うつり変わり

 太陽の熱がアスファルトを反射してじりじりと肌を焼く。コンビニで買ったアイスで冷やした体は既に暑さを取り戻しており、汗が滝のように流れる。天気予報は晴れなこと以外覚えていない。今の気温が何度なのか調べようと思って、知ると更に暑くなりそうでやめた。
 緑谷の斜め前を日傘を差して歩く廻が振り返る。その頰は火照ってはいるものの汗はうっすらとしか見えない。汗をかきにくいとは言っていたけれど、緑谷との量が違いすぎて驚いた。

「緑谷くん大丈夫? 休憩する?」
「うん、ちょっと暑すぎる……」

 首にかけたタオルで汗を拭ってもすっきりするのは一瞬だけだ。すぐさま肌に纏わりつく熱気が体力を奪っていく。RPGの状態異常・毒はこんな風だろうかと現実逃避をし、頭を振って道路の白線に視点を定めた。

「もう少し歩いたら緑地公園あるからそこ行こう。小さいけど屋根のあるベンチもあるし、少しは涼めると思うよ」
「ありがとう。助かるよ」
「付き合わせてるのは私なんだから、気にしないで」

 そんなことない、という文句は呑み込んだ。こうして二人で出かけると決めたときにその手の言い合いはあった。僕が押しかけるんだから。私のせいでごめんね。言ったところでキリがないと気付いてからは、どちらからともなくやめた。
 廻が鞄からペットボトルを取り出して首に当てる。気持ちよさそうに目を細める顔からそっと目線を逸らし、そういえば体に熱が篭りやすいと言っていたことも思い出す。廻は何も言わないけれど、体の熱を汗として外に出せないのは緑谷よりも危険だ。
 素直に休みたいと言って正解だった。実技訓練でも滅多に弱音を吐かないクラスメイトに声をかける。

「カイさんは人を頼るの苦手?」
「うーん、必要に応じてかな。苦手に見える?」
「見えないこともない、というか、人に何かをお願いしてるところを見たことないと思って」
「そう? でもここまで来たのは、緑谷くんが私のお願いをきいてくれたからだよ」

 あ、ここ右ね、と商店の角を曲がる廻に着いていく。緑谷もリュックからペットボトルを取り出し、一口飲んでから頰に当てた。これ以上体温が高くなると本当に熱中症になりそうで、なにより一番熱い顔の熱を冷ますと同時に他からの視線も隠したかった。周囲に人影はない上に、廻は緑谷を振り返ってもいないけれど。
 廻がくるりと日傘を回す。黒い生地の縁を飾るレースが花びらのように揺れた。

「でも緑谷くんも人のこと言えないってわかってる?」
「僕は頼りっぱなしだよ。みんなに助けられてるし」
「それは緑谷くんが頼ったわけじゃないでしょう」
「そんなこと——」
「人徳のなせる業だね。だから頼るのが苦手なのかな」

 まるで褒められているように感じるけれど、コンビニでの出来事を思い出せば素直には受け取れなかった。ううん、と唸る緑谷の声が聞こえたのか、廻がくすくすと肩を揺らす。やはり褒められている気がしない。仮に褒められていたとしても、緑谷は自分に人徳がないことを四歳のときから知っている。今は人に恵まれているから助けてもらえているだけだ。

「そんなんじゃないよ。……僕は無個性だったから」
「ふうん? そういえば緑谷くんは最近個性が発現したんだったね」
「う、うん。そう」
「多様性がどうのって言ってヒーローを公的職業にまでして、でも無個性はひとつの個性にはなれない」

 黒い花がくるりと回る。

「変なの。少し前までみんな無個性だったのに」

 廻はペットボトルを煽って空にすると、緑谷の方へ体ごと振り返った。そのまま器用に後ろ歩きをするため、やめるよう注意すべく口を開き——舌がカラカラに乾いていることに気が付いた。
 廻が言っているのは緑谷達の産まれる何十年も前、超常黎明期のことだろう。個性を持つ人間がまだ世間に受け入れられていなかった時代。無個性が当たり前でヒーローが存在しなかったというその時代を、緑谷は教科書やネットでしか知らない。
 廻の言う通り、超常黎明期は戦国時代や世界大戦に比べれば“少し前”のことだ。けれど有個性が当たり前の環境でオールマイトに憧れた緑谷にとっては過ぎ去った歴史で——そのはずなのに、どうして動揺しているのか。

「カイさんは……無個性について、どう思う?」

 否、考えるまでもなくわかっていた。OFAの個性を受け継いでも、緑谷は未だに無個性の話を聞くと体が固まることがあるから。約十年の間に染み付いた条件反射は、その身に個性受け継いで数ヶ月経った今も中々抜けない。抜いていいものかも、判断がつかない。
 後ろめたさを隠すように目線を落とす。喉が渇いて仕方なかった。
 廻は、なんて答えるのだろう。

