巴御前。

女性でありながら攘夷戦争に志士として参戦し、数多の首を討ち取った伝説の女武者。
翻る赤髪と刃のような眼光で敵を慄かせ、音もなく戦場を駆け、暗器を巧みに振るう姿に天人は震えあがったという。
戦時、共に在った白夜叉と並び称され、『白夜叉狙えば御前が嗤う』と言わしめた。

その張本人が、今目の前にいる。

ごくりと女、来島また子は唾を呑んだ。
同じ女として強い憧れを抱いていたのは確かだ。そして自分が主人と仰ぐ高杉が、彼女を今になっても探しているのを知って、嫉妬してもいた。
だが、いざ目の前に立ってみると畏怖と羨望しか湧かないのだから不思議なものだ。

早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、また子は憧れて止まない巴御前を見つめていた。

「よぉ。変わらねぇな。お前。」

高杉が笑いながら言う。
巴は不機嫌一色の瞳で、口を開いた。

「よぉ。変わらねぇな高杉。身長が。」

「殺すぞ。」

女性にしては低い声が発した言葉にまた子はぎょっとする。
案の定高杉の米神には青筋が浮かんだ。
動揺するまた子を気にも留めず、巴は面倒くさそうに頭を掻いた。なんだかその様子が先日見た白夜叉に似ている気がして、少し目を見開いた。

「お前さぁ馬鹿じゃねぇの?意味わっかんねぇんだけど。今何時だと思ってんの?安眠妨害すんなよ。美肌の敵かよ。」

久々に会ったお尋ね者の高杉に、巴は動揺する事もなく、ただ睡眠を妨害された事に対する不満を述べた。
目を白黒させるまた子を置いて、話は進む。

「戦に明け暮れた奴が今更肌を気にすんのか。」
「馬鹿。昔やんちゃしたから気をつけんでしょうよ。解れよ女心。」
「そんなぐしゃぐしゃの髪で出てくる奴に女心を説かれたくねぇな。」
「お前マジ通報すんぞ。深夜2時に突然来た奴の前に文金高島田の白無垢で出てくる女なんている訳ねぇだろ。」
「いや、常日頃から白無垢で居たら行き遅れ感が凄いっスよ。」

思わず口を出してしまうと、眉間に皺を刻んだ鋭い眼光がこちらを向いた。
また子が威圧感に動きを止めると、僅かに巴の片眉が上がった。

「ちょっとマジで?高杉すっげぇ可愛い彼女連れてんじゃん。嘘でしょマジで?」
「喋り方が馬鹿丸出しだぞ。」
「え、何いくら払ったの?」
「てめぇ殴られてぇのか。」
「しししし、晋助様となんて、っそそ、そんな!!恥ずかしいッス!!!!!」

また子が時間帯も忘れ絶叫すると、巴がさらに驚いたように声を上げた。

「晋助様ぁあ!?」
「馬鹿、うるせぇ、」
「おま、なんつープレイ強要してんの?」
「面貸せ。女だからって関係ねぇ。」
「ままま、待ってくださいッス!!!」
「昔は遊女に『高杉さんは戦場では英雄でも、褥の中では三等兵よね』とか言われてたじゃん」
「今すぐ忘れろ」
「えっ!?!晋助様ベッドの中では三等兵なんスか!?」
「黙ってろ来島。昔の話だ。」
「来島ちゃん。元カノの私が証言しよう。三等兵だったヨ。」
「えっ!?!巴御前さん晋助様の元カノなんスか!?!」
「おい、」
「ん?あれ、ちげぇわ。元彼だれだっけ?銀時か?」
「は、」
「え、えっ!?!?白夜叉!?」
「あ、ちっげぇわ。誰とも付き合ってねぇわ。ウケる。」
「ウケねぇよ。お前本当に変わらねぇな。1回黙れ。」

ケラケラと、一人で楽しげに笑った後、巴は急に真顔に戻る。
突然の変化に肩を跳ねさせる来島を尻目に、巴は掴んでいた扉を押し開けた。

「通報されてもダルいし、入れば。」

どうぞ、と目を見られ、動揺する。
思わず高杉の顔を見やれば、彼は顎で軽く入るように促した。
「お、お邪魔するっス…!」意を決して足を踏み入れる。あまりに緊張していたせいか、巴がふと息を漏らすように笑んだ事に気付いたのは、来島の後から入った高杉だけだった。

黒と白ばかりの部屋。
モノトーンで統一された部屋はそれなりの広さがあった。不躾とは思いつつ、部屋の中を見渡してしまう。女性らしさといったものは見られないが清潔感のある部屋だとは思う。
リビングのソファに座ろうとしていた巴は、下ろしかけた腰を思い直したように上げた。

