03
 声のした方を見ると、死んだはずの山南総長がそこに立っている。

「山南……総、長? 何でだよ、あんたは死んだはずだろ? 何で生きてるん……おい、その髪の色!」

 生きてることに驚いて気付くのが遅れたが、山南総長の髪の色は俺と同じになっていた。気になるのは髪だけじゃない、目の色も違う――紅い。

「私はもう、人ではありません」
「どういう、意味だ……幽霊だとでも言いてぇのかよ?」
「幽霊でもありません、生きてはいますよ。ただ、起きていられる時間や、食の好み……とでも言いましょうか。そういったものが少し変わってしまっているのです」
「それが相馬のせいだってのか?」
「このことに、相馬君は関係ありませんよ」
「けどこいつはさっき、自分の不注意でって謝ってやがったんだぞ? 無関係な訳あるかよ!」

 あぁそのことですか、と山南総長が苦笑する。

「それも、相馬君のせいではありませんよ」

 それから聞いた話によれば、変若水は硝子の小瓶に入れてあるものだが、その内の一つにヒビが入っているのを相馬が見つけたらしい。割れて零れたら困るからと、相馬が空いている器を探しに行って、見つけたのがこの徳利だったと。一時的にそこに入れて、直ぐにまた移し替えるつもりでいたのに、移し替える前に俺が間違えて飲んでしまったのだと言われた。

「つまり、俺が悪いって言いてぇのか?」
「まぁ貴方も不注意だったとは思いますが、本来は外に出していてはいけない物なのに、私が相馬君にそこに置いておくように指示してしまったんです。誰のせいかと言われたら、それは私のせいでしょうね」
「誰のせいかなんてどうでもいいんだよ! どうしてくれるんだ、この髪! お前の不注意だってんなら、責任持って戻せよ!」
「こんな時に、髪の心配ですか。貴方は面白い方ですね」

 そう言って山南総長は静かに微笑んだ。それから真面目な顔に戻り、今度は変若水の説明を始める。
 ――説明を聞き終わった俺は、茫然としていた。信じられなかった、いや、信じたくなかった。

「なら俺は……化け物になっちまった、ってことか?」
「三木組長は、化け物なんかではありません!」
「うるせぇ! 血が欲しくなるんだろ、それのどこが化け物じゃねぇってんだよ!」

 相馬の真面目な声が、余計に俺を苛つかせる。その真剣な表情すら苛立ちの対象になって、まだ何かを必死に言い募ってくる相馬の言葉は、俺の耳には届かなかった。
 酷く、苛々していた。変若水を飲むと好戦的になると言われたが、これもその作用の一つなのだろうか。

「てめぇは人間なんだから、気楽でいいよな!」
「でも、山南さんは血を飲んだりしていません! 俺は、山南さんの事も人間だと思ってます! その気持ちはこれからも変わりません!」

 山南……そうだ、山南が生きてた。しかも変な薬を使っている。幕命だと? 知ったことか、兄貴に全部言ってやる。

「このことは、全部兄貴に言ってやるからな! 山南は生きてた、変な薬も隠し持ってやがる、兄貴が知ったらどうするだろうな?」
「止めて下さい!」
「うるせぇ、てめぇに止める権利はねぇだろ! 兄貴に言ってやる、兄貴に……」

 憤る俺に、山南が静かに告げた。

「構いませんよ」
「……何だと?」
「どうせいつかばれてしまう事です、言ってもらって構いませんよ。但し、言うのは伊東さんだけにして下さいね」
「駄目です、山南さん! 土方さん達にも相談しないと――」
「土方もこのこと知ってんのかよ?! どこまで腐ってやがんだ、新選組は!」
「ち、違います、これは……」

 相馬が焦って言い訳を始めるが、その時にはもう俺の思考は兄貴のことに移っていた。兄貴に全部ぶちまけたい。それから兄貴の理想とする今後の方針を聞いて、俺もそれに従って――でもその為には、この姿で兄貴の所に行かなければいけない。

