黄泉の国下
息が切れる。
足が絡まりかけて、それでも必死に足を動かして。
ガチガチと鳴る歯を無理矢理食い縛る。
帽子をぐっと被り直した。
まさか自分がこんな体験を、
命の危険を間近に体験する日がくるとは。
しかもこんな非現実的な事が身に降り掛かろうとは。
後ろにいる全員の息遣いが聞こえてくる。
すぐ傍を疾走している仁王の頬に汗が伝っている。
何度も後方を確認しながら走る仁王に、心配の色が浮かぶ。
それは俺も同様であったが、それよりも、
俺はすぐ前を走るジャッカルに意識を集中させていた。
「はぁッ…はッ…はッ…ぁッ」
「ジャッ、カルせんぱ…っ」
「はっ、口、閉じてろよ!…っ赤也!」
赤也を背負いながら必死で走っているジャッカルは当たり前だが、どのメンバーよりも体力の消耗が激しい。
その口から洩れている息遣いも、こちらの喉が痛くなるようなもので、しかし一度走り出してしまった以上、その役を代わることはできない。
ずり落ちそうになる赤也も必死でジャッカルにしがみついている。
その頬にちらちらと光る雫が見えるのは見間違いではないはずだ。
ごぉ、と
一際大きな音が背後から聞こえた。
一瞬周囲を照らした眩しい光はすぐさま消え失せる。
殿を努めている幸村の焦った声が聞こえた。
「理熾さん!!!」
「馬鹿、野郎ッ止まるな!!!」
「でも…ッ!!」
「でもじゃねぇ!!丸焦げになりてぇのかッ!!」
「ッ…!!」
幸村の叫びに理熾さんの一喝が返る。
ちらりと振り返ると、肌をじりじりと刺激するような火柱に、龍を象った業火が巻き付いている。
咆哮を上げているようにも見える龍は、勢いを増す火柱に捨て身で絡み付き、進行を邪魔していた。
散ってくる火の粉が熱い。
舗装されているとはいえ、走りにくい山道を転げるように駆け下りていく。
この下り坂さえ終われば、鳥居はあと少し。
下りに入り、一気に勢いづく俺達だが、目の前を走るジャッカルは疲れ切った足で何度も躓きそうになりながら走っている。
「ジャッカル!!これ下ったら仕舞いじゃ!!気張りんしゃい!!!」
「…はッ…はぁ…あぁ!!!」
「ジャッカル先輩!!すん、ません!!後ちょっとっす!!!」
らしくもなく、ジャッカルを励ますために声を張り上げる仁王。
その米神からは汗が伝い、いつもふわりと揺れている銀髪は汗で頬に張り付いていた。
落ちないようにと懸命に背にしがみついている赤也も、叫ぶようにして声を上げた。
「ジャッカル!!!ぜってー走り切れよ!!」
後ろを見やれば、怒鳴るように言葉を掛ける丸井がいる。
そのよく通る叫びに、ジャッカルは辛そうな表情を和らげた気がした。
しかし流石に振り向く余裕はなかったのだろう。
「あぁ!!!」
荒い呼吸の合間に短く力強い返答があった。
大きく頷いた丸井は、相方を一心に信じているといった、そんな眼だった。
ごぉッ、と
再び大きな音が響き、空気が震えた。
熱気がうねるように周囲を満たして肌を刺激する。
吸い込む空気が熱くて、苦しかった。まるで喉を焼かれているようで。
ただでさえ上昇する体温を、吸う空気でさえ冷やせない。
喉の痛みと、足の限界が迫る。
ただ前だけを見据えてひたすらに駆ける俺達の後ろには、逃げる事しか出来ない俺達を守る為に身を挺している女性がいる。
ぐっと拳に力を入れた。
前方に赤いそれを認めた瞬間、喉が痛いのも忘れて、叫んだ。
「鳥居だ!!!全員あと少しだ!!!」
声を張り上げれば、部活の時のように各々の低い「おう」という掛け声が返ってきた。
ふ、と息を吐いて、俺は目の前の背中に手を添えた。
驚いた様子の赤也が振り向く。
男児が泣く等、とは思うが、今一番無力さを痛感し、苦しみと、ジャッカルの優しさを感じているのは赤也自身であるから、
俺は振り向きざまに赤也が零した雫に見ない振りをすると決めた。
「さ、なだ副、ぶちょ…」
「赤也!!お前はジャッカルにしっかり掴まっていろ!」
「、…はいっす!!」
大きく頷いて、ジャッカルに再びしがみつく赤也の背を支える。
大きく揺れる最中では殆ど意味など成さないかもしれないが、それでも。
するとすっと伸びた腕が、赤也の腰を抑えた。
「赤也!ここで落ちたり、なんかしたらッ真田の鉄拳制裁、じゃよッ!!!!」
「…はッ…だって、よッ赤也!!」
支える仁王の言葉に、ジャッカルが笑う。
それは嫌っす、と答えた赤也に、こちらの口角も少し緩んだ。
迫り来る炎を感じながら、いつ転げ落ちてもおかしくない速度で走る。
幸村の叫びや、柳の大きな声も聞いた気がしたが、定かではない。
目の前のジャッカルと赤也を支える事に必死になっていたからだろう。
そして、鳥居を目前とした時、ふっと手から背中が離れた。
後々に思えば、急速に背中が離れていく前に「赤也、わりぃ!!」という、ジャッカルの声を聴いた。
悲鳴など上げる間もないであろう勢いで、ジャッカルと赤也が残りの下り坂を転げ落ちていく。
土をつけて、ゴロゴロと音を立てて落下していく二人に一瞬、思考が停止した。
「赤也ぁあ!!!」
「ジャッカル!!!」
仁王と俺の叫び声が重なる。
後ろからも次々と声が飛ぶ。
すると痛みに顔を歪めたジャッカルが、それでも素早く起き上がり、隣で脇腹を抑えている赤也に肩を貸して立ち上がらせ、引きずるようにして鳥居を潜り抜けるのが見えた。
安堵の溜息を吐いたのも束の間、周囲の温度が上昇する。
明らかに近くなっている炎を確認し、緊張が走った。
そして飛び込むようにして仁王が鳥居を潜る。
俺もそれに続き、途端に限界がきて倒れ込んだ。
後から来た誰かの足が当たった気もするが、それを気にする暇もなく、
最後を走っていた幸村と柳が、砂利を蹴散らす音を立てて滑り込んできた。
体を打ち付けるように入ってきた二人に全員が駆け寄るも、二人は倒れ込んだ自分達の体を気にする素振りも見せず、急いで潜り抜けた鳥居を振り返った。
見やれば火の粉を撒き散らす火柱が、徐々に勢いを孕んで、抑え付ける龍を弾こうとしていた。
慌てて鳥居の下に目を向ける。
そこには未だ鳥居を潜らず、恐ろしい面と対峙する理熾さんがいた。
面が忌々し気な目を赤也に向けた気がした。
面が硬直する赤也を認め、そして目の前の理熾さんに視線を向けた。
「理熾さん!!!」
「早く!!鳥居を!!!」
幸村と柳が叫ぶ。
しかし彼女は動かない。
代わりに恐ろしい面が、ゆっくりと掌を突き出した。
嘲笑するような、理熾さんの声が聞こえた。
「ばっかやろ…動けねぇんだよ…!」
俺達がその言葉に目を見開いた瞬間、理熾さんの体は吹き飛んだ。
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