香りに安らぐ

「寒い」

エアコンなど当然ついていない体育館で露出した太ももをさすりながらついそう声を溢してしまった私に気が付いた彼は自主練をしていた手を止め私の方に近付いてきた。

「すみません、もう上がりますから」

そう言って畳んで置いてあった彼のジャージを私の膝に掛けた。
練習後も居残りをするという彼を見ていると言いだしたのは私なのに余計な事を言って気を使わせてしまった。

「ごめん、余計なこと言った。
テツヤ君が気が済むまでやっていいから、これも貸してもらえたし」

「いえ、本当に。もうそろそろ体育館の鍵を返さなければいけない時間ですので」

彼はそう言って再びボールをつき始めた。
静かな体育館にボールが跳ねる音と彼のバッシュの音だけが響くのを私は膝に顔を埋めて聞いていた。
うるさいくらいな筈なのになんだかそれは居心地が良くて。
彼の香りが残るジャージに包まれて眠気すら感じ始めていた。






「すみません、お待たせしました」

うとうとと船を漕ぎ始めた頃彼にかけられた声でパッと目が覚めた。
多分半分眠っていたのだと思う。
体育館の時計は15分程進んでいたから。

「すぐに着替えますから」

部室の鍵は閉められてしまっていたので彼は荷物も体育館に持ってきていた。
汗を拭き着替える彼を横目にぐぐぐと背伸びをすると関節が音を鳴らした。
少し首が痛いのは仕方ないことだろう、あんな体勢で眠ってしまったのだから。

「もしかしてお疲れだったんじゃないですか?
すみません、気が付かなくて...」

彼はそう言って自身のマフラーを私に巻いた。
貸してくれるのだろうか。
でもそうなると彼の首元が寒くなってしまうのでは、と考えたけれどなんとなくそれを言い出せずに彼の優しさに甘えさせてもらうことにした。

「職員室に鍵を返してきますのでもう少しだけ待っていてください」

体育館の鍵をかけた後彼はその場を後にした。
行ってしまってからここで待つより校門の方で待っていた方が彼の手間もかからないのでは?と気が付いたけれど勝手に動いてすれ違いになってしまっても困ると思う体育館の壁に背中を預けて彼を待つことにした。
借りたマフラーからは当然彼の匂いが香ってそれを自覚すると再び睡魔に襲われてしまった。
下がる瞼に逆らえず目を閉じた。
これは立ったまま眠ってしまうかもしれないと一瞬意識が飛んだ直後私は彼によって再び虚な状態から引き戻された。

「危ないですよ、こんなところで」

彼は焦った表情で私の手をぎゅっと握ってそう言った。
そんな彼にごめんなさいと伝えると彼は呆れたようにため息をつき帰りましょうと歩き始めた。

「一緒に帰れるのは嬉しいですけど本当に無理はしないでください」

「全然無理はしてなかったんだけどね、多分これのせい」

彼のマフラーを指差してそう言うともしかして暑すぎましたか?と訊ねられた。
違うと首を振るとではなぜ、と視線を私に向けた。

「んーとね...」

「...名前さん?」

彼にぎゅーっと抱き付いて首筋に顔を埋め匂いを嗅いだ。
ああ、やっぱりそうだと思いそのまま抱き付いて何も話そうとしない私に戸惑う様子を見せながらも私を抱きしめ返してくれた。

まずい、このままではまた眠ってしまいそうだと思い彼の胸を押し距離を取った。

「テツヤ君の匂い嗅ぐとなんか安心して眠くなっちゃうんだよね。
だからさっきもジャージの匂い嗅いだら眠っちゃって」

「...そう、なんですか...」

心配かけてごめんねと彼に謝ってもう一度彼の手を握ると再び歩き始めた。
真っ白な息が出るくらい寒い夜道でも眠くなってしまうだなんて彼は何か特別な体質でも持っているのだろうか?と考えた。
まぁある意味特殊な体質をしていることは知っているのだけれど。

「テツヤ君とくっついて一緒に寝られたら多分朝までぐっすりなんだろうな」

「...それ多分僕は眠れないやつですよ」

彼はまぁそう言われて気分は悪くないですけどと続けた。

「寧ろ普段は寝付き悪い方なんだけどね。
枕が変わるととくに。
次の合宿の時はテツヤ君のお布団にこっそりお邪魔しようかな」

「バレたら確実にまずいですし本当に僕が眠れなくなるのでやめてください」

冗談だよと言って笑うと彼は少しむっとした顔で私を見た。
怒らせてしまったことは申し訳ないのだけれどそんな顔も可愛いと思ってしまう。
流石に口には出さなかったけれど。

