前夜

「な、なに...?」

「いえ、別に。...今日も可愛いなと思って...」

私をじっと見ていた彼にどうかしたのかと訊ねて帰ってきた言葉はそんなものだった。
彼がそんな事を言うのは正直な話珍しくはない。
でも今日はそれが彼の本心だったのだろうかと疑問を抱いた。
それは彼はどこか心在らずな表情を浮かべていたからだ。

「本当に?」

彼のほっぺたをぷにっと押してみれら彼は私の手を取って両手で握った。

「悩みごと?」

「...実は...はい...」

私の手をすりすりとさすりながら彼はうんうんと唸り始めた。
こんな風になっている彼は珍しい。

「私には言えないこと?」

「いえ、寧ろ名前さんにしか相談も解決も出来ないことなんです」

彼はそう言って私をジッと見つめた。
真剣な表情を見せる彼に何か深刻な悩みがあるのだろうかと不安になりつつも彼に聞かせてほしいと伝えたい。
彼は言いにくそうに口を開いた。

「僕の誕生日明日じゃないですか、昼は帝光時代の仲間が、夕方からは誠凛の皆さんがお祝いしてくれることになってるじゃないですか」

「うん。あ、もしかして都合が悪くなった、とか?」

「いいえ、そうじゃないんです」

彼は私の指と指の間に自身の指を絡ませるように握ってこちらをじっと見つめる。

「実は親戚に何かトラブルがあったようで、僕は会ったこともない人達なので留守番なんですけど今夜から明日の夜まで留守にするんですよ」

「え、そうなんだ。ちょっと寂しいね...」

もう親と誕生会をするような年齢でないとは言えテツヤ君の誕生日を祝えないのはきっとご両親にとってと寂しいだろう。
彼は両親との関係も良好なようだし。
彼の話を聞いてそんな風に考えていた。

「だから、その、今夜ってどうにか僕の家に泊まる事って出来ないかな、と」

「...えっと...私?」

自身を指差してそう訊ねれば彼は首を縦に振った。
それ程厳しい家ではないし友人の家に泊まるとでも言えばきっと許可は降りる。
多分大丈夫だと返事をすれば彼の顔は明るくなった。

「あとお願いがあるんです」

「そっちが本番ってこと?」

彼ははい、と力強く頷いた。
なんだか嫌な予感がしてきたのはこれまでの経験によるものだろう。
私の手を握る彼の手に力が入る。

「今夜日付が変わる瞬間貴方と繋がっていられたら、と。そう思いまして」

「...」

真剣な顔をして何を言うのかと思ったらと内心呆れはしたものの私達の間でこんな事はまぁよくあることだ。
慣れてしまった自分が少し怖いけれど。
どうして彼はこう何事も直球で来るのだろうか。
正直なところ別に嫌というわけではない。
でもそれを彼に伝えるのはやはり恥ずかしい事だ。

「...駄目ですか?」

なんというか、彼は困っている私を見て楽しんでいるなと感じる節が度々ある。
それが分かっているからなんだかもやもやしてしまうというのが本音だ。
でも明日は彼の誕生日。
一年で1番彼が我儘を言っても良い日と言っても過言ではない。

「...お母さんに聞いてみるね」

「!...はい!」

なんて嬉しそうな顔をするのだろうか。
こんな顔をされてしまったらもう何をお願いされても聞いてしまいそうだと思った。
でもまぁそんなことを彼に伝えてしまえば本当に大変なことになってしまう可能性があるので言葉にはしなかった。








「お邪魔します」

「はい、どうぞ」

母にテツヤ君の家に、というのは隠してお泊まりの許可を取ろうとした。
でも母は私のそんな嘘を簡単に見抜いてしまった。
それはうっかり明日が彼の誕生日だと以前話してしまっていたことが原因だった。
母はお父さんには誤魔化しておいてあげるから、今回は特別ねと言ってくれた。
ぶっちゃけ母はテツヤ君の事を凄く気に入っている。
初めて母に彼を紹介した日から何度もあの子が私のお婿さんになってくれたらいいのにと何度も言っていた。
きっとそれがあったからこそ母は見逃してくれたのだと思う。

