「私教師になるわ」
そう言った明日香ちゃんの目はキラキラと輝いていた。
覚悟を決めたと、強い意志を感じるその瞳。
いつから彼女はこんなに強い人になったのだろう。
「明日香ちゃんならきっと素敵な先生になれるよ」
出会った頃から周りの女の子より凛々しくかっこいい女の子だった、それは間違いない。
それでもそこに弱さはあった。
いや、それを弱さと表現するのが正しいかは分からない。
明日香ちゃんは優しい人だった、いや、勿論今だってそうだけれど。
一人でなんだって出来る人だった。
皆より先を歩ける人だった。
それでも明日香ちゃんは時折り振り返って私たちを見守ってくれた。
隣を歩けてはいなかったと思う。
明日香ちゃんはいつも私達の一歩前にいて、私達を導いてくれていた。
「ありがとう、でもね、私なんかより貴方の方がよっぽど良い教師になれるんじゃないかって思うのよ」
明日香ちゃんは卑屈なんて言葉とは縁遠い、とてもカッコいい女の子だった。
人を褒める時だって自分を卑下するような言葉は口にしない、それは彼女自身が人に恥じない生き方をしてこられたからこそ出来ることだろう。
彼女の歩んできた道はとても綺麗に見えた。
それは泣いて立ち止まることなどしない彼女の強さがその道を美しく飾り立てたのだろう。
「私なんて.....人の前に立てる器じゃないよ」
かっこよくない私は彼女のようには生きられない。
私が歩んできた道はきっと彼女のように美しく補装されてはいない。
でこぼこだらけ、私はその穴を埋めるような丁寧な生き方をしてこられなかった。
彼女のように真っ直ぐに前を見られたら、そう何度望んだだろう。
彼女の真っ直ぐに伸びた背中を私はずっと見ていた。
そして振り返った明日香ちゃんから何度目を逸らしただろう。
出会った頃はそれはもうあからさまに、だからこうして向かい合って話を出来るようになるまで時間がかかった。
あの頃の事を今でも時折り彼女は思い出しては笑うのだ。
それはもう綺麗な笑顔で。
「いいのよ、それでも」
明日香ちゃんは私の手をとった。
すらりと細い指、整えられたつやつやとした爪、あたたかな体温、心同様、彼女は指先まで美しかった。
「私が不安になって振り返った時貴方がいてくれた事とても嬉しかったの」
ここには強い人が沢山いた。
こんなにかっこいい明日香ちゃんの前に立つだって。
その人はそれはもう、皆の英雄だった。
私は彼が怖かった。
彼の目にはきっと私なんて見えていないんじゃないか、そう感じていたから。
私は弱かった。
目立ちたくない、怖い事はしたくない、そう望んでいながらも人に認識されなくなる事を恐れていた。
英雄は皆を助けてくれる。
私という小さな存在な英雄達にとってその他大勢、道端の石ころでしかないのだ。
私は自ら石になりたいと望みながらも人の意識から消える事が怖かった。
「皆が不安な顔をしている時、貴方はきっと大丈夫だって、そんな顔をして私を信じていてくれたから」
私にとって明日香ちゃんだって英雄だった。
彼との違いは何か、実力と言うならそこまでの話。
簡単な話だ、彼女は私にとっての英雄だったのだ。
彼女は振り返ってくれた。
私という小さな石ころに話しかけてくれた。
彼女が私を生きた人間にしてくれたのだ。
まるで卵から孵った雛鳥が親を認識するかのように。
私は彼女に惹かれた。
「だって、明日香ちゃんはいつだってかっこいいから」
傷付いた顔だって何度も見た。
私に出来る事なんて何も無かった。
彼女の周りには頼りになる人が沢山いて、私は何も言葉にする事は出来なかった。
だから彼女の手を握った。
指先から私の気持ちが伝わればいいのに、なんて。
彼女はいつだって最後は自分の足で立ち上がっていった。
そしてまた私に背を向けるのだ。
私はずっと彼女の背を見つめていた。
時折り振り返る彼女は輝きを増す一方だった。
彼女は大人になったのだろう。
「私がカッコよくいられたのだとしたらきっとそれは名前のおかげよ。
多分途中からは名前にそう思われたくて必死なところもあったから、きっとカッコ悪いところも沢山見せたわ」
そんなところは全く無かった、そうすぐに否定したかった。
でもそれを口にするのは彼女を否定するようで。
