どようび・よる
 我輩は猫である、なんて、イマドキじゃない。だからあたしはこう名乗る――レディ、と。あたしは、捨て猫のレディ。ステキな彼がくれた名前なの。彼はレンって名前で、あたしを救ってくれた飼い主さま。薄汚れていたあたしをぴかぴかにしてくれて、ノミも取って、一猫前の"レディ"にしてくれたわ。彼はとっても優しいヒト。あたし、彼の一番になりたいわ。でも、彼のうちにはもう一匹の猫がいたの。それがユヅキ。随分と大きい猫だけど、彼にはながーい尻尾があるから、猫に違いないのだわ。ユヅキは猫のくせに、あたしにしつこく付きまとってきたから、好きじゃない。そのくらいの距離感、分かれっての。それに、ユヅキはレンにとっても愛されてた。あたしにはわかるわ、レンの瞳が違うのよ。あたしを見る目とは全然種類の違う瞳の色。あたしのことも可愛いって目で見てくれたけど、ユヅキを見る目はそれだけじゃない。愛しくて、信頼があって、可愛くて仕方ないって目をしてた。あたしのほうが、距離感もわきまえたレディなのに、ずるいのだわ! でも、お日様が登ったり沈んだりするうちに、ユヅキもだんだん悪くないなって思い始めた。こっそりユヅキのそばで寝てみたりね。ユヅキも、なかなかあたし好みのいい匂いだったわ。
 今あたしは何をしてるのかって? 仕方ないわ、教えてあげる。お月さまがとっぷりと輝く夜、あたしは寂しく独り寝をしていたの。あたし、もう、察してるのよ。彼らと過ごす夜はきっと今日が最後。さっきレンはあたしに、誰だか知らないヒトの顔の映った画面を差し出してきた。きっとこれが、あたしの新しい飼い主さま。レンはあたしを救ってくれても、あたしの王子様にはなってくれないみたい。仕方ないわ、だって、ユヅキがいるのだもの。それでユヅキだって、あたしが認めざるを得ない猫だったんだもの。はぐれたお母さんが言っていた。初恋は、いつだって叶わないものなのだわ。仕方がないのだわ。
 それなのに、ちょっとあたしがうたた寝してる間に、レンとユヅキはいなくなっていた。せっかくの最後の夜、いっぱい遊んで欲しいのに。ソファに飛び乗ったり、玄関のほうまで行ってみたけれど、ふたりはどこにもいない。けれど、あたしは優秀な猫。こういう時は、耳を澄ませてみるのだわ! ――……聞こえた。大変な声が聞こえた。ユヅキの声だわ。しかも、くぐもった悲鳴だわ! どちらから? あたしが唯一入ったことのない部屋からだわ! もう、レンは一体何をしているの! 仕方ないわ。あたしはレディ、だけど時々、戦うレディにも変身できるのだわ!
 扉の出っ張ったところを下に押せば開くということは、レンやユヅキを見て知っていた。今まではあたし、わかんないふりをしていたけれど、レディは賢いの。みゃっ! と飛び跳ねて、出っ張りを下に押そうとする。でも、あたしはまだまだ子猫のレディ、体重が足りないのだわ!
 そうこうしている間にも、ユヅキの声が聞こえる。最初は吐息混じりだったのが、徐々に小さく声になり始めている。それによく聞いてみれば、レンの小さく笑う声も一緒にするじゃない。あたし、わかっちゃったわ。レンがユヅキをいじめているのだわ! 信じてたのに! ひどいのだわ!
 今すぐに、ユヅキを助けてあげなきゃ。あたしは決心した。そして、いっぱい慰めてあげるの。ユヅキは、あたしの大事な猫仲間なんだから! あたしは一度ドアから離れた。そして助走をつけて、思いっきり出っ張りに飛び乗った! 出っ張りの先に体重をかけ、ぶらさがったまま扉にアタックすると、開いた! 部屋の中は真っ暗だった。ニンゲンがいるなら明るいと思ったのに、意外だわ。でもあたしは戦うレディ、夜目を効かせて一直線に走る!
「みゃーっ!!」
「へ……あっ、レディ……!?」
「え、レディどうやって……痛てっ!?」
 飛び乗ったふかふかの布団の上では、レンがユヅキの上に覆い被さっていた。しかもユヅキの服は中途半端に脱がされてるし、やっぱり、レンはユヅキをいじめていたのだわ! あたしはレンの指を見つけると、ぎゅっと噛んだ。でもやっぱり王子様だから、甘噛みになっちゃったけど。その分回数で攻撃する。いっぱい、いっぱい噛んだ。くらいなさい、これがユヅキの痛みなのだわ!
