グラスで流して込んだ恋

彼がこういう場に来る人だとは思っていなかった。友達の付き合いでたまたま参加したこの会、所謂合コンというもの、私の向かいに座ったのは専攻は違うけれど度々顔を合わせれば話をする事のある黒子テツヤ君。
真面目で大人しく上品、それが私の中の彼のイメージだ。

だけど今夜目の前に座る彼はいつもとは少し違っていた。

「...あの、名字さん、今日は...その、ええと、こんばんは。あ、乾杯って、しましたっけ...?」

手にしたグラスを何度も持ち直しながら、視線を泳がせる黒子君。
その頬はいつもよりかなり赤く、明らかに彼が酔っているということが分かる。

「こんばんは。挨拶も5回目だね。乾杯もさっきしたよ?」

「あっ、そうでしたね。僕も...乾杯したような、気がします。多分。あの時は、有さんが...グラス持ってて...あ、いや、それは当然ですけど...」

駄目だ、相当酔っている。
でも無理も無い、だって彼の前には既に空のグラスが三つあるだから。
因みにこの飲み会が始まってからまだ30分も経っていない。
明らかにペースが速すぎる。

「...えっと、さっき話してた映画のことなんだけど」

それでも一生懸命話しかけてくれるから私もそれに応じようとするのだけれど。

「映画、ですか?...はい。あの、僕猫の映画は...あまり詳しくなくて。でも犬って可愛いですよね?あ、でも映画に出てくる猫も、みんな可愛いくて...あ、この前僕ゾンビに追いかけられたんです!」

うん、まるで会話が成り立たない。
でも最後のは気になる。
何か遊園地のアトラクションの記憶とでも混ざったのだろうか?

「(もしか、しなくても凄く緊張してるのかな...?)」

彼の目は真っ直ぐこちらを見ているけど、なんだか目の焦点が合っていないような、そんな気がする。
それでも一生懸命私と会話をしようとしている。

「(ちょっと可愛いかも...)」

そんな彼が可愛く思えて小さく笑ってしまった。

「黒子君、酔ってる?」

「えっ!? い、いえ、まだグラス1杯しか...たぶん...あれ、もう2杯目でしたっけ...?」

どうやら彼は自分が酔っている自覚がないらしい。
まぁ酔っ払いはみんな酔ってないって言うもんね。

「...もう4杯目だよ?」

私がそう言うと、黒子君はぽかんと目を丸くした。
そしてまるで自分の手にあるグラスが初めて見るものみたいに見つめた。

「...そうでしたっけ?」

小さくそう呟いて、困ったように眉を下げる。
でも、次の瞬間。

「...じゃあ、いただきます」

え?と思う間もなく彼はグラスのお酒を一気に飲み干した。

「えっ、ちょ、ちょっと黒子君!?」

まさかの一気飲み。喉を鳴らしながら一気に飲み干し空になったグラスをテーブルに置いた。
黒子君の顔は更に赤くなった気がする。

「だ、大丈夫です...!僕、わりと強いんだと、思うんです、多分...!」

どう考えても弱いと思う。
いや、例えそれなりに飲めたとしてとこんなハイペースで飲めば誰だって酔っ払うと思う。
案の定彼の身体がゆらゆらと揺れ始めた。

「...じゃなかったかもしれません...」

「黒子君......!」

頬どころか耳まで真っ赤で、目もとろんとしてる。
それでも、一生懸命私に向かって何か話そうと一生懸命話題を考えている彼に胸がきゅんとしてしまった。

「(そんなに緊張して、頑張らなくてもいいの)」

「ねえ黒子君、無理しないで。...黒子君は今日はどうして合コンに来たの?」

今にも倒れそうな彼の隣に座ってそう訊ねてみれば彼は少しの沈黙の後私をじっと見て口を開いた。

「...名字さんが来るって聞いて...だから、だから僕...」

目を伏せて、少しだけ下唇を噛んで、ぽつりと呟いた。

「...仲良くなれるチャンスかな、と...そう思いました...」

真っ赤な顔で目を伏せてぽつりと呟いた黒子君の横顔に胸がぎゅっと締めつけられた。

「(こんなに不器用で、でも一生懸命で......)」

きっと勇気を出す為にあんなにハイペースでお酒を飲んでしまったのだろう。
その姿がたまらなく可愛くて。
少しでも楽になれるようお店の方にお水をお願いしてそれを彼の手に手渡した。

