香りを纏う

「どうした黒子、随分でかいため息だな」

「いやまぁ、...多分名字のことだろ?」

お風呂に入って大きなため息をついた僕に河原君がそう声をかけた。
というか福田君もなんで分かるんですか。
少なくとも部活中は自制しているつもりなんですけど僕ってそんなに頭の中がバスケを除けば彼女のことばかりだとでも思われているんでしょうか。
まぁ一概に違うとも言えないのですが。

「でもいいよなぁ黒子。名字とは幼馴染なんだろ?しかも家も隣って。漫画みたいなシチュエーションな上両思いとか羨ましすぎる!」

そういえば降旗君は本入部の時好きな子がいるって言っていましたもんね。
結局あれはどうなったんでしょうか。
いや、その後なにも聞いていないという時点で進展などはなかったのだろうと想像がついているので聞けないのだけれど。

「名字って優しいし小さくて女の子っぽいけど落ち着いてるし、そりゃあ黒子もあんな幼馴染がすぐ側にいたら他の子に目移りする暇なんてないよな」

「確かに。黒子っていつから名字のこと意識し始めたんだ?」

僕が口を挟む暇もないまま話が進んでいく。
聞かれているのは僕の事だから別にいいのだけれど。

「彼女は早熟でしたので、字を覚えるのも早く面倒見が良かったので昔は今以上に僕のお世話をしてくれました。そんな感じでずっと一緒にいたので物心が付いた頃にはもう彼女のことを特別な女性として意識していましたね」

当時の事を思い出すと僕も子供だったこともあり今と違って全力で彼女に甘えていたんですよね。
まぁ2人きりの時は今だって大概なのだけれど。

「じゃあ付き合い始めたのも早かったのか?」

「いえ、それは中3の冬からです。
誠凛に進路を定め僕がはっきりと目標を決め再び立ち上がった時です。その時初めてきちんと好意を伝えましたから」

あの時は沢山泣かせてしまった。
僕が彼女が泣くところを見たのは全中の後心配して会いに来てくれた彼女を拒絶した時だけだったから彼女が泣く姿を見たのは二度目だった。
尤も一度目の時僕は布団をかぶって彼女を見ないようにしていたから震えた声しか聞いていないのだけれど。

「...そっか。黒子も中学時代は悩んでたんだもんな」

誠凛のみんなには僕の中学時代の話をしたから。
だから多分3人共色々と察してくれているのだろう。
でもその時の事を思い出せば思い出す程今こうして合宿で笑って一緒に食事を取ったり出来るようになったことは嬉しくて仕方ない。

「ていうか結局黒子は何に悩んでたんだ?さっきのでかいため息」

少し感傷的な気分に浸っていたところで河原君が話を元に戻した。
僕は今更こんな事を言うのも、と思いながらも先程勝手にした嫉妬話をした。

「先程事故のような形で、...彼女の下着を緑間君に見られてしまいまして」

3人の反応はなんとも言い難い、そんな表情。

「そしてその後僕と話をしていた彼女を桃井さんに連れ去られてしまい今はお二人でお風呂に入っているんですが...この後確実に僕は彼女に叱られます」

「え?なんで?」

さすがにその理由を人に話すことは憚られてしまい黙り込んでしまうと降旗君が肩に手をぽんと乗せた。
理由なんてバレている筈がないのだけれど優しい人だから、何があったかは分からないけれど元気を出せと勇気づけてくれているのだと思う。

「どうせくだらねぇ理由だろうからほっとけよ」

それまで黙っていた火神君がうんざりしたような顔で降旗君にそう言った。
どうせくだらないだなんて、一体火神君は僕をなんだと思っているんでしょうか。

「いやでも火神、黒子がこれだけ落ち込んでるなんてそうそうあることじゃないだろ」

そして降旗君の優しさが身にしみます。
まぁでも、多分本当の事を知られたら火神君と同じような顔をされるんでしょうね。

「...僕のテンションが上がってちょっとやらかしてしまっただけですので、あながち間違ってはいないと思います」

3人はよく分からないと言った顔で僕を見た。
本当のことはちょっと言えない。
デリケートな話題というか、まぁなんというか。
昨日はしゃぎすぎて彼女の背中や腰に沢山キスマークを付けてしまったという、もうそういうことをしましたと言っているようなものだから。
多分彼女は気付いていないんだけど。
もう最後の方は話しかけても殆ど返事が返ってこないくらい朦朧としていたから。
それにしてもそこまでなるくらい彼女を求めてしまう僕も異常なのではないかと不安になることがある。

