ねがいを叶える人
窓から直射する夕日が眩しかった。
山の頂上にある雄英高校の周囲には遮るものがないためカーテンのない廊下は赤く染まっている。部活動をしている生徒の声がどこからか聞こえてくるが、広大な敷地面積を有効活用しているのだろう。緑谷のいる教室が主な階層に人の気配はない。
廊下を走ってはいけませんという幼い頃からの言いつけを守って早歩きでクラスメイトを探す。通話中であるかもしれないことを考慮して呼び掛けはせず、その分目をキョロキョロと動かした。
(カイさん……どこ行ったんだろ)
葉隠は緑谷が同行しても結局相澤に小言をもらい、ついでに緑谷含む居残り組は早く帰れと急かされた。相澤の小言は緑谷たちを想ってのことだとわかってはいるが、進んで聞きたいものでもない。
外はまだ明るく完全下校時刻には余裕があるとはいえ、女子一人で帰すには少々不安な時間だ。実家暮らしの葉隠と蛙吹は家族が心配するだろうと先に帰ってもらった。二人とも申し訳なさそうにしていたが、廻は一人暮らしだから緑谷が送ればいいと言って見送り、さてと廻を探し始めて——既に十分が経っている。
電話ひとつ出るくらいでどこまで行ったのか、こうも見つけられないと不安になってくる。雄英のセキュリティは信用しているがUSJでヴィランの侵入を許したこともある。あまりに見つからないと嫌な想像をしてしまいそうで、緑谷は振り払うように頭を振った。
祈るように階段を上がり、壁から顔を出して左右を確認する。
左、いない。
右、を向くと夕日を直視して目を焼いてしまうため、窓下に視線をやるようにして見る。
「——こないで」
「ッ!!」
声にならない叫び声を上げ、咄嗟に壁に隠れて息を整える。どっどっと大きく鳴る胸を服の上から抑え、もう片方の手で口を塞ぎながら再度壁から顔を出した。
オレンジ色のスポットライトから外れた廊下の窓下。壁に背を預けて座る廻が誰かと話している。
「……そう。だから電話もしてこないで」
鋭い声だ。光源のすぐ側にいるため影になっているが、きっと表情も硬いのだろう。それらの矛先は電話相手に向けられたものらしく、緑谷でないことに胸を撫で下ろした。
他人に対して敵意を剥き出しにする廻は珍しい、というより初めて見た。雄英に入学して今まで、ヴィランの襲撃や復籍後でさえも笑顔を絶やさなかったのに。
よほど嫌な電話相手なのだろうか。スマホを握る指先がどんどん丸まっている。
「うん……やくそく、約束だからね。ちゃんと守ってね。……うん、わかってる。じゃあもう切るから——」
あっと思わず声が出た。
不意に顔を上げた廻と目が合い、どうすることもできずに硬直する。立ち聞きの言い訳、いや素直に謝った方が。高速で過ぎ去っていく思考が情けない。
とりあえず壁から出て眩しい夕日を遮る柱の影に入る。そうすると廻の顔が見えやすくなり、そして。
「——」
薄く開いた唇が何かを紡いだ。
生暖かい空気に溶けるように消えたそれは聞き取れず、大きく見開かれた瞳に申し訳なさと不思議さを混在させた緑谷の顔が映る。
「カイさん?」
「……!」
呼びかけると廻は息を呑み、次いで慌てた様子でスマホの画面をタップした。通話終了の文字が無機質に並ぶ。
「えっ、大丈夫!? ごめん、僕が来たから」
まだ話すことがあったのではないかと焦る緑谷をよそに、廻は膝に顔を埋める。はあー、と決して明るい感情ではない溜息に体が強張った。教室から遠い場所に移動してまで取った電話だ。あまり良くない雰囲気ではあったが、だからこそ誰にも聞かれたくない内容だったのだろう。
本当にごめんと廻の側に屈み込む。突然切るなんて相手側にも悪いことをさせてしまった。
謝る緑谷にやや時間をおいて、廻は長い黒髪をふるふる揺らした。膝に額を置いたまま、力なく垂れ下がる腕が手探りでスマホの電源を切り、大丈夫と呟く。
