げつようび・よる
「ただいまー、……祐月?」
「だめです……」
「にゃあ〜!」
「うわ、なんだこの天国と地獄みたいな顔二つ……。レディは俺を待ってたのか? かわいいな〜もう、で、祐月のほうはどうした?」
「……上手くやっていける自信がないです」
「え〜? レディ、人懐こくて飼いやすい猫だと思うけど、なあレディ?」
「にゃあ!」
 駄目だ、唯一助けてくれるはずだったこの人はもう彼女側についてしまった。猫撫で声という言葉の意味が改めて分かる。ひとは猫を撫でると本当に、こんなに甘くふやけた声をあげるものらしい。そそくさとソファに座って膝を抱えると、彼とレディも隣にやってくる。この人、全く問題を把握していない。にゃ〜! と自らも可愛くない声をあげ、レディの手を操って遊んでいる。僕がぷいと横を向くと、拗ねたようにまたにゃごにゃご言っている。漣さんが。
「ま、お前も猫みたいなとこあるしな、同族嫌悪だよ、それ」
「え、僕はそんなのじゃ……」
「だって実際、機嫌悪いとそっぽ向くし、機嫌いいときはさりげなく寄ってくるし、あと寝相! お前、いっつも寝るとき丸まって寝るだろ、すごい猫っぽいよなーって思ってた」
「……はあ」
「だから先住猫さん? 優しくしてあげてよ。なあ、レディ……いてっ」
 漣さんが小さく悲鳴をあげて、僕も震えた。さっきまで漣さんの腕の中で心地好さそうにしていたレディが、ついに牙を剥いた。彼の親指を噛んだのだ。見たことか、やっぱり彼女も獣なのだ。いつ寝返るか分からない、どうにもならない存在なのである。意気込んで漣さんの表情を伺うと、しかし、彼は相変わらず緩みきった顔である。何故。頭の理解が追いつかず、目をパチパチさせる僕に彼が笑う。
「あはは、こういう甘噛みはな、別に攻撃したいわけじゃないんだよ。猫ってな、いっぱい触られて気持ちい〜、ってのが極限までいくと、つい噛んじゃったりするもんなの」
「……でも、痛くないんですか」
「んー、そんなに痛くないよ。ただあんまり噛み癖がつくと良くないから、もう終わりな。レディ、別んところで遊んでおいで」
 ぱっと床に放されたレディは、彼にひとつ返事をすると別の部屋へ消えてしまった。それで、ようやくため息が出てしまった。自分の意識以上に緊張していたらしい。ソファの背もたれにぐっと寄りかかると、横から伸びてきた腕に引き寄せられた。彼の肩に頭を預ける体勢になると、僕は彼を見上げた。
「……なんですか?」
「先住猫さんのほうも可愛がっておかないと、嫉妬するかなってな?」
「別に嫉妬とか……」
「じゃあ飼い主が遊びたがってるってことにしておいて。というかさっきの話、お前も同じだな、いっぱい気持ちよくなると噛むだろ、俺の肩とか。あっでも、お前は記憶飛んでるか……あいてっ」
「ばか」
「あはは、本当だって。何なら今から試す?」
 親指ですっと額に張り付いていた髪を横に退かすと、ちゅ、と可愛い音を立てて唇が鳴った。そのまま彼の親指は輪郭を滑り、顎の下をさわさわと撫でる。ぞっと腰の辺りから湧き上がったくすぐったい感覚に、思わず身をよじって彼の服の裾を掴んだ。ゆっくり顔を上げると、視線が絡まり合う。多分、彼の瞳と同じくらいに、僕も熱い目をしていた。
「……明日も学校でしょ?」
「でも、休みの間レディの世話で一回も出来なかった」
「……」
「だめ?」
 子猫に似た瞳で、彼は僕に訴える。その間も瞼や首筋や耳元にチュッチュと音を鳴らしてキスをして、僕の気分をそっちに飲み込もうとしてくる。ずるずると押し倒されていくと、大型猫に乗っかられているような気持ちになった。一体どっちが飼い主なんだか。僕の首元に埋まっている頭をよしよしと撫でると、小声で囁く。
「……せめて寝室で、」
「俺はもうここがいい、けど体痛い……?」
「いや……ただ、レディが来たら困るでしょ、」
「大丈夫だよ、レディは良い子だから。しばらく大人しいし、向こうで寝てるんじゃないかな、」
「み"ゃー!?」
 ……言ってるそばから、すごい悲鳴だ。彼と目を合わせる。だから言ったでしょ、とばかりの視線を送ると、ごめんなさいと素直に謝られた。俺が行ってくるからいいよ、とキスだけ残して彼がいなくなってしまった後、まだ彼の熱が残るからだで、僕は呆然としていた。それからしばらくして、はああ……と自分でも驚くほどの大きなため息をついた。

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