01

「やれ、鶴の勧誘には失敗したか」

柔らかげな物言いの割には言葉の中に何処か棘がある。自分の失態と暴言、鶴丸に対する自身の彼の状況を鑑みなかった態度に、クッションに顔を押し付けてめそめそしていると、後ろから回ってきた大きな手に抱えられる。すんすんと鼻を鳴らすこんのすけを顔の前まで持ってきたのは、この部屋の主でもありこの狐が最初に確保できた刀剣男士でもあった。黒に近い藍色の髪、左だけ伸ばしているのは付喪神だった時の名残だろうか。恐ろしく整った精悍な顔立ちは年齢を感じさせず、穏やかにも冷徹に見える。

「我が主は、頑張って働いてきた臣下に対し労りもなしか?」

薄い唇から溢れる声はやや不機嫌そうである。こんのすけをついっと眺めるこの男。人としての名を三条宗近、かつて三日月宗近として力を振るっていた刀剣男士の1人だ。今は様々な業界で手広く活躍する、三条グループの頭領である。こんのすけがこの男に会ったのは全くの偶然であったのだが、何が宗近の興味を引いたのか、彼はこんのすけの話を聞いた後、二つ返事で刀剣男士になることを選んだのだ。

「…おかえりなさいませ、三日月殿。今日もお勤めご苦労様です」

月の消えた藍色の瞳がニンマリと笑う。パタパタと尻尾を振ってやれば、大きな手がこんのすけの頭をすっぽりと覆い、よしよしと撫で回した。こんのすけはされるがまま、だらんと四肢の力を抜いて三日月の気が晴れるまでは大人しくしている。今日はどうやらいつもよりは鬱憤が少なかったらしい。5分程度で解放されたこんのすけは、すっかり逆立ってしまった毛並みを必死に整える。

「三日月殿、もう少し撫でる方向を一定にしてください。毛羽立ってしかたありません」

「うん?」

「やっぱりいいです。大丈夫だからじりじりにじり寄ってこないでください」

「注文の多い狐だな」

ぞわわわっと毛を逆立てたこんのすけ。それを見た三日月は、はあ、と態とらしく溜息を零した。ぽんぽん、と自分の横を叩く彼は、それでこの身を呼んでいるつもりらしい。何処ぞの坊ちゃんとして育てられたのでこう言った仕草が似合いもするが、偉ぶっていると見られてしまう一因でもある。まあ、本人は全くそんな気もないし、気にしてすらいないのだが。

「こんのや、俺はしっかりと働いてきたぞ」

「はい、存じております。お一人で遡行軍と戦うのは骨が折れましょう」

「そうだな。して、いつまでその面妖な狐でいるつもりだ。よもや俺との約束を忘れたわけでもあるまい?」

「あまり人型はとりたくないのです。この身から出ると余分な霊力を消費します」

「だか此処は狭間だ。お主の言う時間圧とやらはかからんのだろう?」

「…」

つっと流された横目が、問答無用でやれと言っている。神と簡単に約束するものじゃない、とこんのはあの時の自分に言って聞かせたかった。渋々立ち上がり一度溜息をついた後、くるりと宙返りをしてみせる。小さな足がソファーに付くと思いきや、現れたのは二本の人の足。そこには前髪を眉あたりで揃え、長い髪を後ろで一括りにした女性がいた。その姿を瞳に写した三日月は嬉しそうに笑う。

「うん、そちらの方が良い」

「そうですか。三日月殿、傷は?貴方はまだ完全に神格を取り戻せたわけではありません。あまり無理をするとその身体の方にガタが来ます」

「そうさな。今日の敵はちと骨が折れた。じじいを労ってくれると嬉しい」

差し出された刀を受け取る。鞘から抜けば、その刀身が光を反射しキラリと輝く。天下五剣と名高い三日月宗近。だがこれは本刀の作りを真似て作った模造品に過ぎなかった。かつて本霊から分霊を降ろす時に使用した方法で、これにより複数の審神者が同位体の刀剣男士を持つことができたのだ。本霊である目の前の三日月に模造刀を使わせるのは躊躇われたが、本刀が手元に無い現状ではこれを使って仮契約を行うのが精一杯だった。
そのためか、三日月は付喪神というよりも妖の色が強く、本来持つ力の半分も出せていない。うっかり神職が居る場所に足を踏み入れたら、祓われかねない。更に厄介なことに、身体は人間の作りに近いため、負った怪我は刀の手入れだけでは完治しないのだ。
言わずもがな、実に面倒な状態である。

