湖綿

「瀬波」

廊下を歩いていたら夜蛾先生に呼び止められた。持っている書類の厚さから、多分任務だろう。さらっと説明を受け、裏門に止められた黒塗りの車に乗り込む。同行してくれる補佐官は初めて見る男性だった。
おしゃべりじゃないといいなあ、なんて思いながら携帯の録音データを開く。音声データの種類があまりないので、話を振られると困るのだ。

『詳細は聞いてます。今日はよろしくお願いします』
「はい、こちらこそよろしくお願いします。一応仕事なので、道すがら説明だけはさせてくださいね。瀬波さんは頷いてくださるだけでいいので」

その言葉に一つ頷く。バックミラー越しに、ほっとしたような表情を浮かべる男性と目が合った。良い人だ。それに、とっても誠実な人なんだろう。私が返答できないことをいいことに、説明を省く補助監督もいるというのに。

「今回は山梨県の山域にある、古い観音堂が現場となります。堂内に保管された一級呪物を回収後、周辺の見回りと呪物に引き寄せられた呪霊の討伐をお願いします。今のところ、三級以上の呪霊は確認されていません。既に廃村となってるため、民間人の巻き込みなどは発生しないものと思われます。ただ、長期戦となった場合は宿泊施設がないので、野宿になってしまうかもしれません」

ポチポチと使える音声データを探す。

『呪物の回収と現場の掃除なので、1日もかからないと思います』
「はい。ですが、近隣の大学に在るオカルトサークルがお堂に出入りしたとの情報もあるので、念のため気を付けてください。万が一長引きそうな場合は一番近い村の民宿を押さえるので連絡をお願いします」

成程、と頷いた。持ち出されていた場合は捜索と残穢の掃除範囲が広がることになる。いつの時代も、度胸試しやオカルト研究部に振り回される。怖いもの見たさで何人命を落としたことだろう。そう思ったところで、考えるのを止めた。死に直面していない他人が考えたところで詮無いことだ。

「終わったときはいつものように連絡を。私からの説明は以上です」
『有難うございます』

着いたら起こすので寝てても大丈夫ですよ、という言葉に甘えて目を閉じる。本当にいい人だ。どこぞの後輩に、この人の爪の垢を煎じて飲ませたいくらい。
車窓からの景色がコンクリートから常緑に変わっていく。心地よい静寂と車体が揺れるリズムに、意識が落ちるのはそう遅くなかった。

補助監督に見守られながら参道を歩いて数時間。目当ての呪物は、観音堂の中心に鎮座していた。
呪物を中心に、呪力が渦巻いている。それに引き寄せられたのか、観音堂の周りにはふよふよと浮かぶ呪霊というには弱々しいものが数体と、二級程度の呪霊が一体。報告されていた三級呪霊が、蠱毒方式で力を得たらしかった。
突如として発生した呪霊であるため、名前の獲得には手間取りそうだ。かと言って、五条くんみたいに相手の術式が見える瞳もなければ、接近戦で相手の出方を見切るようなタフさもない。
ただ運のいいことに、この呪霊には人間みたいな目があった。しかも、大人の頭蓋骨くらい大きい。これなら勝手に術式が発動してくれる。

私を認識した途端、その呪霊は馬鹿正直に突っ込んできてくれた。覚えたての簡易領域は、まだうまく作動してくれない。目前に迫った五個くらいあるぎょろりとした目玉。そのすべてに面紗を取った自分が映っている。そうなればもう、こちらの物だった。
いつもは閉じている口開いて、舌の上に言葉を乗せる。

「“頂きます”」

発した言葉が、呪霊と呪力を絡めとる。何が何だか分かっていない呪霊に近づいて、ぶよぶよした体のに手を突っ込んだ。そのまま手を動かせば、指先に触れた何か。それを握って引き抜けば、手の中には特大の黒飴みたいなものが入っていた。

私はこれを勝手に“核”と呼んでる。呪霊を呪霊たらしめている、呪力の塊。魂とはちょっと違う何か。

それを口に入れて咀嚼すれば、ぶわりと何かが広がった。例えるならば、具材がたくさん入った油っぽいスープだろうか。美味しいとは思わないけど、不味くもない。ただ、お腹には溜まる。それを咀嚼して飲み込む頃には、目の前の呪霊はぼろぼろと塵となって崩れて行った。

主要な呪霊さえ討伐して仕舞えば、あとはもう単純作業だった。誰もいないから術式は発動しっぱなしでいい。残穢を見つけては咀嚼し、また残穢を探す。小さいものなら捕まえて、同じように喰べる。その繰り返し。
観音堂から半径数キロ圏内に呪霊や呪力が感知されないことを確認してから、山を降りた。
呪霊が突っ込んできた時の風圧で少し頬が切れたけど、無傷で任務完遂と言っていいだろう。それにしても、山中を歩き回ったことによる全身疲労が、なによりもつらい。

『お疲れ様です。終わりました』

回収場所に戻ると、ほっとした顔の補助監督が迎えてくれた。けれど私の顔を見るなり慌て出したので、如何したものかと考える。きっと彼は、呪力切れで私の顔色が悪いと思っているのだろう。しかし実のところ、呪霊討伐ではなく山の登り降りが原因である。

「高専にすぐ連絡して…!」
『大丈夫です。顔色が悪いのは体力が無いだけです。任務はちゃんと完了しました』
「しかしお顔に擦り傷もありますし…他に大きな怪我はありませんか?」

大丈夫です、と再度携帯の録音機能を再生する。やはりと言うか、納得は出来なかったのだろう。来た時とは逆の粗い運転で、高専に帰る事になった。

「お疲れ様です。先輩、怪我をしたんですか?」
「夏油君、良いところに!家入さんはいらっしゃいますか?」
「先程担任に呼ばれて外に。戻るのは2時間後だと聞いています」
「そうなんですか…医務室が空いてるならそちらに行…」
『本当に大丈夫です。大きな怪我はしてないです』

状況を理解した夏油くんが代わりに説明してくれる。漸く納得してくれた補助監督さんは、心底ホッとしたような顔で戻っていった。ふう、と一息つく。携帯の録音機能だけではカバーしきれないところもあったので、本当に助かった。

『有難う、夏油くん』
「どういたしまして。硝子はいませんが医務室に行きますか?」
『ううん。部屋に戻るよ』
「なら送りますよ」
『え、悪いよ。どこかに行く途中だったんでしょ?』
「大丈夫ですよ。見送らなかったら逆に硝子に怒られそうだ。怪我もしてるみたいですし』

硬い指先が頬に触れる。夏油くんは乾いた血をなぞるように、上から下へと滑らせた。じんわりと熱が伝染する。今までそんな触れ方をされたことが無く、びっくりして立ち止まった。夏油くん自身も自分の行動が意外だったのか、私に触れた指先を見つめて動きを止める。何かを確かめるように親指と人差し指を擦り合わせたあと、少し申し訳なさそうに笑った。

「…すみません」
『あ、全然!吃驚しただけだから』
「絆創膏は部屋にありますか?」
『どうだろう。あんまり記憶にないな』
「…なら、良かったらどうぞ」

差し出されたのは、何処にでも売ってる至ってシンプルな絆創膏で、有り難く頂戴することにした。夏油くんと絆創膏という少し珍しい組み合わせに、ちょっと笑ってしまう。五条くんとたくさん殴り合いの喧嘩を良くしているから、いつも常備しているのかもしれない。

『ふふっ。有難う、大事に使うね』




prev list


top