仮面のつけ方

 雄英体育祭まで一週間を切った月曜日。相澤は生徒指導室の椅子に腰掛けていた。決して広くはないその部屋にあるのはテーブルが一脚と、テーブルを挟んで向かい合うように椅子が二脚。上座には相澤、下座には生徒——廻スイがにこやかに座っている。きっと自分は正反対の表情をしているに違いないと、相澤は眉間の皺を揉んだ。

「お疲れですか?」
「……まあな」
「包帯取れてないですもんね。有給使えないんですか?」
「お前が今日面談したいっつったんだろ、廻」
「カイですよ、先生」
「で、本題だが」
「強情ですね」

 こっちの台詞だと言ってやりたい気持ちを抑え込み、代わりに咳払いをする。入学当初から繰り返してきたやり取りは挨拶みたいなものだ。廻は諦めずカイと呼ばせようとしてくるが相澤にその気はない。
 包帯をぐるぐる巻きにされたせいで動かしにくい手で資料を掴み、廻の前に放る。視線で伺う生徒に顎で示し、軽く目を通させた。

「USJ事件の調書……これ私が見ても大丈夫なやつですか?」
「お前が取調室に入ってから暴れて取り押さえられるまでを抜粋させてもらってる。見せちゃいけないもんは見せないよ」
「暴れてはないんですけどね」

 肩をすくめ、興味なさげに調書を捲り始める。流し読みをしているのか、一分もかからずに顔を上げた廻は「それで?」と首を傾げた。殊勝な態度を取るつもりはないらしい。この生徒は教室では控えめでおとなしくしているが、除籍を言い渡した担任教師に物怖じしない程度には肝が座っている。

「客観的に自分を見つめ直してほしいわけじゃないでしょう。私除籍されましたし」
「ああ。書類は?」
「すぐ書き終えたので提出しました。なぜか封筒に課題と反省文の原稿用紙しか入ってなかったので」
「へえ」
「……転科届って一番必要な書類ですよね。まさか相澤先生が忘れるなんてこと、ないと思うんですけど」
「そうだな」

 頭を掻こうとして腕を上げ、しかし包帯で動かないことを思い出して下げた。ぎし、と音を立てて椅子の背に体重をかけた相澤に廻が気遣わしげに瞳を揺らしたが、口は真一文字に結ばれたままだ。大方守るべき生徒に心配される相澤の心境を慮ったのだろう。子供らしくないと思うのは何度目か。初めからだ。溜息しか出ない。


 廻スイは模範的な優等生だった。入試トップこそ爆豪に譲ったものの、筆記試験は一位。実技試験は敵ポイントは個性柄からかあまり稼げなかったが、救助ポイントが五十ポイントで三位。総合二位という華々しい結果で合格した廻は果たして、日常生活では全く目立たない、遠慮しない表現をするなら地味な生徒だった。
 授業態度は真面目だが積極的に挙手をするタイプではなく、むしろ消極的。教師に問われば答えるが間違えるかわからないと答える。そのくせ行った小テストの八割は満点を取っている。移動や休み時間はクラスメイトと当たり障りなく過ごしているようだが中心となって動いてはいない。
 戦闘訓練は——と思い出して、相澤は苦い気持ちになった。個性把握テストでの体捌きは悪くなかった。入試の仮想敵を倒す場面をモニターした時も思ったが、普段から人の動きをよく見て、そして自分の体を動かしている者の動きだ。『酔い』という扱いづらい個性とどう組み合わせて戦うのかお手並み拝見だなと、今思えば軽い気持ちで見たオールマイトとの戦闘訓練。廻は敵役だった。
 成績表には勝敗はすぐに着いたと記してある。オールマイトの勝利だ。
 映像だけを、見るならば。


『——取引しましょう、オールマイト』

 核のハリボテを背後に置いた廻がナイフを構えながら言う。相対するオールマイトと音声付き映像を見る相澤は眉を跳ね上げた。

『めぐ、……カイ少女、それは減点だぞ』
『敵としての提案です。ここを退いてください』
『退かない、と言ったら?』
『私の手首を切ります』

 なんてことない、料理番組で鶏肉を切りますと説明するアナウンサーのようなにこやかさ。モニター室で映像だけを見ている生徒達は、まさか廻がオールマイトに脅しをかけているとは思いもしていないだろう。相澤は眼光鋭く画面を見つめる。
 いつも笑みを絶やさない二人だ。空気を張り詰め過ぎず会話を続ける様子もその物騒さを隠している。

