神社の境内まで来るともう人の気配は無かった。
もう暫くすると花火が始まるからだろう、ここからは木や建物が邪魔をして殆ど見えないらしいから。
少し開けたところに出れば見えるらしいから少しここでゆっくりさせてもらうことにして2人で腰を掛けた。
「結局私お茶しか買ってない」
「また来年何か奢ってください」
僕がそう言って彼女の口元にベビーカステラを運ぶとまた先程と同じように口を開けた。
なんだか雛に餌をあげているような、そんな気分だ。
「来年も私と来てくれるの?」
「はい、そのつもりです」
僕の言葉に彼女はぱぁっと目を輝かせた。
今なら人もいないしいいかと思い彼女を抱きしめた。
彼女は僕の以上の力を込めて僕に抱きついた。
露出している部分は普段よりずっと少ないというのに、浴衣を着ている彼女の首筋はどうしてこんなに色っぽく見えるのだろうかと不思議に思う。
それを意識してしまった僕は殆ど無意識で彼女の首筋に唇を寄せた。
「っ、てつ、やくんっ」
僕の背中をぎゅっと握って名前を呼んだ彼女に心が騒ついた。
もっと聞きたいと思って今度は喉元に。
そこから鎖骨へと唇を寄せたところでハッと我に返り彼女から距離を取った。
一体こんな場所で僕は何をしようとしていたのだろうか、と。
「す、すみません、僕っ、」
最近はこんなことばかりだ。
彼女がちゃんと心の準備が整うまで待つと、そう言ったのは僕の方なのに。
好きなだけ抱きついていい、キスをしてもいいと言ったのも僕なのに。
もっと、と彼女を求めるのが当たり前になってしまっている。
なんならこの場で彼女を組み敷いて、帯を解き浴衣をはだけさせてそのまま。
そんな事を考えてしまう。
彼女が僕の事を好きになる前から僕は彼女が好きだった。
知れば知るほど素直で可愛い部分が見えて。
頭がおかしくなりそうだ。
「...テツヤ君」
そんなに切なそうな声で僕の名を呼ばないでください。
「私嫌じゃなかったよ」
誘うような言葉を口にしないでください。
「テツヤ君といる間はずっと嬉しいけど、ちょっと胸が苦しくなる時があって、でもさっきちょっとそれが和らいだの」
僕の手をぎゅっと両手に握って指先にキスをした。
最初は小指、薬指、中指へと、丁寧に、愛しみを込めて、そして焦らすように。
「でもね、今また苦しいの。
これってどういうことか分かる?」
僕は何も答えられなかった。
答えが分からないわけではない、答えられなかっただけだ。
「テツヤ君にもっと触ってほしいって、多分。
心臓が悲鳴を上げてるんだと思うの」
素直な彼女が好きだけど、いくらなんでもこんなの残酷過ぎる。
僕は彼女のせいでもういっぱいいっぱいだというのに。
「お願いします、もう...僕限界なんです...だからそれ以上言わないでください...」
彼女は悲しそうな顔をして僕の頬に触れた。
それだけでも身体が熱を持ってしまいそうになる僕は異常なのだろうか。
「もういいよ、テツヤ君。
...私とえっちしてください」
彼女の言葉にひゅっと喉が鳴った。
いくら彼女が素直とは言えそこまで直接的な言葉で言われると思っていなかったから。
「しちゃったらもっと好きになっちゃいそうで怖いって言ったけど、付き合い初めてから日に日にテツヤ君の事好きになっていったけど全然怖いことなんてなかった。毎日が幸せだなって」
彼女はそう言って僕にキスをして抱き付いた。
いや、抱きしめてくれたと言った方が正しいかもしれない。
「前にうちに来てくれた時お腹が変になったって言ったでしょう?