「レディ! どうした、落ち着けって……いたたっ!?」
「みゃーっ、みゃみゃー!!」
「レディ……もしかして、僕が漣さんにいじめられてる、って思った……?」
「いててて……って、えっ、お前なんで分かんの?」
「なんででしょう、勘……? と、とりあえずレディ、こっちにおいで、」
 体がふわっと浮いたかと思えば、あたしはユヅキの腕に抱きしめられていた。ユヅキ! あなた、無事だったのね! 痛くなかった、辛くなかった!? ユヅキの顔をぺろぺろと舐めると、ちょっぴりしょっぱい味がした。やっぱり痛かったのね、もう大丈夫よ、あたしが守ってあげるから。今まで冷たくしちゃった分、あたしはめいいっぱいユヅキに優しくした。腕から抜け出して肩のあたりに乗っかると、ユヅキはくすぐったいのか、笑い転げながら後ろに倒れて行った。
「レディ……ははっ、ありがとうございます、でもくすぐった……」
「え、まじで俺がいじめてるって思ってたの? 誤解だってレディ、お前からも言ってやってよ……」
「ふふっ……、レディ、そうなんですよ、漣さんがいじめてくるんです……ひどいでしょ?」
「えっ、ちょっと祐月? レディも睨まないで、ていうか二人でイチャイチャしてズルくね?」
「ねえレディ、二人で寝ますか? 一匹で寝るの、寂しかったですよね」
「えっ!? いや、俺たちと離れてもレディが寝られるようにって思ったんだけど……」
 ユヅキは寝転がりながら、あたしを胸の上に乗せていっぱい撫でてくれた。あたしはびっくりした。ユヅキってば、いつの間にそんなに上手くなったのよ! さわさわと心地の良い具合で喉のところを撫でられると、気持ち良くて仕方ない。ヘンな気分になっちゃうわ、でもユヅキは容赦なく撫で続けるものだから、ああっ、もうダメっ! 思わず目の前にあったユヅキの親指、噛んじゃった。ユヅキはびっくりしていたけれど、ごめんねと言って降ろしてくれた。ユヅキってば引き時も上手くなったのね。
 レンのことは、まだ怒っていた。けれどユヅキが笑っていたから、まあ免じて許してあげるわ。交代にレンに抱かれると、ぷいとそっぽを向く。レンは苦笑しながらあたしを撫でてくれた。レンの手も、やっぱり気持ち良くて大好きよ。
「ねえ漣さん、やっぱり今日はやめませんか」
「え……俺の俺はどうしたら……」
「……一人でしててください」
「おっまえ……酷な……」
「明日レディを送ったら……昼からでもいいから」
「ん〜昼からの背徳感……それでいく」
「その代わり、今はレディと一緒に寝ましょう? ね、レディ」
 向かい合って寝転がったレンとユヅキの真ん中で寝そべって、彼らの声に耳を傾けていたけれど、不意にユヅキの顔が近づいてきた。そしてチュッ、なんて可愛い音を立てて、ユヅキはあたしの頬にキスしてきたのだわ! ああもう可愛いんだから、とニャゴニャゴしていると、張り合ったのか反対の頬にもレンからのキスが降ってくる。もう、あたしたちとっても仲良しじゃない。明日にはお別れなんて、寂しすぎるわ。
「それからな、レディ。俺も弁明させてくれる?」
「みゃ?」
「祐月、」
 レンが低く優しい声でそう呼ぶと、ユヅキははっとしたように瞳を開いて、そして柔和にその瞳を緩めた。そしてふたりは顔を近寄せると、あたしの目の前でどちらともなくキスをした。ちゅ、と甘い音を響かせて、ふたりは目を閉じながら互いの唇を触れ合わせ、押し黙っていた。ふたりが同じ具合に瞼を開くと、それが合図のようで、唇が離れていった。ふたりの間には、熱さの残る空気があって、あたしは何も言えなくなった。
「な。俺は祐月をいじめてたんじゃないって、分かったろ? むしろ仲良ししてたの」
 ええもう、よくわかったわ。お腹いっぱいよ、全く。赤い頬のユヅキもあたしの様子にクスクスと笑っている。
「それから、ごめんなレディ。お前に、祐月はあげない」
「それを言うなら僕のほうじゃないですか? レディ、漣さんによく懐いてたし……あ、いや、それだと僕が漣さん欲しいってことになる……?」
「ん? でも俺と同じ論理でいくとそうなるよな?」
「……言葉のあやでそうなっただけですってば」
「みゃ〜……」
 いい加減、痴話喧嘩もほどほどにするのだわ。あたしが低く鳴くと、ふたりは声を揃えてごめんなさい……と呟いた。全くもう、これじゃああたしが邪魔者じゃない。はやく明日になって、ふたりきりになって仲良ししてればいいのだわ。ああでも、あたしを拾ってくれたのがレンで良かったわ。こんな幸せに包まれて、あたし、幸せなレディなのだわ。
 レンとユヅキはしばらくお喋りしていたけれど、いつの間にかゆっくり眠りに落ちていった。あたしも眠ると、夢を見た。幸せなふたりの夢だった。きっと、正夢になるのだわ!

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