『手首を切ったところで私は君を捕まえられるぞ。カイ少女の個性は強力だが、ミッドナイトと対処は同じ。吸わなければいいだけの話さ。リカバリーガールもいるしな!』
『そうですね。不意を打って匂いを吸わせたり血を飲ませたところで力尽くで拘束されて終了。私の負けになります。……でもねオールマイト』

 油断は禁物ですよ。
 言うや否や、ナイフがオールマイトの目前に迫る。投擲。脅しはブラフか。さすがの反射神経でナイフを避け、今度はヒーローが敵に肉迫する。初めての戦闘訓練、それもナンバーワンに敵うはずもなく、背後を取られた廻は前から倒れ後ろ手を拘束された。

『っ……あーあ、勝てませんね、やっぱり』

 溜息混じりに呟く廻の表情は画面に映っていない。オールマイトも声高に勝利を宣言するが俯いたままだ。二、三秒膠着状態が続き、映像はそこで終わった。


 呆気ない幕引き。敵役の廻も役に徹しておりその点は評価が高い。問題は作戦だ。格上に対しての取引は状況の立て直しや味方救援までの時間稼ぎなどで使用される。廻の場合は対価が自傷だったためオールマイトから指導したと報告はあったが、相澤も一言釘を刺した。当の本人は「敵はあれくらいしますよ」と不満気にし、今年のクラスは問題児が多いと頭が痛くなった記憶はまだ新しい。

 映像に続きがあると気付いたのはUSJ事件後だ。
 廻が起こした問題は個性無断使用と暴行未遂。迷うことなく除籍を言い渡したが、そのらしくなさに違和感は覚えた。戦闘訓練の映像を見返したのは唯一廻の敵意を感じたものだったからだ。入試の仮想敵とは違い対人だからだと判断していたが、そうではないとしたら。
 ヒーロー嫌い。ヒーローアンチ。
 一般にそう呼ばれる輩と廻が、同じ類なのだとしたら。

 今度こそ全ての映像を見終わった後、結論は出た。
 相澤は転科届を抜いた封筒を廻に渡した。


「——お前、まだヒーローになりたいか」
「もうなれないでしょう」
「俺はなりたいかを聞いてる」

 探るような目つき。信頼されていないことはわかっている。相澤はその初対面の印象から新入生との溝が埋まりにくいが、廻との溝は更に深い。お互い溝を埋めようともせず、見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきたツケがこれだ。
 信頼を築き上げることは一朝一夕ではできないが、何もしなければプラスにもならない。廻から歩み寄ることがないのなら仕方ないだろう。子供らしくなくても廻は子供で、相澤は廻の担任で大人だ。

「ヒーローは嫌いか?嫌いなもんにはなりたくねえか」
「……そういうわけでは」
「じゃあどういうわけなんだ。廻、はっきり言え」
「カイですってば」

 お綺麗な仮面が崩れる様を見せたくないのか、片手で顔を覆いながら俯く。全ての人間を救えるほどヒーローはよく出来ちゃいない。物理的な距離や人員問題もあるが、相性や立場が重要な案件もある。
 だからイレイザー・ヘッドに廻スイは救えない。

「……事件の調書に」

 思いの外渇いた声だ。せめて湿るくらいに水分があればやりようがあるのに、向けられる言葉はどこまでも乾燥している。

「オールマイトが自己犠牲をしたつもりはないと謝ったから、私が怒ったという記載がありました」
「ああ」
「間違いではないですけど、正しくは違います。ムカついたんです。ただの八つ当たりです。……あの人、血を吐いて、死んでもいいみたいな戦い方をするから。子供の前なのに」
「……」
「でもそれと私がヒーローを嫌っていることは別件です。今回の件は本当に反省してます。ここに来る前、オールマイトには謝罪しました」

 顔を覆う手を膝の上に乗せ、テーブルに額がつきそうなほど頭を下げる。

「相澤先生も、ご迷惑おかけしてすみませんでした」

 当たり前なのに、社会人の堅苦しい謝罪ではないことに安心した。それでもよく躾された子供ではなく、新人サイドキックの方に姿を重ねてしまうが。廻と接するとよく感じる妙なちぐはぐ感。大人の真似をする子供、無垢さが取れない大人。あっているようでどちらも違う。
 返答は期待していなかったのだろう。一拍置いておもてをあげた廻はしおらしい態度を消し、ピンと背筋を伸ばした。目を背きたくなるほど真っ直ぐな視線が相澤を射抜く。

