護るための枷

「なまえさん」

3回ノックの後、名前が呼ばれる。
扉を少しだけ開けると、やっぱりというか少し疲れた笑いを浮かべる夏油くんが立っていた。ボンタンのポケットに入れられた手首には、コンビニのレジ袋がかけられている。

内側にある感情を喰べたあの日から、彼は毎回こうして任務帰りに私の自室に来るようになった。更には、呼び方も変化して、いつの間にか名前で呼ばれている。犬にでも懐かれた気分だ。
疲れた中足を運んでくれているのにこのまま追い返すのも気が引けて、毎回部屋に入れてしまうのは、どうしたって自分が蒔いた種のせい。それでも頻度というものがあるとは思う。

夜な夜な女子生徒の部屋に通う男子生徒。こんなところを先生に見られたら大変だ。不健全とばかりに反省文を書かされるかもしれない。少し注意をした方がいいだろう。
しっかりと扉を閉めてから向き合う。

「あのね、夏油くん。毎回思うんだけど…あっ!」
「なまえさん、“喰べて“ください」

話の途中で面紗を取られ、そのまま呼吸を奪われる。夏油くんが“喰べて“というと、ちょっといやらしく聞こえるのは、たぶん彼の顔と日頃の行いのせいだろう。

次こそは面紗の下にマスクをつけよう。そんな決意を砕くように、首の後ろに回った手によってぐっと上を向かされる。開いてしまった口の中へ、熱と跳躍の意思を持った舌が入ってきた。表面を擦り合わせて、絡められる。ここへくる前に吸ってきたのか、タールの味がした。

「んむ、っ!」
「ふふ…」

放っておくと好き勝手に口内を荒らされるので、舌を動かすことで抵抗する。けれど、それが逆に喜ばせてしまう結果になった。私と違って、夏油くんには笑う余裕すらあるのだ。必死の抵抗も虚しく、キスの合間に、“いただきます“を要求された。息も絶え絶えにそれを唱えると、夏油くんはやっぱり以前のような顔で笑うのだ。

どろりとした感情が入ってくる。粘度の高い、ゼリーみたいだ。味は、何処かの名物である、ういろうにも似ていた。
別に彼の負の感情を喰べることは厭わない。不味いとは思わないし、私の体に大きな変調もないから。この行為が少しでも夏油くんの支えになっているならば、喰べた甲斐もあるというもの。
でも如何せん、やり方が強引すぎる気がする。

「んん…っ!ちょ、まっ、て…!」

角度を変えて隙間ができた時に、ぐっと両手で彼の胸を押した。途端に抜けそうになった腰は、逞しい腕が支えてくれている。くらくらしてしょうがなくて、どうしてたって夏油くんの胸を借りる状態になってしまう。
縋っているのは私の方みたい。

「すみません。がっつきました」

そう言う割に、声にも表情にも反省の色はなかった。
私の呼吸が整うまでは待ってくれるみたいだ。時折り髪を撫でてくる手は、変わらず暖かかった。
見上げると、ペットでも見るかのような視線が落ちてくる。ずっと言おうと思っていた事を伝えてみようか。

「あのね、夏油くん」
「うん?」
「口直しといっても何も毎回キスする必要はないんだよ」
「と言うと?」
「私、喰べる対象範囲の簡易領域作れるようになったの。だからそこに立ってくれれば喰べられるんだよ」

その方が任務帰りの彼もヘロヘロになった私に付き合うことなくパッと帰れるし、私は私で簡易領域を張る練習にもなる。何より喰べる時間も短くて済む。終わった後部屋でごろごろしたいなら、ちゃちゃっと喰べた後にすればいい。それに簡易領域は場所を選ばないから、高専内ならどこでもできる。だから、態々部屋に来る必要もない。

そう伝えたつもりだったのに、夏油くんはあんまり分かってないみたいだった。

「簡易領域の練習なら、終わった後にいくらでも付き合いますよ」
「え、だからそう言う事じゃなくて、一度にやれば良くない?」
「別でやった方が練習になりますよね?」
「え、そうなの、かな?あ、領域内ならハグとかでも“喰べる“ことはできるから…」
「ハグだと口直しにならないので。それに私はこの方法が気に入っているんですよ」
「でもね、何て言うか苦いのは好きじゃなくて」
「なら煙草の代わりに飴玉でも転がしてきます」
「え、うーん…毎回へろへろになるのも申し訳ないし」

夏油くんが、何だそんな事かと笑う。言い包める気満々の笑顔で返された。

「私がさせているんだ、気にしなくていい」
「…夏油くんはキスが好きなの?」
「男でキスが嫌いな奴なんていませんよ。口直しには最適だ」

何を言っても、口直しとしてのキスは辞めるつもりはないらしい。彼女とかに怒られたりするのは嫌だから、私としては簡易領域に切り替えて欲しいところではある。いるのか知らないけど。

「彼女が怒るよ」
「そんな心配はいらないから安心して」

狡い答えだと思う。
恨みを込めた視線を向けてみる。キョトンとして、お詫びとばかりに額へ唇が落ちてきた。そうじゃないんだよ、夏油くん。この不健全に近い関係を続けていいのかと、先輩は問うているのだよ。
なんか、どうでも良くなってしまった。

「……夏油くん、時々敬語抜けるようになったね、先輩としてショックだ」
「それは申し訳ない。だが、嫌いじゃないだろう?」
「硝子ちゃんが、夏油くんもクズだって言ってた意味が分かった気がする」
「酷いな。否定はしないが」
「否定はしようよ」

夏油くんはやっぱり笑って、軽めのキスをしてきた。
そうだ、何もフレンチじゃなくてもいい。次はバードキスだけで対応してみよう、なんて密かに思っていると、硬い指先が耳の輪郭をなぞり始める。支えてくれていた腕にも力が入った。顔が近づく。
成程、雰囲気作ってきたな。

「そろそろ再開しても?」
「……ドウゾ」

もう何も言うまい。




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