受け取った刀の血を拭い穢れを祓い、曇りを無くしていく。打ち粉でポンポンと叩けば本来あるべき輝きが戻ってきた。三日月はこんのの隣で微睡んでいる。いつもこれなら扱いが楽なのだが、そうもいかないのが人間というものを身を以て体感した所以なのだろう。

「俺の在り処は分かったのか?」

「ええ。政府の一角である、政治家の厳重な蔵に眠っておいででした」

「そうか」

「…まだ時期ではありませんからね。いくら貴方が政府に顔が利くといっても多勢に無勢。死ににいくような真似は許さない」

「…あい分かった。主は心配性だからな」

刀剣である三日月は強固な蔵の中に仕舞われており、1人2人で奪還できる状態ではない。今のところこんのが契約できているのは三日月ただ1人であり、時間があれば遡行軍とも戦ってもらっている状態なのだ。それなのに今から蔵に忍び込んで本体を手に入れてこいなど、無理難題を押し付けるにも程がある。自身の居場所が分かり、今にも飛び出して行きそうな彼を諌めれば、人に心配されるのがそんなに嬉しいのか、労わるそぶりや言葉を掛けられた三日月は実に嬉しそうに笑う。今もご機嫌だ。
手入れが終わると次は夕飯の準備となった。とは言っても夜半も過ぎる頃なので軽食くらいしか作れないのだが。三日月は物珍しいのが後ろからこんのの手元をじっと見ては、満足げに頷いているばかりである。そしてお茶漬けとだし巻き卵、昨日から漬けていた浅漬けを机に並べれば、それなりの夕飯の出来上がった。こんのは食べる必要はないのだが、三日月が共に食べると言って聞かないので、最近では一緒に箸を運ぶことにしている。そうしてだし巻き卵に舌鼓を打っていた三日月は思い出したように口を開いた。

「鶴はそんなに頑なだったのか?」

「いえ。私の配慮が足りませんでした…」

「それもあるだろうな」

うんうんと頷いて容赦なく傷口に塩をぶちまけてくる。三日月はそういう男だ。帰り際に見てしまった国永の傷付いたような痛みを我慢するような表情を思い出して、こんのはぎゅっと箸を握った。あんな顔をさせるつもりも傷付けるつもりもなかったのに、人と違うということがどういうことか、知らないわけではなかったのに。後悔ばかりが胸に渦巻く。

「まあ、あれもああ見えてまだ幼い所がある。図星を突かれて居心地が悪くなったのもあろう」

「…三日月殿、貴方記憶が…?」


「いや、何となくだ。恐らく何処かで知っているのだろうな。この身は完全ではないから確かなことは言えぬ。まあ、次は俺も行くか」

「いえ、三日月殿はこのまま遡行軍の足止めを。それに私は無理やり付喪神に戻す気は無いのです。次顔を合わせてそれでもダメなら、諦めます」

力無く笑うこんの。国永を傷付けてしまった己が相当許せないのだろう。抱え込むのは彼女の悪い癖でもあるし、優しすぎる性格もまた今後刀剣を集めて行く上で障害になるに違いない。それが分かっているからこそ、三日月の眉が中央に寄ったが、諫めることはしない。それはこんのが自分で気づき苦慮して答えを出さなければ意味がないのだから。しかしそんな彼女を甘やかす特権を持ってるのは、現在彼女の唯一の刀剣である三日月たた一振りだけである。未だにしょんぼりとするこんのに向けて、孫を可愛がる祖父のような声を出した。

「主よ、そんなに気を病むな。例え鶴が居なくとも俺がいる。今はそれで充分ではないか」

天下五剣である三日月に撫でられて身が竦むような思いだ。その手は確かに暖かいのに何処か冷たく感じるのは、彼がもう人ではないからか、それとも少しずつ自分から人としての何かが消えてしまっているからか。

「…そうですね。貴方だけでもいてくれて良かった」

1人でも、一振りでもこんのを認識してくれるものがある。今はそれが何よりの支えであった。



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