バレンタイン

「何度か作ってるから多分美味しく出来てると思うんだけど...」

「ありがとうございます、いただきますね」

白の丸皿の上に乗ったチョコレートケーキ。
表面には白い砂糖が雪のように降りかけられていて、ケーキの周りにはチョコレートで描いたハートが散りばめられていた。
ケーキにナイフを入れると中からとろりとチョコレートが溢れた。

「温めないとこうならないんだよね」

「凄く美味しいです。
すみません、僕は市販のものなのですが...」

どうぞ、と僕が用意しておいたチョコレートを渡すと彼女は嬉しそうな顔をして受け取った。
彼女の作ってくれたケーキを食べながら来年は僕も何か作ってみようかなと考えた。
でもいざそう考えるとどんなものを作ればいいのかいまいちイメージが湧いてこない。

「名前さんはチョコレートのお菓子って何が好きですか?」

「んーなんだろ...生チョコとか好きかな?」

まぁ大体なんでも好きだけど、と彼女は続けた。
食べた事はあるけれどあれがどうやって作られているのかを僕は知らない。

「それって僕でも作れますか?」

「テツヤ君が作るの?大丈夫だよ、あれ溶かしたチョコに生クリーム混ぜて固めて、それにココアパウダーとか振りかけてるだけだから」

彼女の説明を聞いてそれなら僕でも大丈夫そうだと安堵した。

「チョコと生クリームの配分で柔らかさが変わってね、昔色々試してみたことあるんだ」

「それって小学3年生の時ですか?」

僕がそう訊ねると彼女はバレンタインとかじゃなかったのによく覚えてるねと驚いた顔を見せた。
僕が彼女との思い出を忘れるなんてあり得ないのに少し心外だと思ったけれど自分で思っておいて少し重いかもしれないと考え口には出さなかった。

「来年のバレンタインは僕が名前さんに生チョコを作って贈ります」

「え、ほんと?楽しみにしてるね」

彼女は僕の隣に座り僕が贈ったチョコレートの封を開け中のチョコレートを一つ摘んで口に入れた。
美味しいと言って笑う彼女の唇やその唇を開いた時にちらりとのぞいた舌を見てドキリとしたのはついさっきまで彼女と肌を重ねていたせいだろうか。

今日学校であんな事を言われて本当に焦ってしまった。
他の女性から僕宛のチョコレートにヤキモチを妬いたからといってあんな誘うような言葉を口にするだなんて。
家に帰って中身を確認するとそれはやはり想像通りの人からのもので。
添えられていたカードには僕への気持ちが書かれていた。
その想いに応えることは出来ないのだけれど。
そのおかげで今日彼女とこんな一日を過ごせる事が出来たと喜んでいる僕を見れば僕にチョコレート贈った彼女も幻滅するかもしれない。

「...チョコ、ついていますよ」

「...テツヤ君、恥ずかしいこと平気でするよね...」

唇を寄せ彼女の唇に付いたチョコレートをペロリと舐めると彼女は恥ずかしそうな顔をしてそう言った。
さっきはもっと激しいキスをしていたのに。
まだ彼女と肌を重ねたのは2度目だけれどそうしている時の彼女は普段の5割増しで僕に甘えてくれる気がする。
何度も何度も名前を呼んで、好きだと言って抱き付いてキスをねだって。
そんな彼女を見ていると人がいる時や外では拒絶されてしまうけれど本当は彼女ももっと僕とくっついていたいのかなと、そう感じてしまう。

「さっきはもっと恥ずかしいことしたじゃないですか」

「あんまりそういうこと言わないでよ...」

時間に余裕があればもっと彼女と抱き合っていたかった。
でもいつ彼女の両親が帰ってくるかも分からない状況でそれは難しくて。
早く大人になりたいと心から願った。

「...ペアリング、買いませんか?」

「え...あ、うん。それは勿論嬉しいけど...」

今日のことだって結果的に僕はおいしい思いをしたわけだけれど彼女は傷付けてしまったということに変わりはない。
それは僕に恋人がいると知られていれば回避できたかもしれなかった事だから。
別に僕達の事を不特定多数の人に知って欲しいだなんて思わない。
でも逆の立場だったら。
彼女が他の誰かに好意を寄せられているところなんて見てしまったら僕は彼女の比じゃないくらい嫉妬してしまうと思う。

「ちゃんとしたものは自分で働いていただいたお金で買いますので...本当におもちゃのようなものになってしまうんですが...」

「ううん、嬉しいよ。それなら私がテツヤ君の分を買うから私の分テツヤ君が買ってくれる?」

彼女の為というより彼女が僕のものだという事を主張したいが為のようになってしまうけれど。
指輪の意味合いはまるで違うけれど火神くんと氷室さんがリングで結ばれているのを見てなんとなく羨ましさを感じたことがある。
僕も彼女と何か特別な証がほしいということはわりと早くから考えていたことだ。