「え、特になにも」
「へ」
「え?」

 ぱちぱち。瞬きを繰り返す。首を傾けると思いの外頭が揺れ、たたらを踏んでしまった。慌ててペットボトルの蓋を開けてスポーツドリンクを喉に流し込む。驚いた顔をした廻が駆け寄ってきたけれど、そちらに構う余裕はなかった。
 ある程度潤ったところでぷはっと飲み口を離し、濡れた唇を腕で乱暴に拭いて項垂れる。熱中症対策は大事だとわかっていたのに、感情に流されて忘れていた。

「大丈夫? 日傘貸そうか?」
「だい、大丈夫。それより、特にって」
「それよりじゃないよ。ほらこれ持って、ペットボトルは私が預かるね。あと冷却シートと塩飴あげる。歩けるならもうちょっと頑張って。公園もうそこだから」

 あれこれと渡され、緑谷はあっという間に首に冷却シート、口に塩飴、右手に日傘、左手は廻と繋がった。あまりの早技に遠慮や拒否を挟めない。塩飴のおかげで言葉を発することもできず、もごもごと何か言いたげな緑谷を廻は笑顔で黙殺した。手を引かれて歩くのは幼子のようで、けれどそれよりも女子特有の細く柔らかい感触が恥ずかしい。ついでに緑谷に少女趣味はないのでレースのついた日傘にも羞恥心を煽られる。
 せめて二人で共有している風に見えるようにと、廻との間に右手を持っていく。廻はちらりと目線を向けたが追及するつもりはないらしく、早足の速度を緩めて「……個性ってさ」と口を開いた。

「さっきも言ったけど、個性が現れるまではみんな無個性で、でも格差はあったんだよ。お金、学歴、スポーツ、身長、あと何かな。まあ色々あるけど、個性もそういうののひとつに過ぎなくて」
「……」
「もし私が無個性だったら個性のある人を羨ましいと思った、かもしれない。でも今個性を持ってる私は八百万さんとか轟くんとか、シンプルで強い、実用性のある個性が羨ましいよ。個性は十人十色、一生その人のものなんて言われるけど、そんなの関係なく比べずにはいられないの。そんなもんだよ。だから無個性も有個性も私にとっては一緒」

 そう言って、廻が目元を和らげる。誰か親しい人でも見るように。

「個性の有無で人はそう大きく変わらないよ。変わったとしても、それは元々その人の隠していたものが表に出ただけ。緑谷くんも根本は変わってないと思うな」
「……そうかな」
「そうだよ。だって、緑谷くんが誰かを助けたいと思うのは昔からなんでしょう?」
「……うん」

 小さく頷く。それは、そうだ。緑谷の想いは無個性が発覚する幼い頃よりずっと前から胸にある。だからオールマイトに憧れた。今があるのはオールマイトのおかげだけれど、緑谷を突き動かすものは変わっていない。
 もう一度、今度は自信を持って頷いた。口の中の塩飴はもう溶けている。

「うん、僕は、人を助けたい」
「……ふふ、しってる」

 噛み締めるように言う緑谷を廻は眩しそうに見て、顔を前に戻した。そして左右を軽く確認して信号機のない横断歩道を渡る。どこからか青臭い香りを生ぬるい風が運んできて、緑地公園はもう緑谷にもわかるほど近いことを知らせた。

「あ、カイさん日傘、手も!」
「いいよ、緑谷くん持ってて」
「でも」
「熱中症の人優先。さっきも言ったけど、下手したら死ぬんだよ」

 強い口調で言われて黙り込む。確かに緑谷も同じ立場なら迷いなく手を繋ぎ、レースのついた日傘でもなんでも、日除けになるものを渡しただろう。間違った処置はされていないし、廻の好意を恥ずかしいというだけで拒否するのは罪悪感を刺激される。
 結局日傘を持ったまま手を引かれ緑地公園に踏み入った。生い茂る木々のトンネルを通ると涼しさに自然と力が抜ける。葉の隙間から漏れる陽光がきらきらと輝いており、日差しが遮られるだけでこうも違うのかと緑の天井を仰いだ。

「すごい……」
「自治会の人が手入れしてくれてるの。綺麗でしょ」
「うん」
「ベンチあるから座ろ。あと綺麗は綺麗だけど蚊は普通にいるから虫除けスプレーかけるね」
「うわっ、待っていきなり!?」

 あっという間に緑谷が頭の天辺から爪先まで白い煙に包まれる。独特な臭いに咳き込んでいると廻の楽しそうな笑い声が聞こえた。





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