アイスでとかせ
駅から出ると全身に纏わりつくような暑さに襲われた。体に悪い気温差だ。リュックにスポーツドリンクは入れたけれど、一本で足りるか不安になる。こまめな水分補給は欠かさないようにしなければ。体が資本のヒーロー科が熱中症になれば相澤に何を言われるか、想像するだけで恐ろしい。
用心してもう一本買おうと決め、廻を窺う。気付いた廻がぱたぱたと顔を扇いでいた手を止め、緑谷と目を合わせて「暑いね」と苦く笑った。いつもはにこやかな口角が少し下がっている。
「カイさん、暑いの苦手なの?」
「苦手というか、汗かきにくい体質だから体に熱が篭りやすくて。水分補給はちゃんとするから大丈夫だよ」
「ほんとだ、全然汗かいてないね。スポドリ足りる? 僕コンビニでもう一本買ってこようかと思うんだけど……」
「あー……足りないかも。すでに半分なくなってる」
ちゃぽん、と青いフィルムが巻かれたペットボトルの中身が廻の手の中で揺れる。緑谷の持っているものと同じメーカーだ。なんとなく嬉しい。
一人が買いに行くのはお互い気を使ってしまうからと、結局二人で駅前のコンビニに向かうことになった。駅中よりも駅前の方が商品の種類が豊富だから。駅からコンビニまで徒歩五分もかからない距離なのに、折り畳みの日傘を差した廻がそう言って先導する。日差しを直接浴びる緑谷は汗で前髪が額に張り付きそうだ。
「緑谷くんは暑いの平気?」
「どうだろう。去年の夏はほぼ毎日浜辺で筋トレしてたけど、熱中症にはならなかったよ」
「え、すごいね。全然平気じゃん」
「いやでも無茶な鍛え方してた時期だったから、もしかしたら自覚がなかっただけかも……結構ふらふらだったし、そういえば吐いた記憶もあるような」
当時オールマイトが組んでくれたトレーニングプランの内容は覚えている。かなりきついと言われた通り、否、それ以上にきつかった。その上トレーニングをしたこともない素人が追加メニューを勝手に考えて行っていたのだから、限界がくるのは当然で。今思えばよく冬になるまでオールマイトにバレなかったのか不思議だ。惜しいことに緑谷はトレーニングと受験勉強で必死だったため、せっかくのオールマイトとの十ヶ月を細かくは覚えていない。
でも、そういえば、去年のことなんだなと感慨深くなる。苦しくてきつくて目まぐるしい日々を超えたから、緑谷は今、雄英高校ヒーロー科の肩書を背負うことができている。
「うわ、こわい。熱中症って下手したら死ぬよ?」
「そのときは早く強くならなきゃって焦ってたんだ。入試に合格できるか不安だったし、僕は人の何倍も頑張らないといけなかったから」
「じゃあ合格できてよかったね」
「うん。本当に、いろんな人に助けられてる」
「……そう」
コンビニにはすぐに着いた。開かれた自動ドアからエアコンの冷房が涼しげに出迎えてくれる。快適だ。レジに店員はおらず、入店しても現れなかった。バックヤードにはいるだろうから、会計時に出てくるタイプの店員なのかもしれない。
アイス食べたいね、と廻に声をかけようとして、姿が見えないことに気付いた。慌てて振り向くと、廻は自動ドアの前に立っていた。日傘も差したままだ。
「……緑谷くんは」
廻は静かな目で緑谷を見ている。緑谷も笑うのをやめて見つめ返した。視界の端に開きっぱなしの自動ドアが滑稽に映る。店内には客がいないらしく、背後から聞こえる流行りの音楽が二人の間に流れる空気を読まず明るい。
なにか機嫌を損ねるような発言をしただろうか。動揺する心を押さえ付けて表情に出ないように注意する。ヒーローファンの緑谷はヒーローアンチの廻の地雷がわからない。電車で会話したときのような失態は避けたかったけれど、無意識にまた傷付けてしまったのかもしれない。
「……うん、どうしたの?」
——救ける、救けなければ。
緑谷がヒーロー科の生徒だからではない。そんな使命感がなくても、この人は救わなければいけないと思う。
脳裏によぎるのは梅雨明けの空。人通りのない廊下。蹲る廻。携帯電話。緑谷に気付いて振り向いた、その表情。
