五ヶ月先の予約

「はずかしい……穴があったらはいりたい……」
「いや、僕もお見苦しいものを……だっ、だき……たりしたし……あああゴメンナサイ」

 寺の玄関先、門と同じく年季の入った置き物に向かって廻が顔を覆っている。対して緑谷も、廻と背中合わせにして同じポーズを取っていた。恥ずかしいとごめんをお互いに投げるが、どちらも受け取る準備ができていないため応酬が終わらない。

「本当ごめん……あんな……泣く、とは、私も思わなくて……服も……ていうかあの、色々……」

 ようやっと手から顔を出した廻が決まり悪そうに緑谷を横目で見るが、まだ羞恥心が勝つのかしおしおと声が萎んでいく。緑谷は振り向くこともできず、つい先程のことを思い出してまた頰が熱くなった。


 ——あの後。嗚咽が落ち着いてしばらくは廻の赤くなった目元を冷やしてひと休みしていた。緑谷が洗面台で濡らしてきたタオルを目に押し当て、気持ちの整理をつけているのだろう廻の邪魔をするまいと、部屋の隅でじっとしていたときだ。
 俯いてぴくりともしなかった廻が急に顔を上げ緑谷を凝視した。正確には、廻の涙で濡れたTシャツを。

「……緑谷くん、服」
「服? ああ、大丈夫だよ。夏だからすぐ乾くし」
「そうじゃなくて!」

 なにが、と尋ねるより先に廻が緑谷の服に手を掛ける。予想外すぎる出来事に一瞬体が固まるが、裾を捲り上げられて入ってきた空気に慌てて廻の腕を掴んだ。

「かかかカイさん!?」
「服! 脱がなきゃ!」
「なんで!?」
「私の個性! お酒かぶったようなものだよ! 気分悪くなる前に脱いで!」
「あっそうか涙も、って待ってカイさん! 自分で脱ぐ! 僕自分で脱ぐから!!」

 余程慌てているのか緑谷の制止も聞こえていない廻と服を引っ張り合う。安物のTシャツは伸びやすく、また廻の力が思いの外強いため緑谷の腹はへそ辺りまで見えていた。クーラーの冷えた風でぞわぞわする。いっそ個性を使った方がいいのではという考えが過ったとき——

「カイ、今日帰りは何時に、…………は?」
「あ」
「……!!」

 スッと音もなく襖を開けた、坊主頭に作務衣の老人が凍りつく。その視線は服を脱がせようとする廻と上半身が後ろに傾きながらも抵抗する緑谷に向かっており、誤解を招いたことは明白だった。目を大きく見開いた老人が緑谷たちを震える指先で指し、口をはくはくと動かす。
 その様子に廻も緑谷と同じ考えに至ったらしく、ついでに我にも返ったようで、かっと肌を赤く染めた。

「お前たち寺で何しとるかーっ!!」
「違うから!!」「違います!!」

 老人の怒号と緑谷たちの叫び声が上がったのはほぼ同時だ。


 寺の住職という老人に必死に弁解し、なんとか誤解が解けたのは騒ぎに駆け付けた老婦人が止めに入ってきてからだった。さすが妻というべきか、憤る住職をいとも簡単に宥めた老婦人には感謝しかない。緑谷のTシャツも風呂で水洗いさせてくれ、アイロンとドライヤーを駆使すれば三十分で乾いた。帰ったら家の洗濯機でも洗うから充分だろう。
 緑谷と老婦人がそうしている間、廻はずっと住職に小言をもらっていたらしい。顔を合わせたのは寺を出る玄関先で、老婦人に別れの挨拶をして、二人きりになってからが気まずさの始まりだった。
 一度離れて時間が経てば気持ちの整理もつき、客観的にも記憶を振り返ってしまう。まず初めに緑谷が目を逸らし、つられて廻も俯き、特に状況が進展しないまま現在まで経っている。
 墓参りが終わり廻ともちゃんと話し合えたとはいえ、今日の目的地はまだあとひとつ残っている。空は青いが太陽は西に傾き始めているし、帰りの電車時間を含めれば急いだ方がいい。わかってはいるが照れが勝って動けない。
 こういうとき廻の復活は早いと思っていた。しかし実際は偶に視線は感じても依然背は向けられたままで、復活の兆しはみられない。話を逸そうと故意にする言動とは違う。前世は今の廻よりも短命だったというから、異性の服を脱がせようとしたことなんてないだろう。そりゃ恥ずかしいよな、と緑谷は自分を棚に上げて思う。
 いつも廻にリードされてばかりなのだから、ここは自分がしっかりしなくては。顔を覆っていた手で拳を握り、緑谷さんが「カイさん」と呼び掛けながら振り返る。が、その声に被せるように廊下奥から現れた住職が「お、まだいたか」と廻に声を掛けたことにより、タイミングを逃した緑谷の拳はそろそろと降ろされた。目を遊ばせていた廻が緑谷には背を向けたまま住職を見やる。

