〜 弐 〜

彼が言ったとおり、金は私に毎日きちんと支払われました。私としましては、そんなにきっちりと払ってくれなくとも、と思っておったのですが。

そもそも身よりの無い彼は、どこに金のあてがあったのでしょうか。私は全く知りませんでした。

「いいのですよ、無理に払って頂かなくても」
「いや、世話になってるんやからこれくらい当たり前っちゅう話や」

何度言ってもその一点張りで、彼は聞こうとしませんでした。そうして二週間ほども共に暮らせば、何となくではありますが、彼の性格が解ってきたような気が致しました。

例えば、金に関して以外でも几帳面だということ。魚を食べるときは骨すらも残らないほど丁寧に食べておりましたし、 毎日軒先を塵の一つも落ちていないほど綺麗に掃いてくれておりました。

そのことも彼に言わせれば、世話になっているからにはの一言で済まされるのですが。そして飄々とした明るい気質の彼でしたが、時には興味深い話をしてくれました。

私が読んだことの無い書を彼が空で語ってくれたときには、それはもう驚きましたよ。そうそう、字も達者で、私が書を写すのを手伝ってもくれました。

一月も経てば、彼のいる生活というものが、至極当然の風景になっておりました。冬が終わるまで。長くても、あと三月程の事だ。そう思うと、少し寂しいような気さえしてきたので御座います。



ある日、とうとう私は再び尋ねる事に致しました。何故我が家に来たのかを。ずっと気にはなっておったのです。勿論、彼が此処で楽しく過ごせておれば、それはそれで良かったのではありますが。

実は私は、あの方の事も少し気がかりでは御座いました。あれほど親しく可愛がった彼を、あの方は理由も知らずに失ったのでは、と。

彼の様子だと、どうやらお互い納得の上で別居することになったようではありませんでしたから。追い出されたか、彼が自ら家を出たか。どちらかは私には解りませんでした。

ただ後者であった場合、あの方は彼のいない生活というものに、どう向き合っておられるのでしょう。

「そうやな。お前にやったら、話してええかもしれへんな」

その頃には、彼と私の間に敬語というものは無くなっており、同じ年頃の少年同士の会話を交わしておりました。

いえね、私は自分の年齢が解っておったのですけれど、彼は知らなかったので御座います。幼くして天涯孤独になったとかで、正確な年齢が解らなかったようなのです。うろ覚えの記憶と顔つき、知識量なぞで、同い年ぐらいだろうとお互い勝手に思っておりました。

「私になら、か。随分と信頼されたものだね」

私は苦笑して見せましたが、心の内はそれは嬉しくてたまらなかったので御座います。それはやはり一人で生活していた時とは違い、同居人がおるとそのような関係が結べるのだと、はっきりと解った瞬間でした。



その後の彼と私は家族のように、そうですね、まるで兄弟のように過ごしておりました。

どちらの能力が上ということは御座いません。人には得手不得手がありますので、基本的に自分が優れておる事は相手に教える。そのように、お互い支え合って生活をしておりました。

その質問をした日は連日の大雪とは違い、ちらちらと桜の花びらのような雪が落ちる景色が、窓の外に見えました。

今でもはっきりと、匂いすらも思い出せそうですよ。匂いよりは、冷たい空気を吸い込んだ時のつうんと鼻の奥が痛む感覚の方が鮮明ですが。

「俺があいつに拾われて育てられ始めたんは、五つか六つの頃やったかな。取り敢えず、自分で歩き回れる年やったと思う」

いつも私に物語を聞かせるような口調で、淡々と彼は語り始めました。

「見目で解ると思うんやけど、それなりのお家柄や。俺を拾ったんも、気紛れかおんなじ年頃の遊び相手が欲しかったんか、善行が好きやっただけやろうと思っとった」

私を映す彼の瞳はそこはかとなく悲しみを帯びていました。私はこれに似たものをかつて見た気がしたのですが、どうも思い出すことが出来ません。彼は続けます。

「つい先日、あいつは子供を拾ってきた。子供っちゅうか、赤子に近いかな。話すこともままならんくらいの」

彼は腕で赤子を抱く仕草をして見せました。確かに、彼の腕の様子から想像出来たのは、一歳か二歳ほどの赤子でした。

「昼間あいつが仕事に出とる間は、俺が子守しとったんやけど」

赤子を抱いていたのであろう今は何もない空間を、彼はただひたすらに見つめておりました。そして苦しそうに眉を寄せた後、こう吐き出したのです。

「俺は、その赤子の首に、手をかけたんや」

彼の手がおるはずのない赤子の元に運ばれ、そして絞められました。私ははっと息を飲みました。目も見開きました。ええ、それはもう、本当に驚きましたとも。

なぜなら普段の彼からはそのような殺意や悪意なぞ、一切感じられはしなかったのですから。

「あん子の首。細かった」

その赤子の首の大きさを確かめるように彼は自分の手を見つめ、そしてその時の彼の背中は小さく小さく丸まっておりました。

ですから、私は不安を感じたので御座います。私と彼は身長こそ変わらなかったものの体格は彼の方が幾分か逞しく、そして私はそれを羨望しておりました。

その背中が小さく見えることに、私は彼がこのまま消えて無くなってしまいそうな、いえ、そのようなことが起こるはずは無いのですが、そのような不安を覚えずにはいられなかったのです。

「それで、その赤子は」

私は身を少しだけ乗り出し、彼の黒い両の光を覗き込むように問うてみました。ひょっとすると、殺してしまったのではあるまいか。

そのようなことも頭を過ぎりましたが、彼の口から出た返事は違っていたので御座います。

「死ぬんちゃうかな、と思った。せやけどどうして、命っちゅーんはなかなかしぶといもんやな」

喉の奥で彼はくつくつと笑いました。そんな笑い方をする彼を見たのは、これが初めてで御座いました。いつもはそれこそ楽しそうに、口を大きく開けて笑うのに。

「あと少しで。そう思た時に、あいつが帰ってきたんや」

(20120730)