夜も更け、静かだったはずの部屋。
今夜もその静寂は彼女の一言で打ち破られる。
「テツヤ君!ねぇねぇー!カラオケ行かない!?今すっごく歌いたい気分!明日お休みだしさぁ!いいよね?」
彼女はそう言ってカーペットの上でごろごろ転がり始めた。
先程までは大人しくスマホの睨めっこしていたと言うのに。
もしかしたら音楽でも聴いていたのだろうか。
でも彼女と違い僕は半分寝落ちしかけていてそろそろベッドに、と考えていたくらいで。
「...名前さん、今何時だと思っているんですか...」
彼女がこういうことを金曜日の夜に言い出すことは珍しいことではない。
気持ちはわからなくはない、休日前日の夜という時間は気が緩むしテンションも上がりやすい。
でもどうせならもう少し早い時間に言ってほしいというのもまた本音で。
そんなことを考えている僕の顔を彼女は期待に満ちた目で見つめてくる。
本当に困っているのにその顔も可愛いと思ってしまう自分もいて。
「お願い〜!夜のテンションで歌いたいの!たまにはいいじゃん、夜更かしカラオケ!ふたりで行ったら絶対楽しいよ?」
「...この間、深夜のお散歩も付き合ったばかりなんですけど...本当に元気ですね...」
多分もう駄目なんですよね。彼女の熱意に負けそう、というか諦めているというか。
彼女は更にごろごろ転がりながら僕の膝に頭を乗せて僕の顔を見上げる。
こういうのわざとやっているなら少しタチが悪いと思う。
「明日おやすみだよ〜?ほら、深夜のカラオケとか若者の特権ってやつだよ!...テツヤ君と一緒にデュエットしたいなぁ〜」
これはもう僕にも問題があるんでしょうね。
僕が彼女を好きすぎるせいです。
僕はどうにも彼女に甘い。
「...名前さん、...そんなに楽しそうな顔されたら断れませんね。分かりました、付き合いますから着替えてきてください」
僕がそう言うと彼女は膝の上から飛び起きて満面の笑顔で僕に抱きついた。
「やったー!!テツヤ君大好きっ!!!」
喜び方が休日に遊園地に連れて行ってもらえることになった子供みたいだと思った。
まぁ彼女の我儘なんて可愛いものだから。
普段は良い子で頑張っている彼女へのご褒美と思えば安いものなのでしょう。
僕も服を着替え彼女の支度が出来るのを待つ。
深夜だから多分それほどきちんとお化粧をしたりはしないでしょうがやはり女性の方が準備に時間はかかるだろうし。
「...本当に、僕の恋人は手がかかりますね。でも、楽しみです」
「時間ないから早く入れなくちゃ!」
深夜のカラオケボックスでふたりだけのライブが開幕。
彼女は部屋に入ってリモコンを手に持つと10秒も経たずに曲を入れた。
きっとここに着くまでに何を歌うか決めていたのだろう。
楽しそうに一曲歌いきるとまたすぐにリモコンを操作し始めた。
「次はどれ歌う?デュエットしよ!テツヤ君も一緒に!」
そう言って僕も知っている曲を入れた彼女にマイクを渡される。
正直なところさっきまでうとうとしていた僕にはわりときつい。
でもまぁ嫌で仕方ないなんてこともない。
「...名前さんのテンションについていけるように頑張ります」
カラオケボックスの薄暗い照明の中で流れる明るいメロディ。
歌い出しは僕から、やっぱりあまり声は出ないけれど無理はしないように。
もうこんな季節ですから、喉を傷付けては風邪なども貰いやすいですから。
それにしてもカラオケなんて基本的に自発的に行かないから本当に久しぶりで、少し緊張して声が震えてしまう。
でも彼女が隣で嬉しそうな顔で聴いていてくれるから、段々その緊張も溶けていく。
ふたりのデュエットは少しちぐはぐとしていたけれどそれでも一緒に歌うことは楽しいと感じた。
「......なにこれ、やば...!!」
そして歌い終わると彼女は大拍手。
そして子供のようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
これ下の階の部屋の方は大丈夫なのだろうかと少し心配になった。
「テツヤ君、なにその歌声!!天使!?天使降臨!?上手すぎ!!綺麗すぎ!!今の完全にCD出せるレベルだったよ!!」
彼女のあまりの褒めっぷりに少し顔が熱くなった。
気恥ずかしくて思わず目を伏せる。
「...そ、そんなに褒めないでください。恥ずかしいです...」
照れる僕に彼女はずいっと近付き両手を握り目を輝かせる。
僕と違い本当に感情豊かな女性だと思う。
「だって感動したんだもん!ずっと聴いていたい!もっかい歌って!お願い〜っ!!」
彼女が歌いたくてカラオケに来たと言うのに僕の歌が聴きたいだなんて。
彼女は帰ってから後悔しないだろうか?