「はい、黒子君。ちょっとお水飲んで?」

「...あ、ありがとうございます」

私の手渡したグラスに素直に口をつけた彼。
その仕草もどこかぎこちなくて危なっかしく。
でもそれが可愛いと思う気持ちがあってふと頭に悪戯心が浮かんでしまう。
ほんの少しだけ困らせてみたくなった。

「ねぇ黒子君」

「...はい?」

「...お持ち帰り、しちゃってもいい?」

ごく自然に、さらりと問いかけてみると。

「ぶふっ!!!」

彼は今し方飲んでいたお水を盛大に吹き出した。

「......っけほっ、けほっ、ご、ごめんなさいっ!」

「ご、ごめん黒子君」

気管に入ってしまったようで咳き込んでしまった彼の背中をさすってあげた。
大丈夫ですと言っているけれど顔はさっきよりもずっと真っ赤に染まっていた。

「そ、そんなっ...僕はっ...その、え?お持ち、帰りって、ええっ?」

「ふふっ、ごめんね、冗談だよ?」

謝りながらもこんなに分かりやすく動揺した彼が可愛くてついつい笑みが溢れてしまう。
そんな私に少し責めるそうな視線を向けた。
動揺して揺れる瞳の、でもその奥に少しだけ期待のような気持ちが混ざっているような、そんな気がした。
服が濡れてしまったのにそれを拭こうともしない、きっと頭の処理が追いついていないんだと思う。

「...じょ、冗談、ですか...」

ぽつりと溢した声はどこか寂しそうで、少し罪悪感が湧いてきた。

「......もしかして、期待させちゃった?」

すると彼はぴくりと肩を揺らし、慌てて首を振った。

「い、いえっ、そんなっ、らっ、ことは...! その...あの......っ!」

彼は顔を伏せ手のひらで口元を隠すようにしながらモゴモゴと何かを呟いた。

「え、なに?聞こえないよ?」

私がそう言えば彼は小さく呼吸を整え覚悟を決めたかのような顔をして真っ直ぐ私の目を見た。

「...冗談じゃなかったらよかったのにって、僕が思ったと言ったらどうしますか?」

彼の真っ直ぐな目と言葉に思わず、ドキリとした。

「え...?」

「...僕、本当に名字さんが好きなんです。だから、あんなことを言われて、それが冗談だと分かった今も、心臓が...ヤバくて...」

彼はそう言って自分の胸を手で押さえて俯いた。
あんなことを冗談で投げかけてしまったことに罪悪感で胸が痛くなった。

...彼のこんな顔を初めて見た。

申し訳ないことをしたと思っているのに、反省している筈なのに今の私は。

「(ああもう、可愛いなんてもんじゃない。どうしたらいいの、この胸の高鳴り...)」

それから少しの沈黙、そしてそれを遮るかのようにその日の合コンが終わった。
といっても私は殆ど黒子君としか話をしていなかったのだけれど。







お店の外へ出ると、夜風が心地よく吹き抜けた。
参加者達はそれぞれ、どうする?2軒目に行く?などと賑やかに話している。
私はどうするべきなんだろうかと考えていたそのときだった。