あんな女の子を見て放っておく奴がいたら、緑谷はヒーローどころか男としても絶対に認めない。
ひく、と廻の口端が歪に上がる。笑おうとして、失敗した。たぶん本人もわかっているけれど、廻はそのままの表情で口を開いた。
「緑谷くんは、……その、がんばり屋さんだね」
「…………へ?」
今、なんと。
「誰よりも頑張って、雄英合格して、爆豪くんと一緒にオールマイトにも勝てたもんね」
なんか、褒められているような。
「すごいね」
今度は緑谷が立ち尽くす番だった。絶対に傷付けたと思ったのに、違ったのだろうか。しかし廻は表情こそ子供が画用紙に描いた笑顔のようだったが、言葉に嘘は感じられなかった。
だからといって額面通りに受け取っていいのか緑谷にはわからない。女子であること、あまり接したことのないクラスメイトということだけではなく、廻の真意がどこにあるのか掴めないからだ。
「い、いや、僕だけの力で合格できたわけじゃないし、オールマイトはハンデもあったし……!」
「それでもすごいよ」
「そんな、ほんと、全然!! そう言ってくれるのはうれしいけど」
「いや褒めてはない」
「えっ!? あれ!? 今すごい褒めてくれてなかった!?」
「ふふふ」
あっ、これ本当に褒めてないやつだ。
手と首をぶんぶん振っていた動きを止めて、次に襲ってきたのは羞恥心だった。手で顔を覆う緑谷を廻が作り物ではない笑い声を上げながら、「ごめんね、嫌味だよ」と言う。そして日傘を折り畳んで鞄にしまうと、先に店内に入た緑谷を置いてドリンクコーナーへ行ってしまった。緑谷も追いたいが、もう少し顔の赤みが引かないと動けそうにない。
暴言を吐かないヒーローアンチ。緑谷は廻をそう評しているけれど、本当にその通りで自画自賛してしまう。爆豪の暴言が鳩尾への右ストレートだとしたら、廻の言葉は赤ん坊の平手打ちだ。要はまったく心が傷付かない。
でも、廻は痛いのではないかと思う。彼女はヒーローが嫌いなだけでヴィランではない。緑谷と同じヒーロー科の生徒で、当然良心を持っている。雄英での廻は模範的な生徒で誰にもでも優しく、その口から暴言はもちろん悪口なんて聞いたことがない。ただ、優しい言葉がそのままの意味とは限らないだけで。ナイフの柄ではなく、刃の方を持って攻撃しているようなものだ。
そうしているのは、たぶん、廻は自分の悪意を相手に気付かせるつもりがないから。それは誰にも期待していないからか、廻の良心を呵責してしまうからか。緑谷には想像することしかできないけれど——もし、もし前者なら、緑谷に本当の意味を伝えたのは。
「緑谷くん? 買わないの?」
「ふぁっ!?」
突然首に当てられた冷たい感触に飛び上がる。見ると、ドリンクコーナーから持ってきたスポーツドリンク二本のうちの一本を緑谷に当てたようだった。廻が悪戯を成功させた悪い顔をして緑谷にそのペットボトルを差し出す。
「そんなに難しく考えなくていいよ」
「え」
「緑谷くんが思ってるより単純だから、私」
そう言って目を伏せて、緑谷が瞬きをすると、廻はいつものにこやかな笑みに戻っていた。熱い手のひらと冷たいペットボトルの触れている部分が、少しずつ同じ温度になっていく。
「アイス買おうよ。緑谷くんは何がすき?」
「え、あ、チョコかな」
「同じだ。私もチョコすきだよ。半分こにできるのあるかな」
レジの前を通り過ぎてアイスコーナーに向かう廻の後を今度こそ追う。アイスケースを覗き込んでどれにしようかと悩む廻の隣で同じように悩むフリをしながら、緑谷はまたぐるぐると考えていた。
——単純ってなんだっけ。
ようやく出てきた店員の「いらっしゃーせー」と語尾を伸ばした挨拶と、廻の「緑谷くん見て! 限定濃厚生チョコ入りだって!」と初めて見るテンションの高い声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
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