好き。
「にゃんこ、好き?」
 日曜日、彼と街に出掛けた時、ペットショップの前を通った。人混みの中はぐれないように必死に追いかけていたのに、その存在に気付いてしまった瞬間、だめだった。視線を奪われ、足取りもそっちに向かってしまう。ブルーグレーの綺麗な子猫だった。しなやかな身体でキャットタワーの上に座り、ガラスの奥のごみごみした人間達――その中に僕も含む――を、悠々と見下ろしている。尻尾だけが踏み台から落ちて、ゆらゆらと揺れているのも蠱惑的だった。漣さん……と隣にいたはずの彼を見上げたはずが、まあいない。携帯の着信履歴を見れば、案の定探していてくれたらしい。ペットショップの中で合流し、一通り謝り終わった後に彼が発したのが、その台詞だった。
「たぶん……好き?」
「あはは、絶対好きだろお前。目が爛々としてるし」
 あの子猫の他にも、店内では様々な子猫たちがショーケースの中で思い思いに寛いでいた。猫の種類も様々だった。先の折れた耳が可愛いスコティッシュフォールド、黒と白のコントラストが鮮やかなシャム、虎模様が凛々しくも美しいオシキャット、ふわふわもこもこのペルシャ猫。右往左往しながら、子猫が何か変なことをする度に漣さんを引っ張ってきた。呆れながらも、彼だって何だかんだ猫好きなのだ。一緒になって眺めているうちに、店員の女性も見兼ねたのだろう。じっと子猫と睨めっこしていた僕に、溌剌とした笑顔で声を掛けてきてくれた。
「猫、お好きなんですかー?」
「あ……、はい……?」
「宜しければ、抱っこしてみます?」
「え……」
「いいじゃん祐月、抱っこさせてもらいなよ。せっかくの機会なんだし」
「……いいんですか?」
「ぜひどうぞ! どの子がいいですかー?」
 店員と漣さんに半ば押されるような形で、ショーケースの前に立たされる。いざ選べと言われると、複雑な気持ちになる。どうせなら全員こんな狭いショーケースの中から出して、みんなで遊べればいいのに……と思ったが、流石に思うだけにしておいた。悩み抜いた上、選んだのはショーケースの一番端にいた、茶色のアメリカンショートヘアの女の子だった。店内の端っこの椅子に腰掛けると、膝の上に毛布をかけられる。店員がひょいと子猫の脇の下に手を入れると、子猫の胴体は驚くほど伸びた。びっくりしている間に、店員に抱かれた猫が僕の前に登場してしまった。思わず隣で立っていた漣さんの服の裾を掴んだ。
「漣さん……あの」
「ん? どうした?」
「緊張してきて……」
「……はは! そういえばお前、レディの時もがちがちだったもんな!」
「この子大人しい子なんで大丈夫ですよー! はいお膝乗せますねー!」
 え、だの、ああ、だの言っている間に問答無用で膝の上にやってきた猫。なんだかよくわからない高い体温の生物が膝の上にいるのは、やはり慣れない。猫はきょろきょろと辺りを見回せば、もう状況が分かるらしかった。微動だにせず僕をじっと見つめ、まるで見定めているようだった。この人間が、自分の飼い主となり得るのかどうか。直感的にそう思ったことだが、店員の言葉でもしかしたら本当なのかもしれないと思った。
「この子、もう子猫とは言いにくいくらい大きくなっちゃって。飼い主さんがなかなか見つからないんですよー」
「へえ……どうなっちゃうんですか、この子」
「まずは値段引き下げていきますねー。それでも見つからないようだったら、ブリーダーさんの元に戻したりしてますけど……せっかくだし見つけてあげたいんですよねー」
 店員と漣さんの話をぼんやり聞きつつも、意識は猫の方に向けられる。きっとこうやって、膝の上で何度も抱かれてはまた、ショーケースに戻されてきたのだろう。緑がかった瞳の中の、底無しの闇のような瞳孔が、じっと僕を捉える。どこか達観したようなその瞳に、怖くなる方が自然かと思うのに、なぜか僕の手はその猫の背中へと伸びていた。猫は拒むこともなく、僕の手を受け入れた。最初は恐る恐るだった僕の手も、徐々にレディの時の感覚を思い出して顎の方にまで指先を伸ばせるようになっていく。顔を傾げ瞳を細める猫は、不意に僕の肩に両前脚を乗せた。僕が驚く間もないままに、頬をぺろりと舐められる。それから、しばらく見つめあった。不思議な、悲しみの共鳴だった。
「漣さん……」
「どうした?」
「……飼っちゃだめ?」
「今ならお安くなっておりますよー! クリスマスセールで!」
 店員がすかさず追い討ちをかける。善人のようで、なかなか商魂たくましいなと思ったが、その商戦に乗っかっている僕も僕だ。漣さんは少し唸ってから屈み込むと、膝の上の猫の頭を撫でて穏やかに言った。
「そうだなあ、……そういう大事な決断は、すぐには出来ないな」
「……」
「準備も出来てないところに突然一緒に住もうって言われても、にゃんこも困るだろ。な?」
「にゃあん」
 僕のことは、何の準備がなくてもそばに置いてくれたくせに。だが、やはり人間と猫は違うのだし、彼の言い分も分かるのが正直なところだった。分かるけれど。少し項垂れたのが分かったのだろう。彼は僕の頭にも手を置いて、猫みたいにわしゃわしゃと撫でた。
「まあ、考えてやらんことはない! でも、ちゃんとゆっくり話し合ってからにしような」
「……漣さん、」
「お前がそんなゆるゆるの嬉しそうな顔してるとこ見ると、飼いたくなるんだよ」
 再び漣さんが猫に手を伸ばすと、不思議と猫はふんとそっぽを向いた。レディの時とは逆に、彼女は僕のほうに懐いたらしかった。優越感から少し得意げに顎の下を撫でてやると、自分でも頬のゆるみを感じる。自分で思っている以上に好きらしい。そんな僕を、頬杖ついて感情が伝わり過ぎる瞳で見つめてくる漣さんは、目が合うとにししと笑った。

prev | next
ALICE+