「...名字さん」

私の名を呼ぶ小さな声、そして同時に服の裾がきゅっと掴まれた。
振り返るとそこには少しふらつきながらも私の服を掴んで立つ黒子君の姿。

「黒子君...?」

「...連れ帰ってくれないんですか?」

彼の言葉に驚いて一瞬反応出来なかった。
冗談だと言ったのに、それでも彼は縋るように私を見つめる。

「僕...今日、頑張ったと思うんです。いっぱい話しましたし...水も吹きましたし...」

きっとまだ酔っているのだと思う、彼の言葉は相変わらず支離滅裂だった。

「......それに、名字さんが、連れて帰っていいって...」

「…黒子君」

本当にもう、こんな無防備な姿を見て何も思わない程薄情な人間ではない。
いや、というかそういう話じゃなくて、今はもう私も少しときめいてしまっているんだと思う。
普段の彼からは想像もつかない甘えたような声と、真っ直ぐな視線。

でも私はわざと少し意地悪を言った。

「ちゃんと告白してくれたら、お持ち帰りしてあげるよ?」

勿論これは彼の為でもあるのだけれど。
だって多分彼は酔いが覚めれば酔ってやらかしてしまったことを後悔しちゃうタイプの人だと思うから。

私の言葉に彼は大きく目を見開いた後ぱちりと瞬きをした。
そしめそれからもう一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。

「...名字さんが好きです」

その声は小さかった、でもしっかりと私に届いた。
私はもう迷う事なく彼の手を取ってしまっていた。

「じゃあ...お持ち帰り、決定だね」







彼からおねだりしてきたのに、その顔は更に真っ赤になった。
でも私の手をぎゅっと握って、ちょっと本当に私の方がヤバいかもしれない。彼が可愛すぎて。
彼の手を引いて家へと帰る道すがらまだ酔いの覚めない彼はふらふらと私の肩に寄りかかってきた。

「...名字さん...」

愛しそうに名前を呼ばれ、胸がきゅうっとなった。

「大丈夫? 足元、ふらついてるよ」

「...大丈夫じゃないです。でも...名字さんが、いるから...大丈夫...です」

彼の言った言葉はやっぱりよくわからない理屈。
でもそんなところさえもうたまらなく可愛い。
なんとか無事家に着いて玄関に入り靴を脱いだ途端、彼は私に抱きついてきた。

「す、好きです...好き...名字さん、すき......」

何度も何度も、私に擦り寄って甘えて額を胸元に押しつけながらその言葉を繰り返した。

「黒子君...可愛すぎるよ、もう...」

思わず抱きしめ返したくなる。
でもそれをしてしまえば私自身理性が飛んでしまいそうで。

「(だめだ、今の黒子君は酔ってる。もしこのまま流されてしまったら真面目な彼は明日自分を責めてしまうかもしれない)」

だから私はその誘惑をぐっと堪えて優しく彼の体を支えてベッドに座らせた。

「黒子君、お水飲もう?もう少し酔い覚まそう?」

「ん...名字さんの声...好きです...お水...あ、でも...眠いかも...しれな、い、です...」

コップを差し出したけど彼のまぶたはすでに重そうで、ぼんやりとこちらを見たあ後ぽすん、とベッドに横になってしまった。

「...名字さん...好き...ほんとに......」

完全に意識が落ちる前にそう呟いて、そのまま彼は小さく寝息を立て始めた。

私はそっと布団をかけて彼の頭を撫でた。

「(ちゃんと気持ちを伝えてくれてありがとう。今夜はゆっくり休んでね)」

彼の穏やかな寝顔を見つめながら、胸いっぱいのときめきを抱えて、そっとベッドの端に腰を下ろした。
すると無意識なんだと思うけれど彼は私の手を握った。
側にいてって、甘えられてるみたいに。
そっと剥がそうとしたけれどそうすれば彼の手に力がこめられて、仕方ないかとそのまま彼の隣に寝転がった。
すると彼は甘えるように擦り寄ってきて私に抱き付いた。

「おやすみ、黒子君」

彼の寝息を聞きながら私も眠った。













眩しい朝の光がカーテンの隙間から差し込んできた。私はその光で目が覚めた。
うっすらと目を開けて隣で寝むる彼を見た。
規則正しい寝息を立てて、その寝顔はやっぱり少し幼く見える。

