きんようび・ひる
 金曜日。もう、疲れた。家にある本も読み尽くしてしまった。新しい本を頼もうにも届くのは時間がかかる。別のことをしようにも僕に他の趣味なんてほとんどない。洗濯や掃除や、毎日のことを終わらせると、テレビをつける。午前10時くらいのテレビでは相変わらず主婦向けのワイドショーをやっている。ぼんやりとテレビを横目に見ながら、スマートフォンで新しい本を適当に注文して、午前中は過ごした。レディは相変わらず僕につれない。ダンボールのお屋敷に閉じこもって、呑気に過ごしている。だめだとは分かっているのだけれど、もう退屈で、僕は自らレディの元へ向かってしまった。レディは彼によく似た蒼い瞳で、僕をじっと見上げた。レディは、綺麗な猫だと思う。多分雑種だろうけど、毛並みも瞳の輝きも、写真で見る品評会に出るような猫に負けず劣らず、いや、レディのほうがずっと美しい。僕の視線を嫌がってか、ふいと顔を逸らす仕草も、どこを切り取っても非の打ち所がない。……もしかして、これが親馬鹿というものなのだろうか。自分でも単純すぎて、笑えてしまった。
 これで、一度だけでも、レディに触れられたら。触れたなら、どうなるのだろう。触れたことがないから、分からないけれど。
「……レディ?」
「にゃあん」
 ぬっと背伸びをしたかと思うと、レディはのんびりと僕のほうへと歩んできていた。それは本当に、ただの彼女の気まぐれなのだろう。僕が呆気に取られる間に、そっと僕の膝の隣にうずくまった。子猫の高い熱と心拍が、直接に伝わる。あんまりにもあっけなく触れてしまって、僕も拍子抜けしてしまった。あれだけ怖がっていたのが嘘のように、レディはおとなしく、僕に寄り添って呑気に欠伸をしていた。強張っていた背筋が、徐々に和らいでいく。
「……レディ、どうしましたか」
「にゃあん」
「レディ、……触っても、いい?」
「にゃあん」
 それは、いいよ、ということなのだろうか。僕はゆっくりと体勢を変え、フローリングに寝そべると、レディと同じ目線になった。レディは一歩も動かず、ただ呑気に眠そうにしている。まずは手の甲を差し出してから、顎のあたりに触れようとする。レディは少し首を振ったが、そのおかげで一番気持ちいいところなのだという、顎に触れそうだった。――レディ。レディ。良い子だから、これから、仲良くしよう……。ふんわりする毛の先端に触れ、あと少しでちゃんと温もりに触れられる、その一秒前のことだった。傍に置いていたスマートフォンが一度震え、ぴかりと光る。レディがびくりと耳を立てた。漣さんからのメッセージだった。気がつけば、ちょうど昼休みを終えたくらいの時間だ。

レディの里親、見つかったよ。日曜日に引き取ってくれるってさ。よかったな^ ^

 レディが小さく鳴いた。彼女は、自分の運命を分かっていない。こうやって僕と仲良くなったところで、結局明後日には、お別れなのだ。あと三日の付き合いだというのに、何を僕はこんなに真剣になっていたのだろう。あと三日なのに。あと、少ししか、いられないのに。
 スマートフォンを持って立ち上がると、僕はレディを置いてソファにうずくまった。レディがにゃあん、と鳴いている。何を求めて鳴くのだろう。まさか、僕ではない。彼女は僕を嫌っているのだから、僕なんか、あと三日の付き合いなのだから。変に執着されても困るし、執着してしまうのも、困る。クッションを抱きしめながら、漣さんに簡素な返事をする。スマートフォンを置くと、ゆるやかな眠気が襲ってきた。そのかなしい眠気に身を任せ、僕はゆっくりと沈んでいく。慣れた孤独の海だ。そこに行くと、世界は静けさに包まれる。僕以外、いいや、僕自身すら消えてなくなるような深海。僕はその中で、ひとつ雫を落とした。その雫は落ちることなく、泡となって上へ、上へと登っていった。僕の身体とは真反対に。

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