幕間 - 01 -
三木組長が、いや、三木さんが変若水を飲んでしまった日、俺は三木さんを匿うために夜の道を走っていた。借りられる家に、あてがあったからだ。
――あれは一年近く前だったから、まだ新選組に入っていない頃の話になる。京の町の偵察に出された俺は、道を間違えて迷ってしまっていた。どこをどう行けば良いのかも分からず、きょろきょろとしながら歩いていると、美しい桜の木々が見えた。目を奪われて、思わず近付いて桜を見る。心が洗われるような美しさだった。
その日は天気も良くて、時間も忘れて桜を見上げていた俺に、「うちの桜は綺麗かね?」と突然声が掛けられて心臓が跳ねる。慌てて振り向いた先には、人の好さそうなおじさんが立っていた。にこにこと笑っている。
「あ、はい。余りに美しくて、思わず見惚れてしまってました」
「そう言ってもらえると嬉しいねぇ。ここの桜はなかなか花を付けなくてね、今年やっと咲いたんだよ」
「そうだったんですか。なら今年ここに来られた俺は、とても幸せ者ですね」
俺の言葉に、その人はまた嬉しそうに笑った。
「でもね、桜が咲く代わりに人が死んでしまったんだ」
「え――」
突然出された不穏な言葉に、俺は固まる。内容とは対照的に、未だににこにことしている彼に、少しだけぞっとした。
「妻がね、桜が咲く時に亡くなってしまったんだよ。だけど私は思うんだ、桜が妻の命を奪ったのではなく、妻がこの桜を咲かせてくれたのだと。だから私はこの桜を見ていると、妻が見守ってくれているようで嬉しくなるんだよ」
「そうだったんですか……。奥様は、残念でしたね」
「人の命はどうにもならないからねぇ。でも、いつまでも嘆いていたところで妻が生き返る訳ではないし、私は前を向いて歩いて行こうと思うんだ」
そう言われて、彼がずっと微笑んでることに納得した。桜をその奥様だと思っているのなら、こんなにも綺麗に咲き誇っているのを見たら嬉しくもなるだろう。それなら、思わず微笑んでしまうのも頷ける。
俺はもう一度桜を見上げた。
最初に見た時と、少しだけ趣が変わったように見えるのは、俺の気持ちが変わったからだろうか。美しい中に、物悲しさを感じてしまう。いや、だからこそ美しいのかもしれない。
そんなことを思っている内に、俺の横に影が差した。視線を移すと、にこにことしたままのその男性が、俺の直ぐ傍にまで来ている。不意に、彼の手が俺の肩に置かれた。まるで抱き寄せられているような体勢になったことに、少し違和感を感じてしまう。
「あの……?」
「もし、この家が必要になったらいつでも言いに来ると良い」
「家?」
言われてよく見てみると、桜並木の奥に確かに家がある。
「あの家は?」
「私の家なんだが、妻が亡くなってしまったからね。いま私は別の家に居るんだよ」
「他にも家をお持ちなんですか?」
「まぁ、お金だけはあるからね」
そう言って彼は笑った。最初に見た時と同様、その笑顔は人が好さそうに見える。ただ、言われた内容に意味の分からない部分があった。
「家が必要になる、と言うのは?」
この質問にその人はまた笑い、俺に仕事はしているのかと訊ねてきた。
「え? えぇ、まぁ」
「そうかい。君は困っていないようだが、でもこんなご時世だからね、仕事を失ってしまう子も居るだろう? 私はそういう子達の支援をしているんだよ。住む家があるのは、それだけで安心出来るものだろうからね」
「そうだったんですか。確かに、家があるというのは心強いですよね」
優しい人だ、そう思った。
微笑み返した俺に、彼は相変わらずにこにことしていた――――この時見た家に、三木さんを匿うつもりだった。
深夜ではあったけれど、気にせずにその人の家の門扉を叩く。ほどなくして出てきたのは俺よりも若い少年で、その子が俺を屋敷へと案内する。通された奥の座敷で待つ間、いまの少年も彼に支援されている子なのだろうかと考えていた。
その思考は、障子が開いて途切れることになる。