彼はそう言うと急に立ち上がり、戸口に向かいました。どうしたのかと思い、私はその後を追いかけるために立ち上がろうとしましたが、彼が振り返ったので中腰のままその場に固まりました。
「俺がそこに座っとったんを、あいつは、ただじっと見とった。そん時の俺の姿を見て、どう思ったんやろうな」
私を指差し、彼はそう言いました。私が今おる場所が、その時の彼の場所だったのでありましょう。その後ふらふらと私の前に歩み寄り、そして座りました。私も座り直し、再び彼と向き合ったので御座います。
私が見た彼の姿は大層威圧的で、実際に彼が見たあの方はそれ以上であったのかと思うと、背中を何か冷たいものが這うようでした。雪はただ窓の外で、ひらひらと降り続いておりました。
「何しとるんやて、あいつは俺の手ぇから赤子を取り上げた。泣き叫んどる赤子をあやすあいつを見とったら、なんや居たたまれへんくなってな、逃げて来たんや」
ああ、それが、それが私の所に来た理由だったのかと、ようやく解った私の心は、少しばかり晴れやかでした。
そして語り終えた彼は、いきなり私の蒲団を敷き始めたのです。我が家に蒲団は一組しか御座いませんでしたので、いつも私が蒲団、彼は床に直接寝ておりました。
上に薄い布を被り寒さを凌いで眠る彼に、私は何度も交代で蒲団を使おうと申したのですが、やはり彼は断り続けました。いつもと同じように、世話になっておる身だからという台詞で。
「さあ、今日も寒いで。早よ寝てしまおか」
蒲団を敷く行為がこれ以上は語らぬという彼の気持ちの現れであると悟った私は、大人しく蒲団に潜りました。
まさか我が家に来た理由がそのような事とは知りませんでしたので、どこか悲しい気持ちになりました。結局彼がそのような行為に走った理由までは、私は聞くことは出来なかったのです。
深い何かがあるような気がして、踏み入ることが恐ろしかったのやも知れません。外から冷たい風が入り、窓や戸がかたかたと音を立てておりました。
「本当に今日は寒いね。蒲団で寝ないかい」
私は蒲団から、床に寝そべろうとしていた彼に、声をかけました。彼は申し訳無さそうに眉尻を下げると、首を横に振ったのです。
「いや。俺はここでええわ」
「風邪を引いてしまうよ。少し狭いかもしれないけれど、二人で蒲団に入ればいい」
私は、少し自惚れていたのかも知れません。彼が家族の絆や温もりを望むのならば、私がそれを与える事が出来るかも知れぬと。勿論、彼がそのようなことを口にしたことは一度も御座いませんでした。
それでも私は横にいる彼のはにかんだ様な顔を見たときに、いつかきっと彼に幸せが訪れる日が来ることを心底願いました。その時の感情に名前をつけることは、きっと困難でありましょう。
「おやすみなさい」
「おん、おやすみ」
私が言うと彼が返してくれましたので、私は微かに口角を上げて瞼を閉じました。雪の降る音が聞こえそうな程に静かな夜で御座いました。けれども、不思議と孤独感はありませんでした。
なぜなら、彼が横で呼吸を繰り返しているのですから。一定の感覚で聞こえてくるその音と、風が戸や窓を鳴らす音。それだけの世界。私は満ち足りた気持ちで、その日は眠りに就いたので御座います。
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次の夜から私は彼を蒲団に呼び、そして共に寝るようになりました。初めは躊躇いがちに蒲団に潜っていた彼も夜毎となると馴れたようで、私が蒲団に入るとすぐにその後に続くようになりました。
けれども私より先に蒲団に入ることは決して無く、律儀な彼の姿を、私も見習わねばと感じたものです。
(20120801)