首を傾げる来島をちらと見やって、高杉に声を掛けた。

「笠、掛けるわ。あと、2人とも草履は持ってあがってよ。」
「あぁ。」

高杉は被っていた笠を躊躇いなく巴に渡し、今しがた玄関で脱いだ草履を持つ。
不思議そうにしていた来島も、それに倣い、笠を預け草履を持つ。
笠を衝立に無造作に掛けた巴は、衝立の奥にある襖を器用に足で開け放つ。
スパンと小気味の良い音を立てて開いた先には茶室があり、丸い窓が月明りを中に通していた。

「草履、適当に畳の上に置いちゃっていいから。」
「えっ、で、でも汚れちゃうっスよ!」
「いいよ気にしなくて。」
「来島、気にしなくていい。こいつがズボラなのは今に始まった事じゃねぇ。」

戸惑う来島とは対照的に、高杉は慣れたように畳の上に草履を置いた。
それを見た来島も渋々といった体で、高杉の草履の近くに出来るだけ底が多く付かないようにそれを並べた。

唯一の襖を閉め切った巴は、今度こそ躊躇わずに畳に腰を下ろした。
そして既に我が物顔で座っていた高杉に目をやり、問うた。

「ご用件をどうぞ。」

そっと高杉の傍に腰をおろした来島はじっと二人の応酬を見守る。
口端を怪しげに釣り上げた高杉は、その碧眼で目の前の旧友を見た。

「この世界を壊さねぇか。」
「…。」

高杉のその突拍子もない発言にも巴は表情一つ変えない。
それも道理だろうか。
ここまで過激派攘夷志士と騒がれる指名手配犯を招いているのだから。

来島は口を挟むことなく、じっとその様子を見ていた。
水面の様に凪いだ巴御前の赤茶の瞳に、ドキドキしながら。

「鬼兵隊にも強者は揃えたがな、どうしても決定的な威力に欠ける。だが、お前が入れば話は変わる。巴御前として名を馳せたお前が鬼兵隊に入ったとあれば幕府側も目の色を変えるだろうな。」

喉の奥で笑う色っぽい男の声が響く。
男その瞳は誘うように女を見た。


「お前が欲しい、巴。」


かっ、と
自分に言われた訳でも無いのに、来島は頬に朱が散るのを感じた。
それ程に、高杉の言葉は色気のあるものだった。
まるで男と女の駆け引きのようで、本当にこれは仲間に引き入れる為の言葉なのか疑ってしまう。
ぞくりと官能が場を支配する中において、来島は着いて来たのは誤りだったのではと思った。

息さえ躊躇ってしまうような空気で、細い溜息が聞こえた。
それは巴が吐き出したもので、掠れたその吐息もまた艶があり、来島を更に当惑させた。


「高杉、」
「なんだ。」


まるで逢引の様子を見せられているようで、来島の羞恥がピークに達した時だった。


「中二病乙。」


巴が心底呆れた顔で耳を疑う言葉を吐いたのは。
え、と思わず来島の口から吐息のような声が漏れた。
ひくり、と高杉の口角がひくついたのを認め、やはり聞き間違いではないのだと悟った。

「お前マジ大丈夫?中二の夏はだいぶ昔に終わったかんね?」

頬杖をついた巴はふ、と鼻で笑う。

「てめぇ、」
「お、おおおお落ち着いてください!!ここで抜刀したら何の為に巴御前さん探し出したのか、いっ意味がなくなるっスよ!!!」
「あ、来島ちゃん、巴でいいからね。お茶飲む?」
「あ、ありがとうございます!でも空気読んで欲しいっス!!!」
「高杉やるじゃん。こんな可愛い子どこで捕まえたの?パツキンのパイオツカイデー堪んねぇなオイ。」
「じじくせぇ事言ってんじゃねぇ。斬るぞてめぇ。」
「斬ろうとしてんじゃん、ウケる。」
「ウケねぇっつってんだろ…!!」
「晋助様落ち着いてください!!!!」
「ちょ、見てこれ茶柱。いい事あるわ。」
「今斬り殺されそうな時点で悪い事起こってるっス!!!」

必死で高杉が抜刀しようとしているのを収める来島の絶叫も空しく、巴はずずっと音を立てながら淹れたばかりの茶を啜る。

あ、やばい抑えきれない
来島が本気で焦った時だった。

場を鎮める程間抜けなインターホンの音が聞こえたのは。


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