ひとつ叶えてあげよう

「久しぶり、遥ちゃん」
「ああ、白石。久しぶりやね」

登校日に下足場で白石と会った。全国大会が終わり、そしてそれは彼らの夏が終わったと同じ意味であるはずなのに、彼の背中には見慣れたテニスバッグが背負われている。どうやら部長である彼には引き継ぎやら何やらで、まだ部室に行く仕事が沢山あるそうだ。

不動峰という学校との試合の後、千歳からメールが来た。きっぺーに勝った、やけん、俺はテニスば辞める。そんな短い一文だけが。きっぺーって誰やねん。テニス辞めるってどういうことやねん。そう思いメールを送るも、返事は返って来なかった。

それから、青学という学校に準決勝で敗れたことを人づてに聞いた。最後に試合に出たのは千歳だったということも。なんやねん、辞めてへんやん。それやったらなんで、私に何の連絡も寄越さんねん。

「全国大会、お疲れ」
「おお、ありがとうなぁ」

私の言葉にへらりと白石はいつもの顔で笑う。残念やったねとか、頑張ったなぁとか、かける言葉は思いつくのに、どうすれば伝わるのかが解らなくて、そんな言葉で全てが伝わるはずも無くて。そしてそれは、千歳に対しても同じで。

けれどもそんな私の悩みなんてお構い無しに、これから勉強漬けの日々が始まる。未来のことなんて解らないのに、進む道を選ばなければならない。そう考えるだけで気が滅入った。

「せや、遥ちゃん。千歳から連絡来た?」
「連絡? 来てへんけど」
「あいつなぁ、全国終わった次の日から連絡つかんねん。打ち上げやら引き継ぎやら、色々あんねんけど」
「今日……学校来とったら白石んとこ行くように言うけど」
「ほな頼むわぁ。でもまぁ、登校日やし来ぇへんかもしれへんなぁ」



白石の言葉通り、隣の席に千歳の姿は無かった。夏休みの前は、きちんと来ていたのに。まさか落ち込んででもいるのだろうか。ぼんやりと、普段は千歳がいるはずの場所を眺める。目に飛び込んで来るのは、夏特有の刺さるほど青い空と、白い雲だけだった。

家に、行ってみようか。もしかしたらまた不摂生をして、熱中症で部屋で倒れていたりするかも知れない。都合良く配布された、第二回進路調査の紙が手元にある。始業式の日に提出するようにとのことだから、持って行った方が良いだろう。

あれこれと理由を付け、鞄に千歳の分のプリントを突っ込んで、どうでもいい先生の夏休みの旅行話聞いた後、千歳の家へと足早に向かった。チャイムを鳴らすと、よれよれのTシャツにパンツ一枚というだらしない格好の千歳が出て来る。

「はい……」
「あんた玄関開けるんやったら下ぐらいちゃんと穿きや」
「遥……どげんしたと?」
「このプリント渡しに。始業式までに持って来ぃや」
「はぁ、しんろ」

玄関でプリントを手渡す。頭を掻きながら千歳はそのプリントを興味無さそうに眺めていた。千歳越しに見える部屋の中は、以前来た時と全く変わってなさそうに見えた。

白石が、千歳と連絡が付かないと言っていたけれど。千歳は毎日、この部屋にずっといたのだろうか。一人で? 何を考えて? 何の為に?

「千歳、上がってもええ?」
「え、あ、なんも無かよ?」
「知っとるわ、前来たし」

ずかずかと靴を脱いで千歳の部屋に上がり込む。やはり前とほとんど変わっていない。カラーボックスが一つ、布団、それからテニスバッグ。それだけの四畳半。息が詰まりそうだった。

「何でメール返さんかったん」
「……ごめん」
「謝って欲しいんとちゃうわ」

腕を組み、木の柱にもたれてそう問いかけると、しゅんとした顔で謝りながら千歳は俯いた。そう、謝って欲しいわけでは無い。話して欲しかったのかもしれない。だって、見てて、って言ったのは千歳なのに。勝手に辞めるだなんて、理由も言わないで。

本当は、観に行っても良かったのだ。一日くらい勉強しなくたってどうと言うことも無かったし、交通費だってそんなに高いわけじゃない。

それでも行かなかったのは、怖かったからなのかもしれない。練習の時の千歳が、まるで違う人のようだったから。これが本気の試合になったら、どうなるのだろうかって。

「千歳」
「ん……」
「おかえり」

千歳に向かって手を広げて見せた。一瞬躊躇ったように固まったけれど、私の行動がどういう意味かを感じ取ったようで、そのまま力強く腕を私に回して来る。そして私は千歳を、彼が抱き締めるのと同じくらいの力で返せるようにと目一杯抱き締めた。

元気出しやとか、準決勝まで行っただけでも大したもんやでとか。色々言ってやりたいことはあったけれど、どれも嘘臭いような気がして。じんわりと湿り気を帯びて行く肩に意識をやりながら、ああ、ただ抱き締めるだけで充分なのだろうと思った。

「はは、相変わらず子供みたいやな」

そう私が言うと、千歳は私の肩からゆっくりと顔を上げた。ぼろぼろと溢れて来る涙が、身長差のせいで私に降って来そうやなぁ、なんてことを考えてその涙を拭う。

「遥、好いとう」
「またそれか」
「傍におって欲しか……」

消え入りそうに呟いて、また千歳は私をきつく抱き締めた。その熱に、夏休み前に自分が言ったことを思い出す。千歳にとって大切なのは、きちんと千歳を見ていてあげられる人間だと。

誰かに傍にいて欲しいと、そう思えたことは彼にとっての進歩かも知れない。いや、もしかしたら本当はずっと、千歳は純粋にそう思っていたのかも知れない。どう表現していいか解らなかっただけで、本当は、ずっと。

「ええよ」
「……え」
「ええよ、傍におったる」

(20120822)