あるひのもりのなか
▼▲▼
あれから、葵枝さんが炭治郎くんのお母さんと聞いてとってもびっくりしていたのが懐かしく感じるくらいには、時が過ぎた
あの後彼のお父さんも帰ってきて、葵枝さんが状況を説明するとわたしの手を大きな手で撫でてくれた
炭治郎くんのように暖かな手で、なんだかすごく安心してしまってちょっぴり泣いた
竈門家はみんな優しくわたしを受け入れてくれて、時折山へと一緒に家族を探しに連れていってくれた
それでも家族は見つからないし、何となく、《ここ》には家族はいないのではないかと感じていた
(突然の季節の変化に、違う場所…)
きっとあの彼岸花畑の鈴の音が何か関係しているのではないかと思っている
(そして、ここは…時代も違うみたいだ)
台所仕事を手伝うにも、火は危ないからと止められてしまったため、洗濯物をさせてもらっているがまさかの洗濯板が登場して驚いたものだ
今ではここの暮らしにも大分慣れたけれど、そろそろ余所者のわたしはここを出た方がいいんじゃないだろうか…
裕福とはいえないだろうに、わたしまでいつもお食事をいただいて申し訳なさに日々背が縮んでいるのではないかと感じてしまうほどだ
ぼーっとしながら流れる川を見つめていれば、情けない顔をした自分の顔が映る
(…変な顔)
ぱちゃ、
水面に手を浸せば、自分の顔が歪んで消えていく
ぱちゃ、ぱちゃ、
そのまま水を跳ねさせて遊んでいれば、背後から草むらを掻き分ける音がしてゆっくりと振り返る
「なまえ、ここにいたのか。もうすぐひがくれるからかえるぞ」
「たんじろうくん…」
ほら、と当たり前のように差し出された手に、へらりと笑うと川から手を出して手拭いで拭い、その手を取る
「なまえの手はつめたくてきもちいいな」
指先で握った手を撫でられ、くすぐったさに笑いながら握り返す
「たんじろうくんの手はいつもあたたかくてほっとするね」
そう返せば少し恥ずかしそうに頬を染めて笑う炭治郎くんは、めちゃくちゃかわいい
炭治郎くんは、長男だからといつも妹の面倒を見ていて家のお仕事も手伝い、身重の葵枝さんの助けになれるように日々走り回っている
少ししか手伝えないわたしは、彼の邪魔にはなっていないだろうか…
自分もお母さんに甘えたいだろうに、そんな素振りは一切見せずに全力で家族のサポートをする彼が眩しくて仕方ない
(まるで、太陽みたいなひとだ)
オールマイトみたいな力強さはないけれど、どこか似たところがある
ふと、勝己くんや出久くんは元気だろうかと考える
わたしがいなくなってから、結構な月日が流れている
きっと行方不明扱いになっていて、彼らにもそれは伝わっているだろう
「……」
(…やくそく、まもれなかったな……いや、それでも、帰ることは諦めたらいけない)
きっととっても心配してくれてるだろうし、なるべく早く帰れるように頑張らなきゃ
(……お金を稼いで、葵枝さんたちに渡せるようになったら、出て行こう)
さすがに今すぐは無理だけれど、それまでにこの時代の常識や生き方を覚えなければ
そして、強くなるために体を鍛えなければ
ぐ、と炭治郎くんと繋いでない方の手を握り込み、決心すると、突然ぐいっと手を引っ張られて彼の胸に顔があたる
「ぶっ…ど、どうしたの、たんじろうくん…」
ぶつけた顔をさすりながら顔を上げれば、真剣な表情をした炭治郎くんがじっとわたしの顔を見つめる
「……なまえは、おれのかぞくだよ」
「え…?」
突然のその言葉に驚いて何も返せないでいれば、きゅ、と眉を寄せて彼が顔を近づけてくる
「ときどき、なまえから、なきたくなるような、むねがぎゅってするにおいがする」
そう言って顔を歪める彼に、目を瞬かせる
どうやら彼は鼻が利くらしく、それはただの臭いだけではなく、人の感情などの匂いにも敏感らしく、時々わたしが家族や友だちのことを思い出す度に手を握ってくれていた
あぁ、炭治郎くんのその匂いの表現を聞く限り、どうやらわたしは……自分で思っているよりも、とても寂しく感じているようだ
「なまえはひとりじゃない。おれがいる」
炭治郎くんは手を離してわたしの体を正面からぎゅう、と抱きしめる
同じくらいの身長ではあるけれど、彼の胸元は、とても広く感じた
じわじわと暖まっていく体と心に、ゆっくりと瞼を伏せる
「……ありがとう、たんじろうくん」
とくり、とくり、
彼の心音が耳に伝わり、優しい音にとても安心感を覚える
彼の背に手を回して抱きしめ返せば、彼の腕の力が強くなる
「ふふっ、すこしくるしいよ」
小さく笑ってそう言えば、彼は少し慌ててごめんと言って力を緩めてくれる
彼に大丈夫だと言われると、本当に大丈夫だと思えるから不思議だ
緩む頬をそのままに彼の胸に顔をぐりぐりと押し付ければ、頭をぽんぽんと撫でられる
(あぁ、安心するなぁ)
彼のそばは、とても心地よい
瞼を閉じてそのまま甘えていれば、ふと、ざわりと空気が揺れる
はっとして顔を上げて周囲を見渡せば、炭治郎くんも何かを感じたのかわたしを抱き込んで辺りを警戒していた
……なんだろう、嫌な予感がする
目を細めて周囲を見回していれば、なにかの足音と草を裂く音が聞こえ、それが段々とこちらへ近寄ってくる
ここで走り出して逃げれば、相手が何かわからず追い掛けられるかもしれない
様子を見ていれば、大きな影が木々の隙間にぬっと現れ、それが姿を現す
「…!!くま…」
「なんで、こんなところに…」
やばい
これはやばい
頭の中で森の中で熊に出会う童謡が流れ始めるが、そんなかわいいものではない
その熊の手には、ボロボロになった男の人が引きずられているのを見て冷や汗がどっと出てきた
(!!人を襲ってる…!ということは、人を喰べたことがあるのか…!)
