「傑が造反した」
開口一番に発された言葉は、なんというか想像してた通りだった。知らないわけないよね?なんてすこし脅迫気味に聞いて来る。報告書を整理する手を止めて、五条くんを見上げた。相変わらず真っ黒なサングラスの奥の表情は読めない。不満そうであることだけは分かった。
「聞いてるよ。伝令も来たし」
「それだけ?他には」
首を傾げる。呪術師とはいえ末端に近い私に、特級呪術師だった夏油くんの詳細が降りて来る筈がない。それくらい、お互い分かっている。だからきっと、これは後輩として聞いているのだ。
「……夏油くんが悩んでたことは知ってた。それは五条くんもでしょ?」
「…そうだけど。なんかさ、あんじゃん」
「…」
「傑が頼れるの、俺か瀬波センパイだけだったし」
「頼られてたのかなあ」
舌打ちが聞こえた。何でそんなことも分かんねぇの?とでも言われている気分だ。
「隠れて傑とよろしくやってたくせに何言ってんの」
「言い方に悪意あるなあ。五条くんが考えてる、よろしくとは違うと思うよ」
「今更カマトトぶんな」
「そんなつもりないよ。本当のことだもん」
「んなわけねーだろ、傑だぞ?」
「同期の中で夏油くんが如何に女たらしだったか分かる発言…!」
「何とかなんなかったわけ?」
「五条くんでも無理なのに、私が何とかできるわけないよ。夏油くん、頑固だし。苦しむことを強要できないもの」
私に対して発している言葉の半分は、自分にも向けているんだろう。信じたくない気持ちと、こうなる前にどうにかしたかった気持ち。親友を失うことの恐怖。それから、手にかける覚悟。いつも完璧な五条くんの中に、初めて人間味を感じた。
「会ったの?」
「あの任務の後に、ちょっとだけ家にきたかな」
「あいつ、よりによって女のところに行ったのかよ」
何でだよ、ちくしょう。
頼りない声が、部屋に落ちる。悔しさが身体から滲み出ていた。強気で弱い呪術師に暴言を吐く、最強だと揶揄される五条悟はどこにもいない。
目の前にある白い頭を撫でた。いつもは無限で跳ね除けられるのに、今回ばかりは相当参ってるらしい。大人しくされるがままになっていた。
夏油くんとはまた違う、指通りの良い髪質。五条くんのこんな姿を見たら、なんて言うだろうか。
「…呪殺はしてないよ」
「……」
「求められても助けなかったけど、呪殺はしてない」
「それってどこ情報?」
「本人かな。残穢は残ってたしはっきりとは言ってなかったけどね。上にも隠したいことは山ほどあるよ」
「……センパイ」
「なに?」
「傑のこと、頼むわ」
撫でていた手を取られて、痛いぐらい握られる。五条くんも何かを決意したらしい。
六眼をしまった瞼の向こう。そこに、また二人で肩を並べる姿が見えているのだろうか。
「……うん」
「あの馬鹿に言っといて。次会ったらぶん殴る」
起き上がった彼は、大きな溜息を吐いて部屋から出て行ったら、相変わらず後ろ姿から寂しさを感じる。それでも、別れた道を歩むことにしたようだ。
二人の道がまた交わりますように。
そんなことを願わずにはいられなかった。
「おや、浮気かな」
「え?」
浮気だなんて、変なことを言う。
あの日と同じように、夏油くんがベランダから入ってきた。自宅に着いて、数秒後のことである。きっと帰宅する私の姿をここから見ていたんだろう。
ならせめて玄関から入ってきて欲しいな。
「今日は双子ちゃん置いてきたの?」
「真夜中に連れ出すのは危険だし、あの子たちを連れていると誰かさんが恥ずかしがって私の口直しができないからね」
「その言い方教育者としてどうなの。それに喰べ方は一つじゃないよ」
笑って、スーツジャケットを脱ぐ。本当は全部脱いで楽な部屋着に着替えたかったけど、夏油くんがいるので断念した。いくら見知った後輩といえど流石に私にも羞恥心はある。彼だって、見ても何も良いことはないしね。
簡易領域を張るよりも早く、夏油くんに捕まった。そのまま顔を近づけて来るので、彼の口元を手で押さえて静止する。不服そうな表情が浮かんだ。
「奈々子も美々子もいない」
「そうなんだけどそうじゃなくて。私今日任務で…」
「喰べたんだろう?分かっているさ」
だからどうしたと言わんばかりに、面紗を取られる。双子ちゃんがいないことは勿論なんだけど、言いたいのはそかじゃない。退かさない手に、より一層目が細くなる。
「その、喰べたばかりだから、呪霊の残穢がたぶんまだ残ってて」
「それで?」
「夏油くんは不味いと思うだろうし、今は口直しにならないというか…」
「私はなまえとのキスで不味さを感じたことはないよ。安心して」
笑って、手を無理やり剥いできた。
いや、安心してと言われて安心できるようなものじゃない。それに多分、今日夏油くんは呪霊を取り込んでないから、口直しする必要なんてないんじゃ。
「私が口直しのためだけになまえに会いにきてると思ってるのかい?そうだとしたら相当なお馬鹿さんだね」
「え、急に貶された?」
「そう思うならそのままでいい。今はね。さて、これ以上言い訳がないのならそろそろいいかな?私も気が長い方じゃない」
「んっ…!」
高専を離れてから、夏油くんはどこか生き生きし出した。それだけストレスが掛かっていたのかもしれないけれど、それにしたって遠慮がなさ過ぎではないだろうか。人の目がない分、羽目を外す気持ちは分かるのだけど。
ぐるぐる回る思考は、直ぐに奪われた。
夏油くんとのキスは、いつまで経っても慣れない。一度唇を合わせれば骨抜きにされる。呼吸が苦しい。経験数が違うと言われればそれまでだけど、もしかしてさくらんぼの柄を舌で結べるタイプだろうか。
閉じていた目を少しだけ開いて、夏油くんを盗み見る。お酒を飲んだ時みたいに、頬が少しだけ赤くなっていた。時折漏れる呼吸には、色気が帯びる。えっちだなあ。彼の目が開いて、悪戯に笑った。
「ん、余裕そうだね」
「違うよ、苦しいんだよ」
「