「あ、今日美容院行ったんだ。凄く綺麗だよ」
「ありがと!よく気付いたね〜!智也はほんと細かいところに気付くよね。学校でもモテちゃってるんじゃない?」
土曜日の午後、部活から帰った智也は家に上がりただいまと言って母親を見るなりそう言った。
妻は嬉しそうに笑ってお礼を言って、それはそれは仲の良い親子、と呼べる光景に見える。
「そんなことないよ。それに10cmも切ったら分かるよ。それにトリートメントもしてきた?いいと思うよ、これから乾燥する季節になるしね」
「いやほんと理解あり過ぎて怖いよ!なんで数値まで分かるの?智也はびっくりするくらいパパに似てくんだから」
中学生って大抵無意味に母親に反抗したり距離を取ったりしませんか?
…まぁ僕にそういう時期はありませんでしたけど。
というか智也が小さかった時は仕方ないにしてもそろそろ僕のこと名前呼びに戻してくれても良くないですか?
僕はとっくに彼女のことを名前で呼んでいるというのに。
「そうだ、今日コンビニで買い物した時に引いたクジでシュークリーム当たったからママにあげる。これ好きなやつだよね?」
「え〜!そうだけど智也のお小遣いで買って当たったクジなんだから智也が食べていいんだよ?」
「ううん、いい。これ当たった時“お母さんにあげたい”って1番に考えたから」
いやあの本当にうちの子中学生なんですか?
こんな男子中学生いるんですか?
我が息子ながら凄く怖いんですが。
でも考えるんです、僕が同じようにコンビニのクジで彼女の好きなものが当たったら。
間違いなく智也と同じ行動をとる、と。
だからこそ余計に怖いんです。
「...智也。君ももうかなり大きくなりましたが学校に好きな人とかいないんですか?」
「...いきなり何言ってんの、お父さん。好きな人は勿論沢山いるよ。でもまぁお父さんが言う好きな人ってのはいないかな、学校には」
我が子の言葉に、表情に背筋がゾクッとした。
この子まさかそんなところまで僕に似たというんですか?
だとしたらあまりにも残酷すぎる。
「...名前さんは貴方のお母さんで僕の妻です」
「何当たり前のこと言ってんの?そんなの知ってるけど」
智也はそう言って彼女をソファーに座らせてシュークリームを食べる用に紅茶淹れてくるねと言ってキッチンに向かった。
僕は冷や汗が止まらない。
「ちょっと大丈夫?もしかして風邪?」
彼女はそんな僕を心配して近付いてハンカチで僕の額を拭いて手をあてた。
「...ちょっと熱い?今日は早めに横になった方が良さそうだね。ご飯は食べられそう?おうどんとかにしようか?」
心配そうな顔で僕を気遣ってくれる彼女、天使です。
「好きです、愛しています、名前さん」
「あ、いつも通りだね。私も好きだよ〜」
よしよしと僕の頭を撫でてくれる彼女に癒されて目を閉じてその感触を味わっていると小さくかちゃりと食器がテーブルに置かれた音がした。
智也が淹れた紅茶をテーブルに置いた音です。
彼女の分だけでなく勿論僕の分もあります。
智也が所謂マザコン気質であるというのは間違いないと思います。
まぁ悪い事ではないんです、自分の母親を好きだということは。
それに僕に対しても妻ほどとは言わずとも父として慕ってくれていることは自覚してますから。
だから何の問題もない、筈なのに...
「僕もお母さんのこと大好きだよ」
「あははっ、私も智也大好き〜!」
うちの子は思春期とかこないんでしょうか?
あまりにもストレートな言葉。
そしてそれに同じように返した彼女は息子の智也をぎゅーっと抱きしめた。
待ってください、僕が言った時はそんなことしなかったじゃないですか。
あと僕には“好き”だったのにどうして智也には“大好き”なんですか!
不公平です、納得出来ません。
「名前さん、僕のところにも来てください」
彼女の温もりを今すぐ実感したくなり両手を広げおいでと言えば彼女より先に智也が口を開いた。
「お父さんちょっと落ち着いてよ。息子の前でそんなことして恥ずかしくないの?」
“どの口が言うんですか!?”と思わず口にしそうになったのをぐっと堪えた僕は偉かったと思います。
いえ、大人気ないことは分かっているんです。
でもね、僕がそんなに理性的であれば今この幸せな暮らしは出来ていなかったんですよ。
僕が彼女に狂う程恋をして閉じ込めてしまいたいとまで望んだからこそとんとん拍子に事が運んで彼女と結婚、そして智也を授かるところにまで漕ぎ着けたんですから。
...まぁ彼女が少し変わっていたから、というのもありますが。
いや、変って話じゃないです。
世界で一番素敵な女性ですから!