「ヒーローになりたいです。でもヒーローそのものを好きになることはないと思います。それはだめなことですか」

 語気が強い。表情こそ真面目くさった体裁を保っているが、感情を隠す気はないようだった。本当にいい度胸をしている。かぶりを振ってわざと大きな溜息をつけば、廻はさっと仮面を被り直す。諦めるのではなく警戒を強めるところがらしい。

「なんて。だめですよね、わかってます。でも」
「別にいいだろ」
「……は」
「ヒーロー嫌いのヒーロー。ワンマンするなら論外だが、お前のはそういうんじゃない。ヒーローも人間だからな。仕事さえすりゃ腹ん中で何思ってようが個人の自由だ」

 がた、とテーブルが揺れる。廻が椅子ごと後ろに下がった。立つまでに至らなかったのは自制心が働いたのか。目をまん丸に見開き、口も間抜けに開いている。ちょうど首から上と下で素直さと葛藤に分かれているのがやはりちぐはぐで、それこそが廻で、耐えきれず吹き出した。途端、眉間に深い皺が刻まれる。

「……相澤先生」
「悪い」

 素直に謝り、咳払いをして居住まいを正す。廻も椅子を引いて話を聞く姿勢になった。

「オールマイトとの戦闘訓練、覚えてるか」
「はい」
「生徒らには無音の映像をモニターさせたが、俺は音声付きのを見た。自分を人質にした脅しについては、まあ講評した通りだ。でも俺が言いたいのはそこじゃない」

 画面の向こうに見た、笑顔でナイフを持つ廻をかき消すように軽く頭を振る。相対していたオールマイトはともかく、俯瞰的立場の自分が見落としたことは失態だ。授業評価は変わらずとも今後の指導方針は考えなければならない。

「ナイフを投げてからの一連の動き、全部がブラフだろ。廻お前、切ったな?」

 相澤の背後にある小窓から光が漏れ、テーブルに白い平方四辺形を描く。眩しいのか、廻がゆっくりと瞬きをした。そして無機質な人形めいた動きで首を傾げると、さらりとした黒髪が光を反射して艶めく。

「カメラには映らない角度だったはずですけど」
「隠す気ゼロか」
「先生には。生徒には秘密にしてくださいね」
「当たり前だ。真似されちゃ困る」
「そんなバカな子いませんよ」
「バカに言われても説得力ねえよ」
「あはは。たしかに」

 けらけら笑う廻はすっかりいつも通りに戻っていた。はぐらかさないのなら相澤は仮面を取り上げるつもりはない。ただ緊張感が胡散した空気に当てられて体の疲労を思い出してしまい、嘆息が重くなった。


 映像の続きはオールマイトの勝利宣言後、画面が暗転してしばらく経ってから自動で始まった。機材の調子が悪かったのか、編集ミスか、それとも誰かが故意にしたことなのか。疑問はさておき、相澤は音量を上げた。何か話している。

『カイ、少女……どこを切った?』
『浅い傷なのでご心配なく。カメラには映らないようにしましたし、傷自体服に隠れて見えませんから』
『全て演技だったってわけか……』
『コスチュームの右ポケットにアルコール分解薬が入ってますのでどうぞ。私のはアルコールそのものじゃないので多少効き目が悪いですけど、マシにはなりますよ』

 廻の個性『酔い』は強制的に相手を酔わせることのできる能力。その厄介さは体液がアルコールとほぼ同じ成分というだけではなく、度数を操れることにもある。例え少量だろうとアルコール度数の高い酒を飲めば大抵の人間は泥酔する。廻の体液は更にタチの悪い成分をしているのだから、匂いだけでほろ酔い状態になるのは想像に容易かった。
 オールマイトが言われた通り右ポケットを探り、錠剤の入った包装シートを取り出す。器用に片手で一錠を押し出し口に入れると、ふらつきながらも廻の上から退いた。そして長く深い息を吐き項垂れる。

『勝負に勝って試合に負けたな。不甲斐ない』
『そうですね。役に徹しきれていなかった。私は生徒ではなく敵役です。ヒーローがヴィランに手加減しますか?』

 起き上がって服の埃を払った廻がウエストポーチから水を取り出してオールマイトに差し出す。刺々しい言葉とは裏腹にアフターケアは万全だ。

『ありがとう。……シチュエーションによって力はセーブするよ。あくまで役は役。今回は生徒だからと侮ってしまった。すまない』
『セーブする意味ありますか』

 思わずといった風にオールマイトが顔を上げる。カメラに背中を向けている廻の表情はやはり映っていない。順番が来るまでの間に位置を覚えたのだろうが、それ程までに徹底するのはなぜか。
 考えるまでもない。相澤が見ている映像と同じものを、彼女のクラスメイト達が見ている。