でも言い出したら聞かない彼女だから。
「...名前さんの前だから頑張って歌っただけです。...ですからそんなに期待を満ちた目で見つめられると困ります...」
「え〜〜〜かわいい!歌声も反応も天使じゃん!ギュってしていい??」
可愛いと言われるのはけして嬉しいというわけではないけれどここまで全肯定されれば嫌な気はしない。
彼女に抱きしめられるのも勿論嬉しいけれど___カラオケルーム内には防犯カメラも設置されているようだからそれは断った。
でもそんな理屈は彼女には通じない。
最後まで言い終える前に全力で抱きしめられた。
「次はこれ!前にテツヤ君が好きって言ってた曲歌おっ!ふたりで歌うなら恥ずかしくないでしょう?」
彼女は僕を全力で抱きしめた後、そう言ってリモコンを操作して表示されたタイトルを見せた。
首輪縦に振ると彼女はにこにこ笑顔のまま曲を送信。
僕はアイスティーを一口飲んで心を落ち着かせる。
すぐにイントロが流れて彼女にマイクを握らせされてやっぱり少し緊張しながら歌う。
彼女は頭を小さく振りながら楽しそうに歌っていた。
ここまで喜んでくれるなら深夜カラオケもそう悪くないなと思った。
その後数曲歌うと退室10分前を知らせる言葉がリモコンに表示された。
今歌っているものを歌いきればあと一曲というところだろう。
最後は彼女に思い切り歌ってもらおうと思い間奏の間に何を歌うか訊ね、彼女の指定した曲を予約した。
1時間なんてあっという間だったなと思いながら上着を羽織り出られる用意をして彼女の最後の曲を聴いた。
彼女にも上着を着せ外に出る。
相変わらず明かりは少ない。
あの2時間もすれば日は登る、でも今はまだ夜と呼べるだろう。
「今日は1時間だけって言ったもんね。偉いでしょ?」
延長など希望せずに大人しく1時間でカラオケを終えたことを彼女は自慢げにそう言った。
外の冷気で少し鼻が赤くなった彼女の首に僕のマフラーを巻いてあげた。
「はい、とても偉いです。今日は元気いっぱいでしたね」
その言葉に同意すればやっぱり彼女はにこにこと嬉しそうに笑う。
「ねえテツヤ君。さっきの歌声、ほんとにびっくりした。またテツヤ君の好きなところ増えちゃった!」
照れることもなくこんなにストレートに好意を伝えてくれる、彼女のこういうところが好きで堪らない。
「...ありがとうございます。僕もそうやって気持ちを隠さず伝えてくれる名前さんが大好きです」
帰り道、ふたり肩を並べて歩く。
握った手から互いの体温が混ざり合って、それが凄く心地良い。
さっきの歌声の余韻が、胸の奥までじんわり広がる。
「ねぇ、テツヤ君。お布団に入ったら子守唄歌ってくれる?」
「...はい、わかりました。今日は特別ですよ?」
少し気恥ずかしい気もするけれど彼女が喜んでくれるのなら頑張ってみようと、そう思った。
貴方が夢の中でも笑っていられるように、そう願って心を込めて貴方に歌を贈ります。
end