大学に進学して、迎えた初めての春。
新しい生活に胸を躍らせると同時にその変化にも少なからず不安も胸に抱く、そんな季節から少しした頃、この春から一人暮らしを始めた彼の部屋を私は訪ねた。
何かとお互いにバタバタしていて家に上がるのは今日が初めてだ。
駅から徒歩十数分、少し古いけれど綺麗にリノベーションされたワンルームマンションの一室。
インターホンを鳴らし鍵を開け扉を開き中に通されるとその部屋はすでに彼らしい空気に包まれていて、自然と頬が緩んだ。
「それじゃあ、お邪魔します」
「あんまり期待したらアカンで?男の部屋やねんからなぁ」
そう言いながら通された彼の部屋はとても清潔感があった。
物は少なく、必要なものだけが最低限置かれていて、カーテンやラグ、寝具もすべて落ち着いた色合いで統一されていた。
飾り立ててはおない、けれど適当なわけでもないその空間に彼の性格がそのまま表れている気がして、居心地の良さを感じた。
「そないにジロジロ見られたらいくら俺でもちょっと恥ずかしいで」
「ごめんね、つい...」
彼がそう口にしたときの表情は、どこかくすぐったそうで、でもきっとその表情程彼は恥ずかしがってなどいない。
付き合う前から数えればもうなんやかんや長い付き合いだから、彼の考えていることはそれなりに分かる。
「まだ春やのに今日は暑いなぁ。喉渇いたわ、とりあえずお茶飲みたいから名前も飲みぃ」
そう言って冷蔵庫から取り出した冷たい麦茶をグラスに注いで差し出してくれた。
人に気を遣わせず、自然と心地よくさせてくれる。
少し厄介なところはあるけれど彼が人望を集める理由の一つにこんなさりげない気遣いもあるのだと思う。
「ご飯とかちゃんと作ってるの?」
ふと気になって訊ねた私に彼は少し大げさに肩をすくめて笑った。
「んなもん適当や、適当。冷凍食品とレトルトとかめっちゃ世話になっとるで。せやからなぁ、たまには美味しいもん食べたいな〜って思ってんのやけど?」
彼はそう言って私の身体を引き寄せて抱きしめた。
けして強く抱きしめられたわけではない、私が離れようと思えば簡単に振り解けそうな、そんな優しい抱擁。
「...もう...」
照れくさくなって小さく声を溢した。
自然と私の視線はシンクの方に向いて。
コンロにはそこそこ使い込まれたフライパン近くに置いてある調味料のボトルはばらつきはあるけれどそれぞれ中身が減っている使いかけのものばかりで。
すぐ使えるよう立てかけられたまな板。
ご飯作るから冷蔵庫の中見てもいいかと確認をとってから開けたそこには全て使いかけの野菜やお肉、卵が入っていた。
どれも傷んでなどいない、それら全てが彼がきちんと自炊をしているのだということを物語っていた。
彼は自分の世話くらい自分で出来る、そんな人間だ。
でもその上で私が作るご飯が食べたいと甘えてくれたのは、きっと彼の私への愛情からくるものだと思う。
彼は私に居場所を与えてくれているのだ。
強くて賢くて、何でもひとりで出来るのに、そんな風に甘えられる隙を見せてくれる。
彼のそんな優しさがたまらなく好きだ。
「...じゃあ、今日は私がご飯作ってあげるね」
「ホンマ?一人暮らし始めてからめちゃくちゃ楽しみにしとったんよ、実は」
再び彼は私を抱きしめて嬉しそうな声でそう言った。
彼はこちらのやる気を引き出すのだって上手い。
冷蔵庫の中のものは好きに使ってくれていいし足りないものがあれば買いに行くと言ってくれた彼にゆっくりしてていいよと座らせて再び冷蔵庫を開けた。
これだけあれば簡単な家庭料理であれば出来るだろう。
もしかしたら彼は今日の為に少し多めに食材を用意しておいてくれたのかもしれない。
そうだとしたら凄く可愛いなって、勝手に想像した。
彼はベッドを背に床に座り、スマホをいじりながらも時折こちらに視線を向けて。
話しかけたりちょっかいを出されては私が集中出来ないことを知っているから、だから離れた場所で待っていてくれる。
すべてを背負って強く生きてきたような、そんな彼が私にだけはちょっとだけ弱くなってくれる。
こんなに幸せなことってそうないと思うから。
「翔一」
「んー?なんや?」
お互い忘れたフリをしているの、賢い貴方はきっと分かっていて、敢えて付き合ってくれているんだよね。
「大好きだよ」
「なんやの、急に可愛いこと言うて...」
柄にもなく少し照れた様子を見せた彼、これは多分演技じゃない。
保冷剤を沢山詰めたバッグには貴方の為に作った誕生日ケーキが入っている。
勿論プレゼントも。
貴方にとって特別な日を私にくれてありがとう。
end