「……緑谷くん、まだ帰ってなかったんだね」
「カイさんを家まで送ろうと思って……ごめん、立ち聞きするつもりはなかったんだ。言い訳になっちゃうけど……」
「いいよ。探してくれたの、ありがとうね」
「う、ううん」
ぽつぽつとした小雨のような話し方だ。いつもは、と比べるほど緑谷は廻と話したことはないけれど、もっとはきはきしたイメージだったから少し戸惑う。
やはり何か大事な電話だったのだろうか。明らかに大丈夫ではない様子に罪悪感が湧いてくる。教室は隣棟とはいえ距離があるし、廻は戻らずにここから直接昇降口に向かった方がいいかもしれない。
「僕荷物取ってくるよ。カイさんはここで待って——」
そう立ち上がったと同時、緑谷を引き止めるように廻が緑谷のシャツの裾を掴んだ。驚いて膝の力が抜けそうになるのをなんとか堪え、廻の方へ振り向く。
「あ……」
「か、カイさん?」
「っちが、ごめん」
なにかいつもと違うと思っていたが、これほどまでとは思っていなかった。シャツから手を離してちがうとごめんを繰り返す廻に困惑しながらも、頭の隅の冷静な部分が緑谷をその場に縫い付ける。
既視感。なんとなく、廻の様子はどこかで見たことがあるし、知っているような気がした。しかしどこで。記憶の引き出しを片っ端から引いて思い出そうとするが中々うまくいかない。
もどかしい作業に奥歯を噛み締めていると、廻が少しだけ表を上げた。そっと、緑谷を伺い見るように。
(そうか、——迷子だ)
蘇るのはデパートや公園、遊園地で母や幼なじみと逸れ、ひとり泣いた記憶。もう二度と会えないんじゃないかと想像して立ち尽くしたり当てもなく彷徨って、ようやく見つけたと思った母が別人だったときの悲壮感。
今の廻はそのときの緑谷とよく似ていた。
たすけてと言いたいのに言えないように見えるのはきっと緑谷の勘違いではない。否、勘違いでも構わないのだ。こわいのは、たすけられないことだから。
ぱちぱちと幼い仕草で瞬きをする廻の前に再度屈んで目を合わせ、にこりと笑いかける。
「大丈夫だよ、カイさん」
思い出せ。いつかの幼い緑谷が迷子になったとき助けてくれた親切な人達は、どんな風に接してくれたか。
「ここにはヒーローもたくさんいるし、言いにくいなら僕が聞くよ」
「……ヒーロー」
「うん。カイさんはどうしたい? 僕は、どうしたらいいかな」
緑谷を掴んでいた方の手を隠すように握っていた手が更に廻の胸元へ引き寄せられる。クーラーのかかっていない廊下の肌にまとわりつく暑さが、今になって薄らとした汗になった。
前髪の奥、髪色より柔らかな黒い瞳が緑谷を観察している。瑞々しい唇が迷いを表すように開いては閉じてを繰り返した。たまに横に引きつるのは笑おうとしているからだろうか。いつも笑顔だからそうした方が落ち着くなら止めないけれど、しかしうまくいかないということは、そうではないのだろう。
来る者拒まず、ただし容易には近付けない。
そのイメージを抱いていた廻に、たぶん今、緑谷は近付いている。
「…………たい」
「うん」
「……かえ、りたい」
小さく儚い、誰にも秘密の願いを流れ星に願った声が、偶然聞こえたような、そんな錯覚を覚えた。
でも確かに聞こえたその声は、偶然でも錯覚でもなく、もちろん流れ星でもなく、廻が緑谷に願ったものだ。
だから緑谷の答えは決まっている。
「うん、いいよ」
僕が君の願いを叶えるよ。
影に座り込む迷子へそう言って手を差し伸べれば、くしゃりと泣きそうに歪んだ。ゆっくりではあったけれど、意外とあっさり掴んでもらえた手を引っ張る。二人たたらを踏みながら影を出て夕日に晒されるとやっぱり暑くて、でも廻には舞台袖のような暗い影よりも、スポットライトの下がよく似合っていた。
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