「僕が恥ずかしい男でなければ君は生まれてきていません!」
「ちょっとテツヤ!」
あ、久しぶりにベッド以外で名前を呼んでもらえました。
やっぱり嬉しいものですね、愛する人に名前で呼んでいただけるのは。
「今夜いいですか?」
「ばかっ!息子の前で何言ってんの!?」
今のは完全に失言です。
僕が反省すべきところですね。
でも叱られても辛くはないです。
それくらい嬉しかったですから。
でもそんな多幸感は智也の一言ですぐに遮断されてしまいました。
「明日休みだから今日は僕がお母さんと夜更かしして映画観る約束してるから無理。お父さんも観たいなら一緒に観てもいいけど?」
あの、今の言い方。
完全に智也に煽られましたよね?
え、僕の被害妄想ですか?
「映画観る時のおやつ用にポップコーンの素買ってきたから僕がお母さんに作ってあげるね」
「え〜!わざわざありがとう!後でその分のお小遣い返してあげるからね!」
「ううん、いいよ。僕が欲しいものをお小遣いで買っただけだから。ほら、紅茶冷めちゃうから飲んで?ミルクも入れておいたから」
僕、自分で言うのもなんですかメンタルは強い方なんです。
でも今ボロボロにされています。
やっぱり僕の脳って全てが彼女に支配されているんでしょうねぇ。
仕事なんかでミスがあってもそれ程慌てたりしてそれで更にミスをしたりとか絶対にないんです。
美味しいと言って智也の淹れた紅茶を飲んでいる彼女を見ながら僕も同じように紅茶ひと口飲んだ。
出されたものをそのまま飲んだから僕は砂糖を入れていない。
それなのに飲んだ紅茶は優しい甘さがあった。
智也が既に僕が好む甘さに調整しておいてくれたということだ。
「...美味しいです」
「お母さんはスプーンにミルク一杯と砂糖は半分、お父さんは砂糖一杯半でしょ?」
多分智也の中で妻は物凄く大好きな人なのでしょう。
でもそれには敵わずとも僕のことも好きでいてくれている、本当、分かってはいた筈なんです。
僕はいつまで経っても我儘な子供です。
それは彼女が、名前さんがそれを許してくれていたから。
そんな僕を彼女は、智也は父にしてくれたんです。
「ええっ、ちょっ、ほんとどうしたの!?」
泣いています。
もうなんで泣いているのか分からないです。
年齢を重ねて涙脆くなったのかもしれません。
彼女はこんな情けない僕の背中をさすって、智也は僕の近くにティッシュの箱を置いてくれました。
「お父さんのお母さんを好きすぎるとこ、僕は結構好きだよ。そんなお父さんを見て育ったから僕も自分に素直に生きていきたいって思ったからね」
ヤバいです、そんなこと言われたらますます涙が止まらなくなるじゃないですか。
ティッシュで涙を拭い軽く鼻を噛んで、ゆっくりと深呼吸をして。
「僕も君を誇りに思ってします。ちょっと複雑な部分もありますが母親思いの子供に育って大きくなった今もこうして親と過ごす時間を大切にしてくれる君に感謝してします。ありがとう、僕達の子供として生まれてきてくれて...」
「...なんか...いや、良い話なんだけどやっぱテツヤって重い...」
彼女の少し呆れた言葉に智也は小さな声で笑った。
家族団欒というか、絆が深まった感じですかね?
本当に、本当に幸せです。
でもそんな暖かな空気もたった一言で切り裂かれてしまう。
「もし今後お父さんになにかあったとしても僕がお父さんの何より大切なお母さんのこと一生幸せにするから安心してね」
そう言った智也の顔にはとても見覚えがあります。
智也の顔に昔の僕が重なった。
彼女はあの頃と変わらない笑顔でそんな智也を見守っている。
「...大丈夫です。僕は意地でも生きて君のお母さんを看取ると決めていますから。ですから君は僕たちの事は気にせずのびのび生きてください。それが僕の、僕たちの1番の望みなんですから」
その言葉に裏が無かったとは言いません。
自分の子に嫉妬してしまう程僕は彼女を愛していることを自覚しているのですから。
「私も智也が幸せに生きてくれたらそれだけで十分だからね!パパのことはママに任せて!」
こんなに彼女を愛している僕に譲歩を覚えさせたんです。
君は僕にとって最強の存在です。
どうかこの子が、家族3人の幸福がこれからも続くように。
僕もより精進しようと、そう思っています。
end