「名前ちゃん、ちょっと来て」
部活の途中の休憩時間カントクが彼女を連れて体育館倉庫の方へと入っていった。
何かあったのだろうかと思い気にはなったけれど追いかけるわけにもいかずただ待つことしか出来なかった。
5分も経たないうちに2人は出て来て彼女はカントクに頭を下げ体育館を出ていった。
カントクは彼女に手を振り見送った後ため息をついた。
「あの、カントク」
「うわぁっ!?...黒子君、どうしたの?」
僕に声を掛けられて驚くのはいつものことだけど今日はいつもより向けられる視線が厳しい気がする。
「いえ、あの、すみません...」
「...名前ちゃんなら今日は帰らせたわよ」
カントクの迫力に少し気後れしてしまった僕はなんとなく彼女のことを訊ねることを躊躇してしまった。
でもカントクには僕が何を聞きたいかなんてバレバレだったようで僕がそれを聞くまでもなく答えは返ってきた。
「え...なん、で...」
「なんででしょうね?なぜかは分からないけれどとっても疲れていたみたいでちょっとふらついたりしてたから、万が一倒れたりしても困るしって思ってね」
カントクの言葉を聞いてすぐに状況を理解した。
彼女が疲れていた理由、それはきっと僕のせいなのだろう、と。
そしてこの僕を見るカントクの蔑んだような目はその事に気付いているのだと。
多分彼女が詳細を話したわけではないだろうけどカントクは特別な力を持っているから、きっとその目で見た数値で察してしまったのだと思う。
「なんだ、名字どっかわるいのか?」
「まぁちょっとね、でもまぁ名前ちゃんは少し休めば大丈夫だから気にしなくて大丈夫よ!......黒子君は元気いっぱいみたいねぇ」
カントクに彼女の事を訊ねたキャプテンはカントクのただならぬ空気感に顔を引き攣らせて僕たちから距離をとった。
僕も後退りしそうになったけれどカントクに肩を掴まれにっこりと微笑まれた。
「黒子君の為に特別メニュー考えたから!休憩後はそっちやろっか」
「......はい」
カントクのあまりの迫力に僕はそれ以上彼女こおを訊ねることも出来ずただそれを受け入れることしか出来なかった。
その日の練習は久しぶりに吐き気を感じる程ハードなものとなった。
でもさすがというかなんというか、カントクは僕のギリギリのラインを把握しているようで本当に吐いてしまうまでには至らなかったのだけれど。
「黒子...お前一体何したんだよ」
「...いえ、とくになにも...」
同情するような視線を向ける火神君に本当のことなんて言える筈もなく。
火神君はそれ以上何も言わずに僕にスポドリを差し出してくれた。
ほんと、いい人なんですよね、火神君って。
「...すみませんでした」
「...ううん、私が体力足りてないせいってのもあると思うから。ちょっと情けない話だよ」
部活が終わった後1人で家に帰り、少し会いに行ってもいいですかと彼女にメールを送ってからシャワーを浴びた。
汗を流し終えてから再び携帯を開くと送った数分後にはいいよと彼女から返信が来ていたのですぐに服を着て適当に髪をタオルで拭いて隣の彼女の家を訪ねた。
すぐに僕を家に上げてくれた彼女は僕をリビングに通してソファーに座らせると冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注いで僕に出してくれた。
自分の分もコップに注ぐと僕の隣に座って肩に寄りかかった。
「...駄目だよ、ちゃんと髪乾かさないと」
「すみません、...メールが来たのを確認したらすぐに来てしまって」
彼女は僕を見て呆れたように笑って再び立ち上がりリビングを出た。
すぐに戻ってきた彼女の手にはドライヤーとブラシが握られていた。
「ほら、乾かしてあげるからタオル退けて」
「...すみません」
子供でもないのに、そんなの自分でやるべきだと分かっているのに僕は彼女に甘えてしまう。
タオルを退けると彼女は僕の髪をといてドライヤーで髪を乾かしてくれた。
時々頭皮に触れる彼女の手が気持ちよくていつもよりハードな練習を課せられ体力を消耗してしまっていた僕は眠気に襲われた。
きちんと乾かしてもらった後彼女はドライヤーを片付ける為席を外した。
もうその頃には目を開けることも出来なくなっていて、彼女と話をする為に来たのだからしっかりしなければ、そう思うのに。
結局そのままソファーに倒れ込んだまま意識は遠のいてしまった。
その時見た夢には彼女が出てきた気がしたけれど内容はよく覚えていない。
「テツヤ君起きた?おはよう」
次に目が開いた時聞いた声は子供の頃から慣れ親しんだ優しい声。
それは彼女とよく似ている、彼女のお母さんの声だった。
僕は状況を理解して慌ててソファーから起き上がると掛けられていた布団がぱさりと床に落ちた。
これは多分彼女が掛けてくれていたのだろう。
「あの子今お風呂入ってるのよ、もう出て来る頃だと思うけど。テツヤ君は随分お疲れみたいね。