人の味を知ってしまった熊は、人を襲うようになる
じっと動かずに視線だけをずらして男の人を見れば、小さく胸が上下に動いている
血が流れているのはどうやらお腹と顔、足
内臓も出てなさそうでほっとする
(今なら、まだ助けられる……!)
問題は、どうやって助けるか……
わたしたち2人であの人を抱えて逃げるのは不可能だ
炭治郎くん1人ならまだ、何とかなるだろうけど……
(…素早さなら、自信がある)
それならば手は、ひとつしかない
「たんじろうくん…」
「なまえ…?」
「あのひとを、よろしくね」
「え…」
大きめの石をいくつか拾って、大きく振りかぶる
何をしようとしてるのか察したのか、さっと顔を青くさせた炭治郎くんが何か言葉を発する前に、力強く腕を振り下ろした
コンッ
子どもの力だけあって大した威力はないけれど、それでも作戦は成功したようだ
炭治郎くんから離れてひとつ、ふたつ、石をぶつければ、怒りで声を上げた熊がこちらに突進してこようと男の人を地面に投げ落とした
その隙にだっと走り出して、木々を避けたり潜ったりしながら逃げる
「なまえ!!!!」
背後で炭治郎くんの声が聞こえたけれど、今は返事してられない
なるべく彼らから、彼の家から熊を引き離さなければ
(こここここわ……!!!)
何とか勇気を振り絞ったけれど、やはり追いかけられるとめちゃくちゃ怖い
素早さには自信があるからなんとか逃げられているけれど、相手も物凄く足が早いし時々爪が体をかする度にバクバクと心臓が脈打つのがわかる
時々森の中で体を鍛えていて本当によかった…!
それでも痛いくらいに騒ぐ心臓と苦しくなる息に、いくつもの汗が頬をつたい落ちていく
(長くはもたない……なんとかしないと…!!)
曲がったり木を登ったりして目を逸らしながら逃げているけれど、そろそろ体力も限界に近い
(こんなところで、死ねない……!!)
「……!!」
ジャリッ
先の見えない道に気が付き、ギリギリで立ち止まる
何とか落ちることは免れたけれど、結構な鋭角と深さだ
落ちたら助かる可能性は限りなくないだろう
(崖か……!)
ばっと振り返ると、ぐるると唸る熊がわたしに狙いを定めていた
絶体絶命……!
けど、これはある意味チャンス!
熊に対して構えをとり、襲いかかってくるタイミングを見逃さないように目を逸らさず瞬きを抑える
(わたしなら、できる……!)
にやりと笑って手をくいっと煽り「こい!!!!」と叫べば、熊はそれを合図に4本脚で突進してくる
「それを、まってた、よっ…と!」
ギリギリまで引き付けて、その爪が頬を掠めた瞬間
ダンっ
思い切りジャンプをしてそれを躱し、そのまま熊の背中を蹴りつけて、崖の先へと突き飛ばした
そのままの勢いで唸り声を上げながら崖の下へと落ちていく熊を覗き込めば、地面へと叩きつけられて動かなくなっていた
そのまま動く様子がないのを確認すると、ほっとして体から力が抜けて倒れ込む
「はぁ〜!か……かった……!」
震える拳を空に突き出して、長いため息を吐いた
「あーこわかったー!!」
今回ばかりは死ぬかと思った…!
ある意味この場所に来れてよかった
はぁ、ともう一度ため息を吐くと、橙色に染まる空をぼーっと見つめる
「…さて、もどらなきゃ」
あの男の人を、早く治さなければ
勢いよく起き上がると、草むらから花をいくつか拝借して崖へと投げ入れる
はらはらと舞う花を見て、両手を合わせた
「ごめんね、かわいそうなことをしたけど、ひとをたべたくまとは、きょうぞんはできないからね」
大事な人を守るためには、それを脅かすものを除けなければならない
「きみのぶんまで、ちゃんといきるよ」
そう呟いて、森の方へと踵を返した
.
▲▼▲
- 14 -