「ではホワイトデーにお互いプレゼント、という形にしませんか?」

「うん、楽しみにしてる」

二つとも僕が買ったっていい、というか当たり前だと思うけれど彼女がそれに良い顔をしないのは分かっているから。
子供の頃からずっとそうだった。
彼女は彼女のご両親にどこか遠慮しているような、少し壁があるようなそんな気がしていた。
失礼な想像だと分かっていたので当然それを口にすることはなかったけれどそれなりに大きくなった時もしかして彼女は本当は両親と血の繋がりがないのではないだろうか、と考えたこともあったけれど小学生の頃自分の名前の由来を親に聞いて作文にするという課題が出た事があった。
僕が彼女の家にいる時彼女はそれを彼女のお母さんに訊ねて色々話を聞いた際に彼女を産んだ時のエピソードも少し話をしていたのでそんな僕の想像も違うと分かった。
今思えば彼女は子供の頃から明らかに大人びていて、もしかしたらそれには誰にも言えない事情があるのかもしれないとそう思った。
気にならないと言えば嘘になるけれどこれだけ傍にいてそれでも彼女が話さないということはきっと踏み込んではいけないラインなのだと、そう思うから彼女から話そうとしない限り僕はそれに触れないことにした。

「あ、そういえばね、実はお母さんからもテツヤ君へのチョコ預かってて...そっちはちゃんと受け取ってあげてほしくて」

「え、あ、はい。それは勿論......なんというか...これ、多分凄く高いもの...ですよね...」

「...うん...ごめん、お母さんほんとテツヤ君のこと好きで...お返しとかいいからね?」

彼女から渡されたチョコレートは普段滅多に食べる事が出来ない超有名メーカーのチョコレート。
5粒程度で3000円以上した筈だ。
でも彼女のお母さんが僕の為に用意したものは明らかにもっと沢山入っているということが中を見ずとも持っただけで分かった。

「私より気合い入ってて、なんかごめん」

「いえ、謝らないでください。
僕は貴方にいただけるものが1番嬉しいんです。
勿論名前さんのお母さんに貰ったものも嬉しいですけれど」

子供の頃から本当によくしてもらっていて、中学時代一時期一切顔を見せなくなった僕がまた家に顔を出すようになってからも何事もなかったかのように僕に接してくれた。
彼女と同じくらい僕に優しく接してくれた人だ。
だから僕は彼女のお母さんの事も大好きだ。

「...因みに今朝お父さんがお母さんから貰ってたチョコはもっと小さいやつだったよ」

「...なんだかそれは名前さんのお父さんに申し訳が立たないのですが...」

彼女の両親が仲が良いことは知っているからそんな事で何か喧嘩になったりなどしないとは思っているのだけれどこちらとしては少し複雑だ。
あとやっぱりさすがに何もお返しを用意しないというのは気が引ける。

「...やはり何か少しでもお返しをしたいのですが...」

「...うーん...じゃあ一緒にクッキーでも作ろっか。実は私もお母さんにお父さんと同じの貰ってるから」

彼女の提案を聞き明らかにいただいたものに対してお返しが貧相なのではないかと不安になったけれどここで無理に高額なお返しを用意すると来年更に大変なことになるのではないかという懸念を抱いたのでそれに同意した。

「再来週だったかな?確かおばあちゃんの家に泊まりで出かけるって言ってたから、ちょっと早めになっちゃうけどその時作ろっか」

「はい、...あの...その時に...」

なんというかこんな時は異様に頭が回る自分が嫌になる。
でも口に出しかけた言葉を今更引っ込めるのも、と思い僕はそれを言葉にした。

「...誕生日にカントクから貰ったエプロン、着けてくれませんか?」

「え、...あー、うん、分かった。...そうだよね、結局まだ一度も使わせてもらってないし、ね」

彼女は少し照れくさそうな顔で了承してくれた。
頭の中であのエプロンを着けた彼女を想像してみたけれどやっぱり、うん。
僕は健全な男なのだと自覚してしまう。
さすがにそんなお願いまでする気はないのだけれど。
でもあんなデザインのエプロンなのだからそんなの仕方ないじゃないかと誰にも責められてなどいないのに1人で勝手に言い訳した。

「...テツヤ君、今変な事考えたでしょう」

「...な、なんのことですか」

彼女の言葉に平然を装おうとしたけれど声が変に裏返ってしまった。
彼女は僕の方を見て視線を下に向けた後すぐに顔を逸らしてチョコレートを食べ始めた。
僕はまさかと思いおそるおそる下をみて頭を抱えたくなった。
少し想像しただけでこんなに元気になってしまう若さが辛い、と。
彼女は別に怒っているわけでは無さそうだけれどやっぱり気まずいようで僕の方を見ないようにしている。
昔は必死で押さえ込めていた感情や欲が彼女と肌を合わせたあの日から駄々漏れになってしまっている。
いくらなんでもさっきの今で気が緩みすぎだ。

「...すみません」

「...いや、謝らなくていいけど...とりあえずもうお母さん帰ってくると思うから一応隠しておいて...」

彼女はそう言って僕の膝にクッションを乗せソファーに背を預け、僕の肩に寄りかかった。

「......よっぽど変な事じゃなかったら、...出来るだけ頑張るから、今は我慢して、ね...」

そんな彼女の言葉を聞きそんな事言われたら収まるものも収まらなくなるじゃないですかと叫びそうになった。
なんなら今の言葉録音しておきたかったとすら考えた。
きっと引かれると分かっているから彼女には言えないけれど。

彼女の言うよっぽど変な事とはどの程度の事を言っているのだろうか。
僕がさっき想像した事は彼女の許容範囲に収まるのだろうかと考えだしたあたりやっぱり僕は健全な男なのだと、そう思う。


end