そんな寝顔を見て昨日のことを思い出して思わず口元が緩んだ。

「(昨日の黒子君可愛かったなあ...たくさん甘えて、たくさん好きって言ってくれて...)」

そんな思いに浸りながらしばらく彼の寝顔をみていると。

「あ、おはよう」

「...っ!」

黒子君の目が開いた。
そして目の前にいる私に気付いた瞬間まるで雷に打たれたかのように飛び起きた。

「なっ...!? えっ...!? えええっ!? な、な、なんでっ!?いたっっ!?」

そしえ跳ね起きた拍子に、頭をゴンッと勢いよく壁にぶつけてしまう。

「わっ!だ、大丈夫!?」

私は慌てて彼に手を伸ばすけれど、黒子君は片手で頭を押さえながらもう片方の手で自分の顔を覆った。



「...い、痛いです...でもそれより、なんで僕...名字さんと同じベッドで...!? もしかして、もしかして僕...何かっ...!」

動揺して目を泳がせる彼を見て私は少し笑ってしまった。

「黒子君が離してくれなかったんだよ。一緒に寝ようって抱きついてきたの。可愛かったよ」

「......」

私の言葉に彼は絶句して固まってしまった。

「でも大丈夫、何もしてないから。黒子君酔ってたし一緒に眠っただけだよ」

そう教えてあげると彼は顔を真っ赤にしながら、ようやく目を合わせてきた。

「そ、そうですか...よかった...あっ、いえ...よくないというか、あの、なんというか...」

何とも言えない表情で口ごもる彼。そしてほんの一瞬、視線を外してぼそりと呟いた。

「...少しだけ...残念です...」

その言葉に心臓が跳ねた。
こんなに可愛い彼が、少し大胆すぎるくらいの言葉を。
そんな彼の柔らかな髪を優しく撫でた。

「じゃあ...今度はちゃんと起きてるときにね」

黒子君の顔がさらに赤く染まってしまった。そんな彼の手を優しく握る。

「...ねえ、黒子君」

「...はい」

少し落ち着いたのか声が普段と変わらないトーンに戻った。
私としては少し残念だけど、でもちゃんと話をしなくちゃいけないことだから。

「昨日は酔ってこんなことにって、気にしてるでしょ?...じゃあさ、もう一回やり直さない?」

私の言わんとしていることを彼はすぐに理解したようで気持ちを落ち着かせるように一呼吸おいてから私の目を真っ直ぐに見た。
その目はもう先程までの彼とは違う。

「...名字さん」

小さく深呼吸、彼は小さく、でも確かな声で。

「僕は名字さんのことが好きです。...昨日も今日も、これからもずっと...。僕とお付き合いしていただけませんか?」

静かな、でもどこか力強さを感じるその言葉が心の奥にすっと染み込んでくる。
昨日から彼は何度私の胸を撃ち抜くのだろう。

「...うん、知ってるよ」

彼の髪を優しく撫でて、自然と笑みが浮かんで。

「昨日もいっぱい聞かせてくれて、今もこうしてちゃんと好きって伝えてくれてありがとう。よろしくお願いします」

もう家に連れ帰った時点で私からすれば彼を拒むなんてありえないことだったのだけれどそれでも彼は驚きを隠しきれない顔をした。
きっと昨日のことを断面的に覚えていて嫌われてしまったのではないか、とか考えていたのだと思う。

でも

「...名字さん」

気付けば彼の腕がまた、私の体をぎゅっと抱きしめていた。
昨日よりもしっかりと、でもどこか優しくて。

「...本当に...好きです。酔っていなくても、ちゃんと好きで...本気で好きです...」

私もそんな彼の背に腕を回し、その温もりを噛み締めた。

「私も黒子君が大好きだよ」

彼の温もりと心臓の鼓動を感じながらゆっくりと朝が過ぎていった。


end