「名前さん...」
彼に力いっぱい抱きしめられたのはいつぶりだろうか。
きっと小学校低学年の頃以来だと思う。
部活を始め居残り練習も始めてからは顔を合わす機会もめっきり減っていた。
元々体力もある方ではない彼は家に帰りご飯を食べた後はすぐに眠ってしまい朝は朝練の為に私より早く登校していたから。
その日彼に会ったのは本当に偶然だった。
晩ご飯を作っていた母に今日ポストを確認するのを忘れていたから見てきて、と頼まれ家を出たところで帰ってきた彼に気が付いたのだ。
おかえり、と声をかけ目が合ったところですぐに彼の異変に気が付き少し悩んでうちに寄らないかと声をかけたのだ。
先に私の部屋に上げ母に簡単に事情を話してから彼の元に向かう。
そして部屋に入り扉を閉めたところで彼に抱きしめられたのだ。
「...久しぶりだね」
どうしたの、とは聞けなかった。
それは知ってしまっている私が彼に何があったか予想がついていたからとかそんな理由ではなく。
本当にその言葉が出てこなかったからだ。
「最近冷えてきたけど風邪とかひいてない?」
労わるように背中を撫でながら取り止めもない質問をすれば彼は大丈夫です、とか細い声で返事をした。
「ちょっと背伸びた?」
「...ほんとうに少しだけ、ですけど...」
中学に入って半年、これからどんどん大きくなっていくのだろう。
私はどのくらい身長が伸びるのだろうか。
最近あまり身長に変化はないからもしかしたらこれ以上は期待出来ないのかもしれない。
「どんどん男の子になっていくね」
「...僕最初から男ですけど」
私を抱きしめる腕に更に力が込められた。
まだ華奢な身体をしているけれど着実に成長しているのだろう。
「そうだね、ごめんね」
「...名前、さん...」
こうして話をして少し落ち着いたのか彼は私の肩に埋めていた顔を上げ私の顔が見えるくらいに距離を取った。
外で見た時は気付けなかったけれど彼の目は少し赤くなっていた。
「ちゃんとご飯食べられてる?」
「...はい、ちゃんと、食べてます」
彼の頬に撫でるように触れると彼は目を閉じて自らその手に擦り寄った。
「ならよかった」
いいこいいことそのまま彼の顔を撫でていると彼は再び目を開け不安そうな目でこちらを見た。
彼が何が言おうとしていることにはすぐに気が付いたので私はじっと彼の言葉を待った。
「...もしも、もしも僕が......全てを諦めて、逃げ出しても...僕の事......嫌わないでいてくれ、ますか...」
私の予想は当たっていた。
彼は酷く傷付いているのだろう。
自分の努力を、可能性を否定するような、そんな言葉に。
きっと誰も悪くない。
全ての人が好きな事で結果を出せるわけではない。
まして帝光は進学校でもある。
結果が出せる見込みがなければ別のことに励むべきだという指導も生徒の将来を思ってのことだろう。
でもそれをみなが簡単に受け入れられる筈がない。
ましてや彼は本当に努力家だったから。
「...そんな寂しいこと言わないで。
何を選んで何を捨てても私にとって1番大切な人は今でもテツヤ君だよ」
諦めるななんて私には言えない。
彼がまだ諦めたくないと思っていることなんて聞くまでもなく分かっていることだから。
本気で全てを放棄しようとしている人間がこんな顔をする筈がないのだから。
バスケを好きで仕方なくひたむきに努力を重ねる彼の事は心から尊敬しているし好きだ。
でもまだバスケをしていない頃から私は彼の事が大好きだった。
本当に私が前の人生で見てきた自分物語のように彼の人生が続くとは限らない。
それは私のようなイレギュラーが存在しているのだから当たり前の話で。
「どんな道を選んでも私はテツヤ君を尊敬してこれからも応援するから...だからテツヤ君の納得出来る答えを見つけて?」
彼の人生は彼のものだから。
そこに何度も現れる分かれ道でどこを選んだとしてもそれが間違いだとか正解だとか私には決める権利なんてないから。
「...小さい頃から名前さんはいつだって僕よりずっと大人です、ね...」
「...そんなことないよ」
それは謙遜などではなく私の本音だった。
両親を見ていれば私が如何に子供なのか、それを日々感じて生きてきたから。
「...僕を置いていかないでください」
「置いてなんていかないよ...」
今度は私の方から彼を抱きしめ頭を撫でた。
彼は再び肩に顔を押し付けた。
次第に湿って冷たくなる肩に気付かないふりをして私は彼の頭を撫で続けた。
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