名前からは部活はかなりハードだって聞いてるけど身体の方は大丈夫?」
彼女のお母さんは床に落ちた布団を拾って軽く畳んで僕の隣に置いた。
慌ててすみませんの謝ると大丈夫と言って優しく笑いかけてくれた。
僕は彼女のお母さんが子供の頃から優しくて好きだったけれどそれは当たり前かもしれないけれど彼女と重なる所が多いからという理由もあって。
だから少し気恥ずかしさもある。
それに僕が今日こんなに疲れてしまった原因をもし彼女のお母さんが知ったらどう思われてしまうのだろうかという罪悪感もあった。
そんな中なんとか大丈夫ですと返事をすると彼女のお母さんは無理をしないでねと言って僕の頭を撫でた。
この歳になって半分母親のような女性に頭を撫でられるのは恥ずかしかったけれどそれをはらいのけるわけにもいかずただただ僕は羞恥心に耐えじっとその行為を受け入れた。
「あ、テツヤ君、おはよう。ごめんね、よく眠ってたから起こさなくて」
そこにお風呂から出てパジャマ姿になった彼女が現れた。
僕と違い既に髪はきちんと乾かしてある。
「お母さん、テツヤ君ももう高校2年生になったんだからお母さんに頭なんて撫でられても困っちゃうからやめてあげてね」
彼女のお母さんは彼女にそう諭されると残念ねと言って僕から離れた。
それと入れ替わる形で彼女が僕の隣に腰を落とした。
「テツヤ君のお母さんにはうちでご飯食べるって連絡してあるから焦らなくて大丈夫だよ。
テツヤ君が寝てる間にハンバーグ作っておいたから温めなおして食べよっか」
彼女はそう言って優しく笑いかけてくれた。
その優しさがたまらなく嬉しくて、今すぐ抱きしめたくなったけれど彼女のお母さんがすぐ側にいるからそれも出来なくて。
せめてもと思って彼女手を握ると彼女もまた握り返してくれた。
「名前、温めるくらいお母さんがやってあげるからゆっくりしてていいわよ」
彼女のお母さんの言葉に彼女は申し訳なさそうな顔をしつつも少し悩んで有難うと言ってそれを任せた。
仲が良い母娘だと思うけれどやっぱりどこか彼女が少し遠慮している感じは否めない。
まぁそれは単純に彼女の性格なのかもしれないけれど。
「テツヤ君、どうかした?」
「...いえ、なんでもないです」
彼女の全てに踏み込んではいけないことは分かっているから僕はその疑問を言葉にはしない。
彼女も僕がそう返すと何も言わない、だから別にいい。
「ちょっと前に某チェーン店の再現レシピ、みたいなの見かけてね、ほんとかどうか気になってたから試しに作ってみたの。
ほんとに再現出来てたら嬉しいんだけれど」
どうだろうねと言って笑う彼女が可愛くて。
僕のせいで部活を早退することになってしまったのに原因となった僕は熟睡して、そんな僕の為に彼女はご飯を作って。
こんなに僕を大事にしてくれているのにどうして僕はあんなに荒っぽいことをしてししまったのだろうかと考えると情けなくて泣きたくなった。
別に彼女は進んで僕以外の男性と自ら接触を図るような事も全然ないというのに。
いつまで経っても僕は幼稚なまま、お気に入りのおもちゃを取られるのが嫌で駄々を捏ねて怒って拗ねている子供のようだ。
「...また次の休みにでもゆっくりお話しようね」
以前彼女にあまり慌てて大人にならないでね、と言われた事があったけれど僕は自分が大人になっただなんて思えない。
身体はそれなりに大きく、なったけれど …というか身体の方は多分これ以上成長は見込めないのではないかと思うけれど。
心の方はまだ子供のままだ。
とくに彼女のこととなると尚更。
「...名前さんには申し訳ないことをしてしまいましたので、またやり直したいです」
僕がそう言うと彼女はその意味を理解したようで頬を赤く染め彼女のお母さんの様子を伺ったあと僕にしか聞こえないよう僕の耳に顔を近付けた。
「もう怒ってないし気にしてないからテツヤ君も昨日のことは忘れて」
彼女はそう言って更に顔を真っ赤に染めて両手で顔を覆った。
ここが彼女の家のリビングではなく、彼女のお母さんがいなければ今すぐ彼女を抱きしめて襲ってしまいたい衝動に駆られた。
こんな僕のどこが大人なのだろうかと。
欲望の固まりで出来ている人間だと自嘲した。
もうお風呂を済ませ、あとは晩御飯をたべて眠るだけだというのに彼女の指には僕とお揃いで買った指輪がはめられていた。
それは勿論僕の指にも。
「やっぱり大好きです、名前さんのこと」
「わ、分かってるから...それは2人っきりの時に言ってね?」
彼女はすぐ側にいる彼女のお母さんを意識して言ってくれなかったけれど彼女の気持ちは全部伝わっていたから。
「はい、その時はもっと沢山言葉と態度でお伝えしますね」
貴方が好きで好きで仕方ないからと。
キッチンから漂ってくる美味しそうな匂いに僕のお腹がぐうと鳴ったのを聞いた彼女は心底安心しきった顔で笑った。
こんな顔は多分僕にしか見せない筈だから。
そのくらい気を許してくれているのだから早く大人になりたいと、僕はやっぱりそう願ってしまう。
end