「おじさん。なに?」
「帰るなら駅まで送るぞ。……お前たちどうして顔が赤い。やっぱり」
「違うってば。これは別に、その、まだ照れてるだけ。ね、緑谷くん」
「うん!? そ、ソウダネ」

 やはり振り向かない廻から話をふられて肩が跳ねる。ドギマギした緑谷たちを未だ怪しそうにじとりと睨む住職には愛想笑いで誤魔化した。

「……で、車出すが」
「いいよ、私たちまだ行くところあるし」
「じゃあそこまで送る」
「いいって」
「カイ、お前いつからそんな……二人でどこへ行く気だ」
「すぐそこのお店だよ。あと緑谷くんは雄英のクラスメイトでそれ以上も以下もないから」
「しかし」
「しかしじゃなくて」
(あのカイさんが鬱陶しがってる……)

 キレた爆豪の前ですら笑顔を絶やさずマイペースに話しかけていた、あの廻が。雄英では一線を引いた態度しか知らなかったから、随分くだけた様子の廻はとても新鮮だ。
 まるで思春期の娘とその父親のような言い合いを信じられない心地で見ていると、廻では埒があかないと思ったのか、住職の視線がぐるんと緑谷に向く。驚きつつもとりあえず笑ってみせたが、かえって癪に触ったらしい。本当に住職なのかと疑うほど柄の悪い舌打ちをされた。

「坊主、お前はこいつをどう思ってる」
「へあ?」

 何か責められると覚悟していただけに予想外な質問だ。間抜けにもぽかんと口を開けた緑谷を、すっかり通常の顔色に戻った廻が「相手しなくていいよ」と疲れた表情で振り向いた。次いで身も翻し、引き戸式の玄関扉の取手をカラカラと引く。
 この状況で帰る気だ。嘘だろ、と慌てた緑谷が「ちょっ、カイさん!?」と引き止めようとするが、廻はさっさと敷居を跨ぐと鞄から出した折りたたみの日傘を開いてしまった。戸惑う緑谷のリュックをちょいちょいと引っ張る。

「行こ、緑谷くん。おじさん、次は冬休みに来るから」
「待て! せめて来る日……時間を教えなさい。駅まで迎えに行く」
「うん、いらないから大丈夫」
「カイ!」

 言い合いは再開したが、廻に玄関の土間に戻る気はない。緑谷は住職と廻を交互に見て、申し訳なく思いながら廻の隣に移動する。

「大体お前は昔から心配ばかりかけて、少しは安心させんか」
「悪いとは思ってるよ。でも一人で来たかったから」
「一人は危ないから迎えに行くと言って——」
「そうだね、だからもう一人では来ない」

 ぴたりと言葉の応酬が止む。蝉の鳴き声が大きくなった。
 住職は客室のときよりも更に大きく目を見開き、瞬きも忘れて廻を凝視する。緑谷も驚いて同じように見ると、長いまつ毛の下から不安と期待の混じった瞳が上目に窺っている。

「来ない、から……いい?」

 反射的にシャツを握りしめた。ちょうど、濡れていた辺り。
 あまえる。
 舌足らずに呟いた廻の声が脳内でリフレインして、心臓がきゅうと苦しくなった。嬉しくて。自然と表情が笑顔になっていくのが自分でもわかる。

「——もちろん! また来よう」

 胸が熱くて、いっぱいだった。
 その熱が伝染して廻もふわりと笑う。一線引いたところにある、作り物ではない本物の笑顔。それは佳乃の墓に供えた、緑谷がプレゼントのようだと言った花束とよく似ていた。
 ゆるゆると住職が坊主頭の後ろに手を置く。そうかと、一言だけ落とされた声は静かだった。

「うん。もう大丈夫だから、またね。おじさん」
「…………ああ、また」

 眩しそうに、大切なものを見る目。そういえば老婦人が住職は廻を一際気にかけていると言っていた。廻も老婦人よりも遠慮がない態度だから心を許しているのだろう。もしかしたら少しだけ佳乃についても話したことがあるのかもしれない。
 古いアルミ製の扉がピシャンと音を立てて閉まる。すりガラスの映る黒い影を一度振り返り、緑谷と廻は寺を後にした。





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