「今日はこれテツヤ君に返すから、明日交換してくれない?代わりに私のマフラー貸すから。
色は違うけど派手な色ってわけじゃないし」

「別に構いませんが、というかそれ、そのまま持ち帰っていただいても構いませんよ」

そんな彼の言葉に今日は返すと言って彼の首にぐるぐる巻きにしたけれどちょっと苦しいとお叱りを受けたのでもう一度緩めて今度は少しゆとりを持たせて巻き直した。

「ううん、今日と明日の朝で充電しといて。
その方が多分効くから」

「充電って...まぁ別に構いませんけど。
貸しておいてなんですが大丈夫ですか?その、汗臭かったり、とか...」

冬とは言え彼はがっつり部活で身体を動かし汗をかいている。
その後いくらしっかり汗を拭いているとはいえ多少は汗臭い筈だということは分かっているのだけれど。

「んー、多分私テツヤ君の匂い自体好きなんだと思う。
だからあんまり気にならないっていうか寧ろもっと嗅ぎたいって気持ちの方が勝つのかも」

もう一度彼に抱き付いてくんくんと匂いを嗅いでみたけれどやっぱりそうだ、彼の匂いは妙に落ち着く。

「あからさまにそうされるとさすがに少し恥ずかしいのですが」

「少しならいいじゃない。私は好きなの」

猫みたいにいっそじゃれついて私に匂いを移してくれないかな、なんて考えていると彼は私の頬に手を添えた。
彼が何をしようとしているかすぐに分かった私は彼の顔を見て目を閉じた。

「...貴方ってほんと素直ですよね」

「正直に生きた方が楽だからね」

部活で遅くなった学校帰りの夜道でキスだなんて青春してるなぁと思いながらもう一度してとせがむと彼はすぐそれに応えてくれた。
本当にこのまま家に連れ帰れたらいいのにと思いながら今度は私から彼にキスをした。

「高校卒業したらいっぱいお泊まりしようね」

「...まだ2年以上ありますよ。
ですからあまり僕を誘惑しないでくださいね」

彼は私のほっぺたをむにゅっと両手で摘んでそう言った。
寧ろ私が彼の匂いに誘惑されているというのに。

「テツヤ君は一緒に寝るよりベッドの上ならえっちする方が好きだもんね」

「だから貴方はなんでも思ったことを素直に言い過ぎなんですよ!......まぁ、完全に否定は出来ませんけど僕だって貴方と一緒に眠りたいとも思いますよ」

下心しかないみたいな言い方はやめてくださいと彼は眉間に皺を寄せたけれど本気で怒っているわけではないということくらい分かっている。

「別にいいじゃん。私もテツヤ君とえっちなことするの好きだよ」

「...今夜僕が眠れなくて明日部活に支障が出たら貴方のせいですからね」

そんなことになってもし原因が私だとバレたら結果的に私までリコ先輩に叱られてしまうかもしれないので困る。
でも家にはもうお母さんも帰ってきてるだろうしそれはテツヤ君も同じだろうしと頭を下げて悩ませた。

「ごめんね、高校生だしお金あんまり持ってないからホテルとか行けないから今日は自分でなんとかしてもらうしかないや...」

「そんなことしみじみ言わないでください!
もういい加減にしないと無理やり僕の家に連れ込みますよ!」

彼は先程より強く私の頬をつねった。
今度はちゃんと痛い。
こちらとしては別に連れ込んでくれてもいいのだけれどやっぱりまだお互い親元で暮らしているからそういうわけにもいかないことは分かっている。

「ごめんね、私声我慢出来ないからこっそりとかも多分無理だ」

「〜貴方って実は結構Sですよね。
ほんと、それわざとやってるんだったら相当タチが悪いですよ。もうこれ以上思い出させないでください、本当に」

本当に怒らせてしまったのだろうかと不安を抱きつつもなら最後にもう一回キスがしたいとこの状況で言ったら怒るだろうかなんて考えている私は多分本当は彼が怒っているかなんて本気で心配しているわけではないのだろう。
彼は静かになった私をじっと見てため息をついた。

「...そんな顔をされれば言わずとも分かりますよ、貴方が何を考えているかなんて」

呆れたような表情で私の望んでいたキスをしてくれた彼に胸がきゅんとときめいてしまった。
早く帰りましょうと私の手をとり再び歩き始めた彼の半歩後ろを着いていく。
胸のときめきは止まらない。

「...やだ...まだ帰りたくない...」

「...そんなの僕だって同じなんですからあんまり困らせないでください」

彼はもう立ち止まってくれなかったけれど街灯に照らされた真っ赤に染まった彼の横顔を見てこれ以上我儘を言うのはやめようと思った。
多分口に出して言わないだけで彼も本当に私と同じくらいそれを望んでいるのだと分かったから。


end