誰よりも彼女を見ていた。
それを都合のいい所しか見ていなかったんじゃないかと言われるのが怖かった。
私は3年間一人の英雄を見つめることしか出来なかった。
私は何一つ成長することなくここを羽ばたかねばならなくなってしまったのだ。
飛ぶ為の翼など手に入れる事が出来なかったのに旅立ちの時を待ってなどくれない。
時の流れは誰にとっても平等に過ぎてしまうのだ。
「......私ね、嫌なの。ここを出ていくのが、......あす......っ」
私の前を歩く英雄を失った私は何を頼りこれから進めばいいのだろうか。
大人になれなかった雛鳥はどうやって生きていくのだろうか。
どうして私は大人になる事を拒んでしまったのだろうか。
私さえその気になればいつだって、誰だって彼女の、明日香ちゃんの隣に立つ事が出来たのに。
彼女はいつだって私の手を拒まなかったのに。
何度も彼女の手を握ったのに私は彼女に差し出された手を握り返す事が出来なかった。
「そうね、私も嫌よ、貴方と離れるの」
明日香ちゃんは私の冷たい手を両手で包み込んだ。
綺麗な綺麗な笑顔で私を見つめて。
「私卒業後留学するの。だから暫くは、数年はかかるわ。
その後になるけれど、名前、私と一緒に暮らしましょう」
「......え?」
明日香ちゃんが口にした言葉の意味がなかなか理解出来ず私は数秒間固まってしまった。
まともな言葉なんて捻り出すことも出来ずに私はなんとも間の抜けた反応しかとれなかった。
「だって貴方、離れるのが嫌でそんなに泣いちゃうくらい私の事が好きなんでしょう?」
明日香ちゃんはハンカチを取り出し私の目尻に優しく押し当てた。
小さな子に向ける母の眼差しのようにそれはもう穏やかで優しい表情で。
「ジュンコやももえ達の時はそんなことないのにね、十代といる私を見る時の貴方、凄く怖い顔をしていたの自覚してなかったの?
最初は十代達の事嫌っているのかなって思っていたけど貴方、私がいない時は十代達の事なんて目にも止めないんだもの」
ジュンコもももえもいつの間にか遊城君達と仲良くなっていた。
私はそこに混ざろうという気にはなれなかった。
だからいつだって一歩引いていた。
彼らは私の気持ちを知ってか知らずか無理に距離を詰めてくるような人達では無かったから私と彼らの間には大きな溝があった。
私はそれを悲しいなんて思ったことは無かった。
それはただ彼らが私にとって苦手な人種だったから、今の今まで私はそれだけが理由だと思っていた。
「........どうして今まで気付かなかったんだろう」
私は彼らとは違う、彼らのようになりたかったわけではない。
ずっとそう叫んでいたのだ。
私がなりたかったのは英雄でも英雄の仲間でも、ましてやファンでもない。
私はただ明日香ちゃんの特別になりたかったのだ。
私だけを見てほしかった。
振り返ってほしくてわざとずっと彼女の後ろを歩いていたのだ。
私はなんて欲の深い人間なのだろうか。
それを自覚した私は顔がカッと熱くなった。
恥ずかしくたまらなくて涙を引っ込んでしまった。
「貴方って分かりやすいわよね、 名前 。
でもね、私貴方のそういうところ好きよ。
だからね、また暫く私のこと待っていてくれる?
私はこれからも貴方が見つめていたいと思えるようなカッコいい女になって戻ってくるから」
明日香ちゃんは私の手の甲に唇を落とした。
こんな事をして様になる人がどれほどいるのだろうか。
きっと私にとってそんなの彼女だけだ。
どんなに綺麗な人、カッコいい人が同じ事をしたってこんなに私の心臓を騒がしくさせる人は世界にただ一人、明日香ちゃんだけだ。
「......大好き、大好き、明日香ちゃんのこと、大好き」
「私も大好きよ、誰よりも、誰かと比べる事なんて出来ないくらい特別な人よ、 名前」
私が彼女を英雄と呼んだのはきっと私が彼女に恋をしたからだったのだろう。
彼女は英雄ではなくなった、それに気付いた今私は彼女を手に入れた。
ただの女の子になった彼女は、英雄ではなくなった彼女は私の元に帰ってきてくれる。
私にだって羽根があった。
それでも私は空を飛ぶ鳥のようにはなれなかった。
それに意味はあったのだ。
彼女はそんな私を目印にして帰ってきてくれるのだから。