「兄貴……そうだ、兄貴は俺をどう思うんだ……?」
「三木組長?」
「俺のこんな姿を見たら、兄貴は……俺が化け物だと知ったら、兄貴は……兄貴に、嫌われちまう……」

 この変な「薬」や相馬や山南への怒りから一変、俺の心は瞬く間に恐怖で支配された。兄貴に嫌われる、兄貴に嫌われる、兄貴に嫌われる……兄貴に嫌われちまう。

「……絶対に、嫌だ!」

 どうしたらいい、どうすればいい? 兄貴に見られたくない、知られたくない。でもこれからもずっと一緒にいたい。
 だけど無理だ。もしいまの俺を見て、兄貴が受け入れてくれなかったら……俺は、生きていけない。
 ………………出て行く。
 ぽつりと呟いた俺に、相馬が驚いていた。

「どこへ行くつもりですか?」
「んな事知るかよ! でももうここにはいられねぇ、兄貴に見られる前に出て行かなきゃ……早く、朝になる前に、早く、早く!」

 気ばかりが焦る。早く出なきゃと思うのに、出る前に何をすれば良いのか考えが纏まらない。兄貴に心配を掛けないようにしなきゃ、でもどうすればいい? 何て言って出てけば良いんだ。
 それに、どこに行けば良いのだろう。人は頼れない。俺のこの姿を見られたら困るし、そいつから兄貴に伝わっちまったら意味がねぇ。

「俺が、探します!」
「あ?」
「三木組長が隠れる場所は、俺が探します」

 相馬がまた、真っ直ぐに俺を見てそう言った。

「お前に見付けられんのかよ?」
「必ず見付けます、あてがあるんです。だから少しだけ待っていて下さい」
「待つって、どのくらい待てばいいんだよ?」
「今夜中に話を付けてきます」
「今夜中?」
「はい、多分どうにか出来ると思いますので……」

 俺を見ていた相馬の目が、最後に少しだけ曇った気がする。だがどうでも良かった、兄貴に見つかる前に出て行けるなら。
 その時、突然山南が口を挟んできた。

「相馬君、三木君は腕が立ちます。出来れば今後、私達と共に行動してもらいたいのですが」
「三木組長は望んで羅刹になった訳じゃありませんから、せめて伊東さんと会う可能性の無い場所に匿いたいです」
「らせつ?」

 突然出てきた言葉に首を傾げると、山南が言い忘れてましたと言って説明に付け加えた。

「この薬を飲んだ人達のことは、羅刹と呼んでいます」
「ならあんたも羅刹って事か?」
「えぇ、そうなりますね」

 やっぱり「人」じゃねぇって事か。そういや山南のこの目、何で紅いんだ? まさかとは思うが、俺の目も?

「もしかして、俺の目も紅くなってんのか?」

 ふと漏らした俺の言葉に、相馬が目を逸らした。山南は困ったように薄く笑っている。
少しの間を置いてから、山南が「えぇそうです」と頷いた。言葉を失う俺を置いて、山南はまだ俺を残したいと相馬に言っていたが、何故か相馬が頑として受け入れなかった。

「…………分かりました。確かに私の不注意でもありますから、三木君の腕を借りられないのは残念ですが、後は相馬君にお任せしましょう」
「有難うございます。羅刹の存在は、絶対に他言しませんので」
「えぇ、それはお願いしますよ」

 山南はそう言って、この場に不釣り合いなほど綺麗に笑い、また稽古場の奥へと消えて行く。外されていた戸板を戻すと、そこはまた「壁」に戻っていた。

「三木組長、これから急いで話を付けてきますから、ここで少し待っていて下さい」
「……あぁ、分かった」

 相馬の言葉に静かに頷き、俺はその場にへたり込む。
 怒りよりも、今は自分の変化が怖かった。もう人ではない、その事実が俺を大人しくさせていたんだ。

 ――数刻後、「住む場所が見つかりましたよ」と相馬が俺の肩を叩くまで、俺はずっと茫然としていただけだった。
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