「お母さんにはバレちゃった。でも今日は特別って許してくれたの」

「そう、なんですね。すみません、僕の我儘のせいでご両親に嘘をつかせてしまって...」

家に上がりリビングに通された。
ソファーに座るよう促される。
テーブルには既にお茶の用意がされていた。

「寒かったですよね。今淹れたばかりですのでどうぞ」

「大丈夫だよ、ありがとう」

湯気が立つカップを持ち上げ一口、ハチミツの甘みがとても優しい紅茶だった。
寒い冬にぴったりな飲み物だ。
リラックスしてのほほんとしていた時だ、彼は勿論それだけで終わらせてくれない。

「今日は本当に2人っきりなので、あとで一緒にお風呂に入りませんか?」

「んぐっ...!......う、うん、...いい、よ?」

突然の提案に飲んでいた紅茶を吹き出しそうになるがなんとかそれを堪えた。
今日、まだ前日ではあるが彼は誕生日だ。
だから今日くらいは彼の願いを出来る限り叶えてあげたい。
それに彼氏とゆっくりお風呂、というのは少し憧れもある。

「晩御飯どうしましょうか?一応母から食事代を貰っているんですが」

「ああ、時間がなかったから大したものはなくて悪いんだけど一応お弁当作ってきたの」

鞄から2人分のお弁当が入ったバッグを取り出し机の上においた。
彼はそれを見て目を輝かせた。

「すみません、急だったのに...僕誕生日がこんなに嬉しいの初めてです!」

彼はそう言って私を抱きしめた。
私の方こそ、初めて出来たら彼氏の誕生日。
その特別な日をお祝い出来ることの喜びは彼に負けず劣らず嬉しいものだ。

「保温のお弁当箱に入れてきたから温かいままだからこのまま食べられるよ」

「ありがとうございます。お弁当を見たら物凄くお腹が空いてきました。
いただいていいですか?」

どうぞと返せば彼は手を合わせたいただきますとお行儀よく言って箸をつけた。
保温カップに入れてきた具沢山のお味噌汁。
あまりにも地味かと思ったけれど煮込み料理をするような時間はなかったしお味噌汁を嫌いな人なんていないだろうと思っての選択だ。
もっとも彼は少食ではあるけれどそれ程偏食というイメージではないのだけれど。

「美味しいです、とても」

「よかった」

私も手を合わせてお味噌汁を啜った。
お母さんが普段より少し良い出汁のパックを開けてくれたおかげか普段より上品な感じがした。

「本当に大人になったら名前さんのお味噌汁が当たり前のように飲める日が来るかと思うと来年以降の誕生日が待ち遠しくなります」

そんな事をさらりと言ってのける彼はタコ型に切られたウインナーを口に運んだ。
彼の未来に当然のように私がいると言ってくれているのだ。

彼はいつだって私をドキドキさせてくれる。
まぁ良くも悪くも色んな意味で、と付いてしまうのだけれど。

「勉強しておくね」

「はい、僕も勉強します」

折角の誕生日だというのに平凡なお弁当になってしまった事が申し訳なくて、でも彼は本当に美味しそうに食べてくれて。

「美味しかったです、ごちそうさまでした」

空になったお弁当箱。
彼は私より少食なのでもし食べられなければ私が食べようと思っていたけどそれは杞憂だったようだ。

私も食べ終えお弁当箱を鞄にしまおうとしたところを制止され、彼は2人分のお弁当箱をキッチンに持っていき洗い始めた。

「別によかったのに...でもありがとう」

「いえ、こちらこそ」

洗い終えて伏せたお弁当を拭いて、綺麗になったお弁当を受け取った。
こういうことが出来る男の人は案外少ないと何かで読んだ気がする。
言われてみれば確かにお父さんが食器を洗う姿なんて殆ど見たことがない。
昔は違っていたのかもしれないけれど。

「どうかしました?」

「...ううん、なんでもない」

綺麗になったお弁当箱を片付け再びソファーに座った。
心なしか先ほどより近い気がする。

「こうして2人っきりでゆっくり過ごせるの久しぶりですね」

「そうだね」

彼はそう言って手を握り私の肩に持たれかかった。
甘えたいのだらうかと思い彼の頭を撫でれば気持ちよさそうに目を閉じた。
本当にリラックスしているらしい。

「少し休んだら、お風呂入りましょうね」

「...う、うん」

そういえば先ほどそんな話をしていたと思い出し動揺して声が上擦ってしまった。
そんな私を揶揄うように彼は私の手のひらを指でさする。
それがくすぐったくて手を引っ込めようとしたところをまた握られてしまう。

「だめですよ」

こちらを見てふふっと笑う彼は少し意地悪な顔をしているように見えた。



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