「先輩、寒くないですか?」
「ああ」
あの頃とは随分変わってしまった私達の関係。
変わったのは私だろうか、先輩だろうか。
きっと全てが、と言えるだろう。
「今年は早かったですね、桜」
先輩が座った車椅子を押していた。
少し散歩に、と誘ったのは私の方だ。
先輩は以前よりずっと体調も良くなった。
それでもまだもう暫くは車椅子が必要だった。
デュエルアカデミアを卒業した今、私はその車椅子を押す事が出来る。
「お前は寒いのが嫌いだから嬉しいんじゃないか」
「寒いのが嫌いなんじゃないです、春が好きなんです。」
回復してきたとはいえ先輩はまだ病人だ。
今日が寒くて仕方ない日ならこうして先輩と外に出ようなんて声をかけられなかった、だから春は好き。
夏だって暑すぎたら勿論嫌。
でもきっとその考えも今年は変わる。
「先輩はどの季節が一番好きですか?」
「···そうだな···今まであまり気にした事がないかもしれないな」
元々口数が少ない人だ。
暑くて嫌になるなんて愚痴は聞いた事がない、雪が降る程冷える冬の日も同様に。
「先輩も子供の頃は夏休みにプールとか行かれたんですか?」
「ああ、翔にせがまれて何度か行った事がある」
その言い様からあくまでも保護者として行っていたという事が想像出来た。
確かに先輩がプールではしゃぐ姿なんて想像出来ない。
見てみたくはあるのだけれど。
「私がおねだりしても連れて行ってくれますか?」
「······考えておこう」
きっと先輩はプールや海遊びなんて好きではない。
それでもいいよとは言わずともその声色がとても穏やかな事が、きっと夏には私に付き合ってくれるつもりでいるのだろうと私に気付かせた。
「先輩、私はどんな水着が似合うと思いますか?」
「···俺に女の服の事を聞くのは間違っていると思うぞ」
違いない。
でもそんな先輩だからこそここで先輩がどんな水着を提案してきたとしても私はその水着を着ただろうなとも思う。
「私実は中学の水泳の授業以来水着、着てないんです。
勿論その時はスクール水着だったから普通の水着も買ったことなくって」
「俺も同じだ」
デュエルアカデミアにいた頃何度か明日香ちゃん達と海遊びはした事がある。
それでもその時は濡れても透けない服を着て私は足くらいしか水に入っていない。
水着を貸そうか、買いに行こうかと誘われた事はあったけれど彼女達とは実家がかなり離れていたこともあって夏休みなど長期休暇の時に買い物に出掛ける機会も無かった。
「吹雪さんなんかは女の子の水着も詳しそう」
「···ああ···あいつは妙な事を知っているから」
明日香ちゃんのような妹がいることもあっての事かもしれない。
けれどその要因が無かったとしても吹雪さんなら最低限の知識はありそうだと思うのは彼が女性の扱いにたけているからだろうか?
「ただ······」
「ただ?」
先輩は何か言葉にしようとして口を開いた。
けれど続く言葉がなかなか出てこない。
口数は少なくとも言葉に悩む人ではない。
どうしたのだろうか。
「···俺としてはあまり好ましくない」
「何がですか?」
回りくどい言い回しだ。
本当に珍しいと思っていた時丁度ベンチが視界に入った。
車椅子を押すのを止めて先輩の顔が見えるようベンチに座ることにした。
「好ましくないってどういう意味ですか?」
「···笑わないか?」
ここまで念を押すだなんて一体何事だろうか。
私は首を一度縦に振り先輩の言葉を待った。
「俺は名前に吹雪の選んだ水着を着てほしくない」
「え····あ、···は、はい···」
先輩は普段と変わらず真面目な顔でそう言った。
私はそんな事を言われるだなんて思っていなくてなんだか間の抜けた返事をしてしまう。
どういう意味だろうかと考え自分の中で出た結論に困惑した。
いや、まさか、なんて。
これが私の勘違いだったとしたなら凄く恥ずかしい話だ。
「それって、じゃあ翔君だったらどうですか?」
「···相手が翔に変わったところで俺の気持ちは変わらないだろうな」
先輩の言葉を聞いて私はその予想が自惚れではない確証を持ち体温が上昇したような錯覚を得た。
心拍数が上がったのは間違いないのだからあながち錯覚ではないのかもしれないけれど。
「···先輩、私先輩の選んでくれた水着が欲しいです」
「···俺にセンスを期待しても無駄だと言っておく」
先輩は私のおねだりをやっぱり拒否しなかった。
ということはやっぱりそういう事なのだろう。
先輩はヤキモチを妬いてくれたのだ。
私が別の男の人が選んだ水着を身に付ける事に。
「私先輩にお願いされたら貝殻水着だって着ちゃいますよ」
「見るからに痛そうだからやめておけ」
私の下らない冗談へのツッコミ所が普通とは違う所も先輩らしい。
いや、今のは本心だったのだ。
要は先輩が望んでくれたら何でも出来る、という比喩だった。
「今年は夏が一番好きになる気がします」
「単純な奴だな···だがそうだな、きっと······いや」
先輩が私の手を握った。
身体は以前より痩せてしまった。
それでも私の手を握った手は以前と変わらず、私より大きくて骨張った男の人の手だ。
「名前、お前のような奴が傍にいるんだ。
きっといつだって楽しめるんじゃないか」
優しい表情、それは暫く見ることが叶わなかった表情だ。
今の先輩がここにいてくれるのは先輩が頑張ったから、そして翔君や十代、吹雪さん、色んな人が彼を好きでいてくれたおかげだ。
「先輩、どこでそんな台詞覚えてきたんですか?」
「俺が言うとおかしいか?」
違うと首を横に振ればそうか、と頭を撫でてくれた。
たまにこうして子供扱いのような事をされるのも実は嫌いではない。
先輩もそれを知っているから時々こうしてくれる。
元々優しい人ではあった、でもきっとこれは私の特権なのだ。
「取り敢えず夏が来る前に皆でお花見でもしませんか?」
「ああ、そうだな」
本当なら二人きりで、そうお願いするのが普通なのかもしれない。
それでも今こうして先輩と過ごせる時間を取り戻してくれた仲間達との時間も大切にしていきたい。
私に先輩と過ごす今をくれた彼らと。
「お弁当沢山用意しますので具なしパンじゃなくてもちゃんと食べてくださいね」
「ああ、分かってる」
風が少し冷たくなってきた。
今はまだ夏には遠い。
自由に動ける私と違い車椅子に座ったままの先輩は寒さを感じやすいだろう。
あまり長居をして風邪をひかせてしまうのはいただけない。
「そろそろ帰りましょうか」
ベンチから立ち上がり再び車椅子を押した。
きっとこうして歩く事ももう何度もないだろう。
だとしたら少し寂しい、なんて。
これは口に出して言えないから胸の内にしまっておこう。
「先輩がどんな水着を選んでくれるのか楽しみにしてますね!」
「···気の早いやつだな。もう一度言っておくがあまり俺に期待はするな」
息苦しさを感じる程の暑さも肌を刺すような鋭い寒さも幸福に思えるように。
先輩が楽しくなると言ったのだ。
私だってきっとそう思えるようになるだろう。