大人の飲み物
廻がヒーローアンチだと知るきっかけとなったのは、後にUSJ事件と呼ばれる敵連合襲撃でのことだ。
水難ゾーンを突破した緑谷達が広間に合流し、遅れて到着したオールマイトが脳無を打破。残るは首謀者の死柄木弔とワープゲートの個性を持つ黒霧のみだと、全員が警戒を解かずに構えたときだった。
広間を見渡した死柄木が、にたぁと愉悦を滲ませて笑った。おかしくて仕方ない、そんな嘲笑を含んだ色で。
「お前、ヒーローきらいだろ」
自分たちに向けた言葉じゃない。オールマイトを除く全員が死柄木の視線の先——廻を見て息を呑んだ。蛙吹、峰田と共に相澤に寄り添う姿はヒーロー科の生徒として正しいもので、短い付き合いの中でも彼女の人柄は多少なりともわかっているつもりだ。今も先程まで広場後方にいたのに、生徒を助けるため満身創痍になった相澤を運ぶのを手伝っている。ヴィランの言葉じゃなくとも、ヒーローが嫌いだなんて信じられるはずがなかった。
真っ先に反論したのは切島だ。
「ふざけんな! カイをお前らと一緒にすんじゃねェよ!!」
「耳貸す必要はねェぞ。ヴィランの戯言だ」
続いて轟も言い放つ。廻は突然注目を浴びたことに目を白黒させたまま頷いた。肩を組んだ相澤の向こう側で「カイちゃん」と眉を下げて見上げてくる蛙吹に曖昧に笑い、死柄木を見る。目は合わせなかった。
「俺もヒーロー嫌いだからわかるんだよ。同族意識ってやつ? お前なんでヒーロー科にいんだよ。内部崩壊が狙いなら手伝ってやろうか」
「ってめ」
「切島くん、いいよ。大丈夫だから」
煽る死柄木に対し、廻は微笑むだけだ。肯定も否定もせず最低限の警戒を向けるのみで、実際廻は死柄木をまるで脅威とは思っていなかった。
それは彼女が死柄木の言う同族意識を抱いたからでも、手は出されないと高を括っているからでもない。単に廻が脅威と感じる要素を死柄木が有していないからだ。ただのヴィランに目をつけられたところで痛くも痒くもない。
唯一廻と戦ったことのあるオールマイトはそんな彼女の本質を察しており、あえて成り行きを見守っている。廻はヴィラン予備軍には絶対になり得ないヒーローアンチだと確信しているし、何よりヴィランが生徒に手を出す前に自分が止めてみせるというナンバーワンヒーローとしての矜持もあった。
惜しむらくは脳無との戦闘で活動限界時間が間近に迫っていたこと。満足に動けないことはオールマイト自身理解していた。それでも盾にはなれると、重心をやや下半身に移動させる。
「ヴィランよ!! 狙いは生徒ではなく私だろう!? 倒すんじゃなかったのか!?」
「うるせえなァ……見てわかるだろ。今勧誘中なんだよ」
「それとも、倒す自信がないのかな?」
「………………は?」
死柄木の顔面を覆う手の指の間から覗く目つきが鋭いものに変わった。狙い通りの反応に強がってみせたはいいものの、重傷は避けられないだろう。上等だ。あと数分オールマイトが耐えれば必ず増援は来る。ヒーローに自己犠牲精神はデフォルトで備わっているもので、オールマイトがナンバーワンヒーローたる所以はその精神によるところが大きかった。
「——具体的にどういう活動をするんですか?」
しかし今回に限っては、その美しい精神を許さない者がいる。
一触即発の中に問いを投げかけた廻に生徒達がゾッと肝を冷やす。思わずオールマイトも「カイ少女!?」と廻を見てしまい、慌てて死柄木に向き直った。再度注目を集めた廻は、やはり微笑んだまま死柄木と今度は目を合わせた。攻撃動作に入っていた死柄木は不意を突かれたことに舌打ちをし、両腕を広げて大袈裟に首を振る。
「おいおいおい、お前はヒーロー嫌いだろ。なに庇ってんだよ」
「私を勧誘してるんですよね? であれば具体的な活動内容を教えてほしいです。雄英を襲撃して、オールマイトを殺害する。それからどうするんですか?」
「……あ?」
「世の中を暴力で支配するのが最終目標として、何をもって支配とするんですか? オールマイトがいなくなったところでヒーローはたくさんいます。全員殺害するんですか? どのように? 現在敵連合の戦力は心許ないようですが、今後仲間はどのように増やしていくんでしょうか?」
記者会見、あるいは授業で教師に投げかけるように次々と出てくる問い。生徒達の顔色が真っ青になっていく一方で、オールマイトは奥歯を噛み締めた。廻がヒーローの何を一番嫌悪しているのかは戦闘訓練でわかっていたのに、これはその度合いを読み違えたオールマイトのミスだ。傷付けてしまった廻も、本人にその気がなく煽ってしまい、何をするかわからなくなった死柄木も。謝罪は全て終わってからする。今は生徒達の安全を優先させるべきだと、体から出る蒸気は見ないフリをして死柄木の動きを注視した。
ふっと廻が小さく息を吐く。数秒の沈黙を肯定と受け取ったのか「特にないんですね」と呟き、その瞳に初めてわかりやすく感情の色をのせた。
おかしくて仕方ない。
それは死柄木が廻に向けたものと、よく似た。
「では勧誘はお断りします」
刹那、廻の眼前に乾いた手のひら。
