった。
「...テツヤ君が私のこと、か、可愛い、とかいちゃいちゃしたい、とか...」
「...」
彼は目を見開いて驚いた顔をした。
その反応を見てよかった、ドン引きされたわけではなさそうだとほっとした。
『もしかして僕が欲求不満でおかしくなりそうなこともバレてるんですかね』
そんな考えも束の間、次に聞こえてきた言葉に私は声を失った。
あんなに紳士的で優しい彼がそんな?
いやそれはないかと考えたけれも絶対とも言い切れず嫌な汗が出てきた。
「...少なくとも、それ、僕がさっき考えてたことです」
彼から出た言葉はまさかの肯定の言葉で、だとしたら一体なぜそんな、まさか超能力にでも目覚めたのだろうか?と馬鹿げたことを考えた。
けれど現にその馬鹿げたことが起こっているのだから一概に否定も出来ない。
それを体感しているのは私なのだから。
「...そんな事って...あ、るんだろうか...?」
「...では実験してみます?」
「実験?」
彼は淡々と言葉を繋いでいく。
「普段の僕が思っていたとしても絶対に貴方に言えないような事を心の中で呟きますので読み取れるか試してみましょうか」
「え、怖いんだけど...」
一体何を言われるのだろうとドキドキしている中彼から発された言葉は本当に普段の彼からは考えられないものだった。
『貴方の事鎖で繋いで逃げられないようにして正気を失うくらいめちゃくちゃに犯したいです』
「...」
「...どうですか?聞こえました?」
「いやいやいや、そんなまさか。テツヤ君がそんな事言う筈ないから」
慌てふためく私の手首を彼は掴んでこちらをじっと見る。
「間違いないようですね。残念ながらそれは僕の本心です」
そう言って彼は私の手首を掴む手に力を込めた。
「嫌われたくなくて普段はある程度猫をかぶってますけど僕結構性欲も強いし束縛も激しいみたいです。
貴方に対しては」
握った私の手を自身の顔に近づけて彼は私の手のひらに唇を押し当てた。
「理由はわかりませんがもうバレてしまっているならこれからは遠慮しません」
「っ、ちょ、っと!テツヤ君!?」
やめてと手を引こうとしたけれどびくともしなかった。
彼は私の静止を気にする素振りもなく掴んだ手の指の指の間に舌を這わせ指先を吸った。
「...聞こえていたのでもうご存知だと思いますが今日早く帰れるので僕の家寄れませんか?」
あんな本心を聞いた後でなんてことを訊くのだと彼のことが少し怖くなった?
「...だめですか?」
寂しそうな顔でそう訊ねた彼の顔、それは普段であれば母性をくすぐられるような、そんな表情に思えたけれど彼の本音を知ってしまった今となっては私を陥れようとする悪魔の顔に見えてしまう。
「名前さんをびっくりさせてしまったかもしれませんけどそのくらい貴方の事が大好きなんです。
本気で、なんて考えていません、でも足りないんです」
貴方不足でおかしくなってしまっているんです、そんな事を言いながら彼は私の手に頬を寄せた。
まるで撫でてくれと甘える子犬のように。
「...だめですか?」
ダメ押しの2度目のおねだり。
惚れた弱みというものは恐ろしい、結局彼の怖い部分を知ったにも関わらず私は首を縦に振ってしまったのだ。
『放課後まで我慢出来る気がしませんけど。
なんでこんなに可愛いんでしょうか』
「...そこは我慢してよ」
副音声のように聞こえる彼の声はいつまで続くのだろうか。
もしこんなことがずっと続くのであれば私の心臓は保つのだろうかと真剣に考えた。
取り敢えず私が今とるべき行動は。
「...そろそろ、手、離してくれる?」
「もう少しだけお願いします」
予鈴が鳴るまであと3分、その間も彼の心の中は私で溢れていた。
正直恋人が思っていた以上に危ない人なのかもしれないと知り恐怖を抱いたことも事実ではあるけれど思っていた以上に愛されたことも知ったのだから本当に複雑だ。
でもやっぱり人の心を覗くようなこんな不思議な事は早く消えて元に戻ってほしい、そう願った。
end