幕間 - 02
 その人は実際、家を幾つも持っていた。小屋のような小さな家から、広い敷地のものまで。
 けれどそこに住まわせてもらえるのは「少年」だけなのだ。彼は身寄りのない子や行き場のない子達を言葉巧みに誘い込み、家を提供する代わりに少年達を好きにしているらしい。
 とは言え人が好さそうに見えたのもあながち間違いではなく、酷いこと――例えば、暴力や犯罪教唆等――はしておらず、ただ時間を掛けて彼等を心身共に我が物にしているのだ。

 そのことを、俺は既に知っている。

 知ったのは偶然だった。
 つい先日、以前ある藩で出会った一人の青年と町ですれ違い、少しだけ話をしたのだ。そこで彼が、数年ほどある男性の元に居たと言った。しかしその男が愛でるのは「少年」に限るそうで、成長と共に可愛がられなくなり、居たたまれなくて出て来たそうだ。

 不思議だったのは、その青年が全くその男性を恨んでいないことだった。俺だったら好き勝手に自分の時間を弄ばれて、飽きたら捨てられるだなんて御免だ。けれど一緒に過ごすと、また違うのだろうか。
 分からない。それ以前に、知りたくもなかった。

 話を聞いてる間は、あのおじさんと、この話に出てくる男性とが同一人物だとは思っていなかった。しかし最後に「町外れに桜の庭のある屋敷を持っている人」と言われて、彼がその人なのだと気が付いたのだ。
 その話を聞いた時の俺は、彼を軽蔑していたのに。まさか今になって、頼ることになってしまうとは……。
 そしてこうなった今、心配なのは俺が「少年」に分類されるかどうかだ。こんな心配をしている自分が嫌になる。一年前の俺には興味を示していたようだったし、あの時肩を抱かれたような気がしたのはきっと気のせいじゃない。
 俺の見た目は、さほど変わっていない筈だ。だから恐らく大丈夫だろう――三木さんを羅刹にしてしまったのは俺のせいなのだから、家を借りるために何を要求されても、俺は飲むしかない。
 そうして夜分遅くに訪れた例のおじさんは、俺を見るなり相好を崩して「家が必要になったのかね」と俺の手を取った。

 案の定、お金は要求されなかった。
 ただ俺の姿を見て、「そう長くは貸せないかもしれないな」と言われて怖くなる。俺は、そんなに成長していたのだろうか。だが他にあては無い。この人から家を借りられなくなったら、もう三木さんを匿えなくなってしまう。どうしよう、どうしたらいい……?
 不安そうな顔をした俺の肩に、おじさんの手が乗せられた。

「まぁそんな心配しなくとも、当分は貸してあげるから」

 その手が俺の背に回され、そのまま抱き寄せられる。聞いた話では、彼は時間を掛けると言われていたけれど――そうか、俺が成長しているから、青年になりきる前の俺に手を出す気なんだ。

 嫌だ――

 本能が拒絶する。けれど俺に嫌がる権利は無い。三木さんへの責任を取らなくてはいけないのだから。早く屯所に戻らなければいけないと伝えていたからか、この夜は身体を触られるだけで終わった。けれど帰り際、「また明日来るように」と念を押される。俺はただ、頷くしかなった。
 屯所へ戻る道すがら、彼が言っていた「亡くなった妻」の事を考える。彼には本当に「妻」が居たのだろうか。もし居たのだとしたら、彼の性癖を知っていたのだろうか。知らずに結婚をして、知ったから命を絶ったのでは?
 いや、病気かもしれないじゃないか。何も知らずに居たのかもしれないし、知ってた上で受け入れてた可能性だってある。どうせ考えたって分からないのに、あの桜を思い出すと何故か胸が締め付けられてしまう。もしもその妻が、彼を愛していたとしたら――?
 そこまで思って、首を振る。見ず知らずの、本当に居たかどうかも分からない人の為に胸を痛めるなんて、馬鹿げている。
 
 今はそれよりも三木さんの今後を考えなければいけない。それと、俺がなるべく成長しないで居られる方法もだ。少しでも長くあの家を借りていたい。山南さんは博識そうだから、何か良い情報を持っているかもしれない……考えることが多過ぎて、頭の中がごちゃごちゃしている。
 振り切るように、俺は夜道をひた走った。走りながら、また桜を思い出す。とても綺麗だったと。

 どうせなら、あの桜を三木さんにも見てもらいたい。本当に、心が洗われるようだったから。少しでも、慰めになればいい――あぁ、けれど羅刹は昼には動けないんだったっけ。でもきっと、夜桜も綺麗だろう。
 月の綺麗な夜にでも、桜を見に誘ってみようか。桜の季節はまだ先なのに、気が早いだろうか。

 いや、違う。そうじゃない。
 本当は三木さんに見て欲しい訳じゃなくて、自分が見たいんだ。あの美しい桜を見て、俺はこの現実を忘れてしまいたいだけなんだ。

 俺は、どうしたら良かったのだろう。仮の器を徳利にしなければ良かったのか、それとも変若水の容器のヒビになど気付かなければ良かったのか。
 そうだ、あんなもの割れて流れて、駄目になってしまえば良かったんだ。そうすれば、三木さんが羅刹になる事も無くて、俺があのおじさんに触られる事も無くて――走りながら、視界が滲んだ。
 泣いちゃ駄目だ、泣きたいのは三木さんの方だ。俺に泣く資格なんて無い。屯所に着くまでに、気持ちを切り替えなくては。
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