相澤との戦闘で死柄木の個性発動条件はわかっている。五指で触れたものを崩壊させる能力。避ける、いや。
思考するより速く、廻の腕は力いっぱい相澤と蛙吹を突き飛ばしていた。
「——離れろ!!」
次いで衝撃。
殺意に満ちた手のひらから廻を遠ざけるように突っ込んできた緑谷と絡み合いながら勢いよく地面を転がる。受け身をとる余裕もなかったため体中が傷だらけになりながらも、階段にぶつかったことでようやく震動は収まった。
「いった……」
切り傷以外にも打撲をしたらしく、痛みで体が動かない。更に個性を使って跳んだ緑谷は両足がまるで使い物にならず、呻きながら「ごめん……動けない……」と絞り出すように謝った。廻もなんとか首を振る。緑谷の胸の上に倒れているため髪が頰に当たり、痛覚以外の感覚があることに少し安堵した。
ふわ、と緑谷の鼻腔をアルコールの匂いが通り抜ける。廻の個性だろう。血か汗か判別できないが、『酔い』という名前の通り頭がふわつく気がする。親戚の集まりで缶チューハイの飲み口を嗅いだときのことを思い出した。甘さの中にある苦味。ジュースのようなデザインをしていたが、間違いなくあれは大人の飲み物だった。
「デクくん! カイちゃん!!」
麗日の声で我に返る。痛みで意識が飛んでいた。駆け寄る麗日と共に周囲の騒めきが耳に戻ってきて、緑谷はようやく広間中心に目を向けた。クラスメイト達の姿は辛うじてわかるものの、それ以外は土埃が舞っていてよく見えない。
「オールマイトは!?」
「大丈夫! 飯田くんが先生達連れて来てくれた!」
麗日が階段上を仰ぎ、緑谷と廻も倣うと、そこには飯田とたくさんのヒーローが立っていた。とてつもない安心感から体の力が抜ける。廻はゆっくりと上半身を起こして緑谷の上から退いた。
「ごめんね、重かったでしょう」
「ううん! 僕の方こそ乱暴にして……」
ごめん、と言いながら、垂れた髪で表情が見えない、廻らしからぬ早口に戸惑う。そんな緑谷には気付いていないのか、廻は肌の至るところにある切り傷から滲む血をさっと拭うと広間の方へ振り向いた。土埃は先程よりは晴れており、ヒーロー達が忙しなく動いている様子がわかる。死柄木や黒霧の姿は見えないが、表情からして逃げられたと予想できた。黒霧の個性ならプロ相手でも容易だろう。
「……麗日さん、肩貸してくれる? 体痛くて動きにくいんだ」
「痛いんなら動かん方がええよ! 私先生呼んで来る!」
「出血してる人の側にいるの、よくないから。お願い」
緑谷は咄嗟に腕を抑えようとして、あまりの痛みに呻いた。個性の反動をくらった両足だけでなく全身が痛い。麗日が慌てて安静にするように言い、廻に「わかった」と頷く。アルコールに出血を止めにくくする作用があるということは、緑谷も麗日も豆知識として知っている。廻の血を緑谷が体内に取り込んだわけではないが、離れた方が早く止血するはずだ。緑谷の出血は廻と同じく転がった際の切り傷だけだが、全身に打ち身、両足に関しては目を逸らしたいほどの重傷。仮に出血していなくともアルコールの匂いは怪我に決して良くはない。
麗日に体を預けながら立ち上がる廻に申し訳なさが募る。オールマイトのように個性を使いこなせれば、と悔やんでいると、廻に名前を呼ばれて顔を上げた。
「緑谷くんは悪くないよ。こんなことになったの、全部ヴィランのせいなんだから」
「カイさん……」
「助けてくれてありがとう」
心に重く溜まっていたものが消えていき、代わりに熱いものが込み上げる。廻の笑顔がぼやけていく。
——助けられた。
拳を握る緑谷に麗日と廻が顔を見合わせて笑う。まだ混乱からは抜け出せていないが、ひとまず仲間が無事なことは喜びたい。
「デクくんもやけど、カイちゃんも悪くないんやからね」
「え? なにが?」
「……ヴィランになんか言われとったの、ヒーロー嫌いとかなんとか……」
「ああ、あれかあ。全然気にしてないよ」
麗日の曇った表情を晴らすように廻が笑う。密かに緑谷も気になっていたため、けろりとした様子にほっとした。廻はそんな二人に苦笑いし、麗日に保健室に行こうと促す。緑谷はこちらへ向かってきているヒーローに任せれば大丈夫だろう。
じゃあまた後でね、と麗日が言い、その肩に寄りかかる廻も痛みに顔を顰めながら歩いていく。その後ろ姿を見つめながら、緑谷はやはりあんなに優しい廻がヒーロー嫌いとは思えなかった。
それが間違いだと気付いたのは翌日の臨時休校を終えた次の日。
かなりの重傷を負い包帯男になった相澤の一言で、騒がしかった一年A組の教室は水を打ったように静かになった。
「廻は除籍した」
——事件後事情聴取に同席していたオールマイトへの個性使用、及び暴行未遂のためだ。
師の名前に反射で立ち上がった緑谷を相澤が捕縛布で捕らえる。誰もが嘘だと口にしたいのに、死柄木の言葉が耳にこびりついて離れなかった。
ヒーロー嫌い。
雄英体育祭が開催される、二週間前のことだ。
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