あれ、もし病気だったらどうしようって調べたの。
でもそんなんじゃなかったの」
そんなこともありましたね。
正直僕にはその理由が想像出来ていたけど、それを彼女に言える筈もなく言えなかったけれど。
「だからね、もっとテツヤ君の事を好きになりたいって。...多分私テツヤ君と本当は最初から...」
彼女がそこまで言ったところで遠くのほうで大きな音が鳴って空が明るくなった。
上を見上げるとほんのわずかにキラキラとした火の粉が見えた。
僕達はそちらを見たまま数秒間固まってしまった。
「...花火、始まっちゃいました、ね...」
どうするべきなのだろうと悩んで彼女に視線を戻すと彼女は僕の浴衣の袖をぎゅっと掴んで僕を見上げていた。
その彼女の表情を見て僕はその場で彼女を抱きしめた。
きっと彼女はこうしていたいはずだと、そう思ったから。
腕を回し僕の肩に顔を埋めた彼女を見てそれが間違っていないことを確信した。
興味がないわけではないと思う、でも今はきっとそれよりも僕とこうしていたかったのだと、そう思う。
花火が打ち上がる口笛のような音、そして大きく響く破裂音、暗闇を明るく照らす光。
何度も何度も繰り返されて。
「来年、また来ましょうね。
花火は来年観ましょう、...ね?」
彼女は僕の肩に顔を埋めたまま頷いた。
花火の音に負けないくらい彼女の心臓の音が大きく聴こえるのはそれだけ近くにいるからだろうか。
それとも僕の心音と重なって聴こえるからだろうか。
「テツヤ君は来年も私と一緒にいてもいいって思ってくれてるの?」
「当たり前じゃないですか。
僕は今だけ、なんて、そんな中途半端な気持ちでお付き合いなんて考えません」
少し不安げな表情で顔を上げた彼女にキスをした。
彼女は自然と目を閉じる。
空が光ると彼女のまつ毛が影を落としてまるで人形のような美しさを魅せつけて、それが本当に綺麗で。
「来年はかき氷が食べたい。
テツヤ君の眼の色みたいなブルーハワイ味」
「はい、食べましょうね」
今からだって食べようと思えば食べられるけれど焦ることはない。
楽しみはとっておけばいい。
「...今日のお話の続きはまた今度、ゆっくりお話しましょうか」
本当に2人っきりになれる場所で。
僕がそう言うと彼女は素直に頷いた。
「貴方はいつも可愛いですけれど、今日の貴方はとびきり素敵です。
こんなに素敵な恋人がいる事を誇りに思いますよ」
薄く施されたお化粧は普段より彼女を大人っぽく見せた。
落ち着いた色味の浴衣に咲く色鮮やかな花は僕に向けられる笑顔のように眩しくて。
もう何度目かは分からない、僕はまた彼女に恋をした。
「テツヤ君も素敵だよ。
かっこよくて可愛くて、ずっとどきどきしてる。
今日が終わっちゃったらあと一年待たないと浴衣を来たテツヤ君に会えないのが寂しい」
そう言って彼女は僕の胸に頭をぐりぐりと擦り付けた。
折角浴衣に合わせてセットした彼女の髪が少し乱れてしまった。
「でも来年も僕を好きでいてくれれば絶対に見られますから。条件は僕も同じです。
きっと来年の貴方は今より更に素敵になっているんでしょうね」
乱れた髪を整えようと手を彼女の頭に触れると再び顔を上げ目を閉じた。
「本当にずるいですね、貴方って」
もう何度目だろう、彼女とキスをするのは。
もう数えきれない程彼女の唇に触れている気がする。
空から光が消えた。
静かになった空と反比例して徐々に人のざわめきが広がっていく。
「...またお腹が空いてきちゃった」
「まだたこ焼きとベビーカステラを少ししか食べていませんからね。
他のものも食べて少し遠回りをしてゆっくり帰りましょうか」
彼女のお腹が可愛らしい音で鳴いた。
恥ずかしそうにお腹を抑えた彼女の口に唐揚げを運び、僕も一つ食べた。
もう買ってから時間が経ってしまっていた為唐揚げは冷めてしまっていた、けれど変わらず美味しいままだった。
でも彼女がお弁当に入れてくれた僕の為に作ってくれた唐揚げの方がもっと美味しかったと、そんな風に思うのはきっと僕が心底彼女を好きだからなんだろうな、と。
そして僕はそんな今の僕自身がわりと好きだと、そう思う。
「もう一回写真撮ってもいい?」
「どうせなら一緒に撮りましょう。
僕も名前さんの写真、欲しいですから」
2人で撮った写真を待ち受け画面に設定した彼女の真似をして僕も同じようにそうすると彼女は鞄から鏡を取り出しもう一度撮りなおしたいと言って前髪を整え始めた。
そんな彼女の姿を写真に収めそれを待ち受け画面に設定し直せば彼女は顔を赤くして怒った。
「すみません、可愛いと思ったのでつい出来心で。2人で撮ったものにしますよ」
そんな彼女も可愛い、と。
この夏の日の一日をきっと僕は一生忘れない。
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