「...性欲ってどうしたら抑えられるんですかね...」

思わず漏れてしまった声を聞いた火神君が僕の頭を押して湯船に沈めた。
勿論すぐに解放されたけれど思いっきり油断していた僕はお湯を飲んでしまいゴホゴホとむせた。

みんな僕と同い年の男である以上分からなくもない筈だと思うのに、もしかして本当に僕が異常すぎるのだろうかと不安な気持ちを抱きながら風呂を出た。







「...名前さ、ん...」

どうせ叱られることは分かっているのだから先に謝っておこうと思いお風呂の近くのソファーに座り1人彼女が出てくるのを待つこと約10分、彼女と桃井さんが女風呂から出てきた。
桃井さんは僕を見つけるとひらひらと手を振ってその場を後にした。
彼女は僕の前まで来て数秒間僕を黙って見おろした。
その顔は無表情といったもので。
そして彼女は僕の額に手を近付け親指で中指を弾いた。

「...さつきちゃんに見られちゃったじゃない」

「...すみませんでした。...信じてもらえるかは分からないのですが...完全に無意識、で...」

彼女は大きなため息を一つついて僕の隣に腰を掛け、肩に頭を乗せた。
顔がほんのり赤く見えたのはお風呂上がりだからだろうか、それとも羞恥心からくるものだろうか。

「...多分明日明後日には消える程度だろうからもういいけど...こういうタイミングではもうやめてね」

「はい...すみません」

もっと強く叱られると思っていたけれど彼女はそれだけ言って黙ってしまった。
怒りすぎて声が出ないというわけではないと思う。
そうであれば僕の肩にもたれ掛かるような事はしない筈だから。

「...怒ってないんですか?」

「怒ってほしいなら怒るけど」

違うと慌てて顔を左右に振ると彼女は呆れたように笑った。

「見られたのがリコ先輩じゃなくて良かったよ。先輩ってこと以前にこういうことに関しては結構耐性がないみたいだから」

「そう、なんですね」

「明日は一緒に入ろうねって言われてたんだけど、ちょっと刺激が強いだろうし気まずくなりそうだから嘘ついて断っちゃった」

僕のせいだから、と言って彼女に頬をつねられてしまった。
その通りだから大人しくそれを受け入れたのだけれどそもそも本気でつねられたりなんてしなかった。

「じゃあ、そろそろ私は寝るから。テツヤ君も夜更かししちゃ駄目だよ」

彼女はそう言って立ち上がった。
彼女が離れて軽くなった肩が少し寂しい。
先程反省して落ち込んでいたくせにもう僕は彼女を抱きしめたくなってしまっている。
当然と言えば当然の話で、だって少なくとも高校に入ってからはほぼ毎日彼女を抱きしめない日なんてなかったのだから。

「名前さん...」

だからつい縋るように彼女の手を取ってしまった。
彼女は小さくため息をつき周りをキョロキョロと見て僕の頭を抱きかかえるように抱きしめてくれた。
僕も彼女の腰を抱きしめ返した。

「...テツヤ君、もうおしまい」

「もう少しだけ...」

甘ったれたことを望む僕の頭を優しく撫でて明日も頑張ってね、と言ってくれる彼女の体温をより感じていたくて目を閉じた。
柔らかな胸に顔を埋めて、こうして寝られたらどんな枕よりよく眠れそうだと。
そう感じる程心地がいい感触。

「はい、もうおしまいだよ」

でも今度は彼女に引き離されて。

「帰ってから...またね」

おやすみと言って彼女はそこから去ってしまった。
僕も仕方なく部屋へと戻る。
降旗君にはもみじでも付けて帰ってくるかと思ったけど良かったな、と。
まぁそれは本当にそうで、でこぴんで許してもらえたのは幸運だったと思う。
消灯時間が近付き布団を敷いた後は各々疲れていたので早々に布団の上に寝転がった。
勿論僕も。
布団を被って頭をまで潜るとほのかに彼女の香りがした気がした。
先程抱きしめていたからだろうか。
今度彼女を抱いて眠れる日はいつだろうか、なんてそんな事を考えながら眠りについた。


end