『……あるさ。捕縛して罪を償わせる必要がある』
『ヴィランがいるせいでヒーローがいるのに?』
『それは——……いや、そうか、君は』

 その先の言葉を、オールマイトは呑み込んだ。


 ヒーローは奉仕活動やパトロールも行うが、存在意義としてはヴィランの撃退、抑制がメインだ。ヴィランは訳あり訳なし様々だが、ヒーローはヴィランがいなければ存在しない。極論を言えばヴィランが消えればヒーローも消える。廻が言いたいのはそういうことだ。
 危うい思想、けれど考えたことがないといえば嘘になる。多感な時期だからと言い訳できるのは実行するまでだ。しかし相澤は廻が実行に移すとは思わなかった。犯罪者になるには廻はヒーローに向いた性質をしている。入試の実技試験で廻が獲得した五十の救助ポイントがその証拠だ。雄英での生活態度も同じように。上澄みだけの行動でプロヒーロー達の目は掻い潜れない。
 となると廻がヒーローを嫌う理由は何か。家族は健在、廻自身も犯罪に巻き込まれた経歴はなし。理由ない嫌悪ならヒーロー科を受験するはずもないし、性格はもっと荒れているだろう。事件の調書を見てもヴィランを憎んでいる様子はなかった。
 考えて、考えて、相澤はようやく思い出した。
 廻は十五の子供だ。


「前も言いましたけど反省はしません。あれが私の最適解でした」
「ヴィランはああいう行動を取ると?」
「私がヴィランなら、です。ヒーローにはきくでしょう。ましてや相手はナンバーワンですし」
「敵役にしちゃ点数が高いわけだ」
「ふふ」
「じゃあ聞くが、ヒーロー役ならどうしていた?」
「変わりませんね」

 悪びれもなく答える。顔を顰める相澤の機嫌を取るように愛想よく笑うと、廻は色の薄い手のひらを見下ろした。

「私の個性は血以外の体液でも効力を発揮します。一番使いやすいのが血なので血を使ってますけど、汗や唾液でも同じことはできる。その上濃度を操れるとなると、私を傷付ける方が相手にデメリットですよね。まあ近中距離に限定されちゃうんですけど。課題は遠距離です」
「それは自己犠牲とどう違う」
「違いますよ」

 拳を丸めてテーブルの下に仕舞い、廻が微笑む。真顔みたいだなと思ったが、その予想はたぶん大きく外れていない。声色に感情が乗っていなかった。怒らせたのなら謝罪を、と息を吸って、そのまま口を噤んだ。
 廻と視線が合っていない。

「全然、ちがう」

 相澤の向こうに何者かを見ている。
 その人物を知れば廻を救えると、直感が告げている。

「死ぬつもりは微塵もないです。でも私は、あの戦い方しか知らない」

 全ての人間を救えたらどんなに世界は平和だろう。救けたい人を救けられない悔しさは割とよくある。くそったれだと、相澤は思う。
 伸ばした手からすり抜ける感覚もない。当然だ。廻は相澤の手を掴もうともしていない。ただ笑ってそこに立つだけ。皮肉なことに遠くへ逃げないことが唯一の救いだった。
 でも相澤はヒーローであると同時に、教師でもあるから。

「知らないなら教えてやる」

 目を瞬かせる生徒に再度調書を読むように言う。訝しみながらも今度は時間をかけてページを捲る廻は、最後のページを開いて絶句した。ヒーロー兼担任がにたりと笑う。

「……なんで」
「俺は除籍と、復籍の権限も持ってる。雄英は自由な校風が売りだからな。お前ら生徒の明日は俺の独断と偏見で決まることもある」
「嘘、じゃないですよね。合理的じゃない」
「ああ。俺のミスだ。悪いが反省文は書き直して提出してくれ」

 調書がくしゃりと音を立てて皺になる。今の廻はどんな感情だろうか。相澤に知る術はない。それはきっとこれからも、ヒーローという職に就いている限り。
 だから手を差し伸べるのはやめた。その役目はヒーローの卵共に任せて、相澤は彼らの前にある道の選択肢を増やしてやろうと思う。どの道を歩くかは彼ら次第だが、できれば、いい未来に続くことを願う。

「ほんとこの学校めちゃくちゃすぎる……」

 頭を抱える廻に「面談は終わりだ。早く帰れよ」と言い捨てて立ち上がる。平日の十時過ぎ、授業中の生徒と鉢合わせることはないだろうが、注意しておくに越したことはない。
 “停学中”の身分で一般生徒と会うのは嫌だろうと気を利かせた相澤の優しさだ。





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